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やわらかい日常

この数日間、身体が悲鳴をあげていた。
そのせいか色んなことが噛み合わず、落ち着いていた日常が忙しなくなった。


体調を崩すと決まって、普段呑気に健康に生きていることに感謝する。頭が痛くなったら頭が痛くないときに感謝し、咳が出たら咳が出ないときに感謝している。


悲鳴をあげながらも改善したことが少なからずある。
不眠が改善された、かもしれない。
ただ、こうしてnoteを書いてる今も眠れなくて描き始めたので、もしかしたら気の所為ってやつ。


不眠は非常に厄介だ。
眠れないと気づいた時には手遅れで、何度も寝る向きを変え一旦起きようか、このまま頑張って眠りにつくか悩んでるうちに外が明るくなり「あぁ…あと一時間眠れれば良い方だ」と悲しい計算をしているとあっという間に睡魔に襲われ、深い眠りに落ちた瞬間を狙ってアラームが私を殴りにくる。


去年も一昨年も不眠に悩まされる時期があった。
どうにか暗闇で足掻くときもあれば、諦めて映画やYouTubeを流し続ける日もあった。
画面の中で明るい光を放つ彼らに心の底から感謝した。


いま、noteを描き始めたのは
眠れないことと魚の小骨のように引っかかった痛みを取り除くだけの自己満足だ。
わたしがわたしをやさしく撫でてあげられるように。


一年くらい前の出来事だ。
私はいつも何かに悩んでいて不安で怯えていた。
好きなものを好きと言える日もごはんを食べて美味しいと叫ぶ日も多かったが、怯える日も同じくらい多かった。


そんなとき、「最近、調子はどうだい?」と聞いてくれる日があり、確認してくれる人がいた。
その人に、悩みを話したことは無かったが限界が近かったので思い切って話してみた。
これは、私のわがままで幼稚で甘えきった思考がもうダメなのかもしれないが、私は大丈夫だよと言ってもらいたかった。頑張ったね、不安だったね、でも大丈夫。きみは素敵だしそんなに怯えなくていいんだよ、と言ってほしかった。


上記の言葉を顔面に貼り付けながら話したら
「でも、手首切ってないよね?」と言われた。


手首を切ってないなら大丈夫、ここまで来れてるし連絡も取れてるし遅刻もしてない。
もっと大変な子もいるからね、と手首を切って遅刻が絶えない人の話をされてお悩み相談会は終了した。


私は、相手を心の中でぐちゃぐちゃにもボコボコにもする気が起きず、ただひたすらに驚いていた。
一生懸命勇気を振り絞って話をしたつもりが、何も届かず分かってもらえず、一体なんの時間だったのか理解が出来なくてずっと驚いていた。


いまになって、骨の一つや二つ折りたいくらい腹が立つ出来事だったなと思ったが、私の考えが甘えすぎていたなと反省する日にもなった。
他人の言葉に重きを置きすぎている私は他者からの評価と優しい言葉を常に欲している。


それではずっと苦しいままだと分かっている。

怯えながらも不安になりながらも
わたしが、わたしを、やさしく愛せるように
ずっとずっと願っているのだ。

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