杞憂になればいい恐怖

毎日小さな争いから戦争という大きい争いが起こっている。そしてそれがあるべき姿のよう当たり前に存在している。私の目には届かない場所での冷戦、紛争、戦争、私の耳にも嫌でも飛び込んでくる大きな戦争が現実でも日に日に酷くなっている。
最近は戦争の夢をよく見る。まだ私が今いる地には火種は飛んできてはいないがそんなのも時間の問題で。きっともっと広がってしまうんだという恐怖に怯えてる。目を背けるように逃げるように眠剤を飲んで眠りにつく毎日。
だが夢の中でも戦争は止まない。現実よりもっと酷い世界を見せられる。そのせいで起きたあとも生きた心地がしない。いっそのこともうそのまま目を閉じて眠るように体の機能を失ってしまいたいとすら思う。

2023.10.23.夢日記
もう既に国はほぼほぼ戦争の準備を始めているのに家族は呑気に今まで通りの日々を過ごして楽しく家族団欒をしているのを見て狂気に触れた気分だった。私は安寧などもうとうの昔に既になくなっていたことに気づかなかった自分を責め最低限の食事だけを摂り部屋に閉じこもり何をするわけでもなくただただ毛布に包まって恐怖と静かな絶望と戦っていた。落ち着かず無駄に何回も何回も風呂に入ったりととにかくそわそわしていた。落ち着ける場所なんてもうない。気づけば常に泣いている状態で暗い毛布の中でも視界は歪んでいた。もう全てが手遅れだった。

起きた時にはきっと最後の家族揃っての団欒だったんだろうなと。私も誘われていたさ、でももう私が壊れかけなのを家族は理解してそっとしておいてくれたんだろうなと思った。ほぼ決められた余生を全力で楽しんでいたんだろうな。と思って起きてからもしばらく苦しかった。もう一晩過ごしてもはっきりと思い出すことのできる父の笑顔。余計に苦しい。

これを書いているのは眠る前。そしてそのまま寝落ちてまた起きて続きを書いている。
今はだらだらと生きている、毎日無駄に命を消費している。それに価値がないわけではないのも事実でもちろん理解している。だが私は死期がある程度具体的に決まった瞬間、今以上に安寧を感じることすらできないだろう。余生など楽しむようなことも当たり前にできないだろう。苦しむ人を救いたいと思っていても自分の事さえ救える希望が途絶えたら当たり前にその気持ちも途絶えるような弱い人間だ。現実も己の精神も何もかも残酷だ。

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