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私の就職活動の話【5】

少し前のnoteから日が経ってしまったけど、このnoteの続きです。↓

実家から、帰る日の夕方。父が、「散歩に行こう」と声をかけてきた。心配をかけているのは分かっていたから、何も話せなくてもせめて行かなければ、という気持ちで、父と家を出た。

父は私が何で悩んでいるのか何も分かってはいなかった。正直、今もわかっていないと思う。私と父の関係はすごく複雑で、その点に関しては最早諦めてしまっている部分もある。

でも、それでも父は、私にいろんな選択肢を与えてくれた。

どんな状況で、何を考えているか分からないけど、大学院に進学してもいいんじゃないか。ずっと憧れていた留学に挑戦してもいいんじゃないか。この大学のこんなプログラムは君に合ってるんじゃないか。こんな事を学んだら、君がやりたいと思っていた事、実現出来るんじゃないか。第一志望は駄目でも、こういう選択肢もあるんじゃないか。

そんな風に話しながら辿り着いたのは、祖母が大好きでよく散歩に来ていた公園だった。

メタセコイヤの並木と、その上に広がる真っ新な青空を見た瞬間に、涙が止まらなくなってしまった。

私は自分の状況を少しずつ話し始めた。

少し前から言葉がうまく出ないことや、喉に支えてしまうこと。眠れないこと、食欲もないこと。

父は、病院に行く事を私に薦めたし、それは風邪の時に病院に行くのと全く変わらない事だと言っていた。

父が、考えられる新しい選択肢は沢山あるけど、今はまだその段階じゃないね、と言って、私達の公園での会話は終わり、そのまま家に帰った。

夜ご飯の間も、気まずい雰囲気と重苦しい気分が続いた。早く1人になりたい。早く帰りたい。

夕食後、母が車で駅まで送ってくれる事になった。

母は何も言わない。

何か話さなきゃ。

私は父の時と同じように、色々考えていることはあるけれど、なかなか言葉に出来ないことから話し始めた。

母は、確か、私が今までに見た事のないような状態になっていると感じたこと、また、第一志望が全て見送りだったのは残念だったけれど、前を向かなければいけない。皆んなが同じプロセスを歩んでいる、みたいな話をしていた気がする。

全く理解してもらえていない。

憤りすら感じた。

でも、ここで私は、初めて、自分が悩んでいるのはそういうことではない、とはっきり口にすることが出来た。

嗚咽しながらも、自分が日々抱えている重苦しい感情の理由を母にぶち撒けた。

(内容は以下のnote参照)

帰りの新幹線の中、自分は何て恵まれているんだろうと思った。

家族はいつも私を心から応援して、支えて、心配してくれている。

今もこれまでも、こんなに沢山の愛情を受けて何不自由なく育ってきたのに。

なのにどうして私はこんなにも自分を認められないんだろう。肯定できないんだろう。嫌になってしまってるんだろう。自信を持てないんだろう。

親にとって子供がそんな風に思う事ほど辛い事ってないはずなのに。

申し訳ない。

新幹線を下車し、在来線に乗り換え、自宅の最寄駅に到着しても尚、涙は止まらなくて、とにかく自分が情けなくて、悲しくて、辛かった。

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