見出し画像

聖夜の映像に屍は映らない

クリスマス。街には綺羅びやかなイルミネーション、軽やかなクリスマスソング、そしてTVでは華やかなクリスマス映像。

4年前のクリスマスは酷いものだった。夏も終わろうかという頃にクリスマス企画のアプリを作って欲しいという依頼を受けて、打ち合わせに望んだ。
その内容は技術的に出来るか出来ないか判断のつきにくいもので、僕は出来るか出来ないかは検証してみないと分からないです、と繰り返し念を押していた。押していたが、営業は検証も済まないうちに受注してしまい、もう受注してしまったから断ることもできないと言い出した。そしてその営業は別の案件があるからと姿をくらました。

そこからは地獄の日々だった。検証の結果非常に厳しいことが分かり、それでもイベントの開催も変えられないから何とかしろと無理強いされる。無理を無理矢理通してなんとか形にするアプリとサーバー、無理にやるから時間もなく、スケジュールも糞もない。終電の日々が続いた。
その無理な強行劇のなかで更に追加機能を入れようとするクライアント。疑義でも挟もうものなら罵倒され、お客様が望む以上のものを作りなさいと説教された。結果としてエンドの顧客からそんな機能要らないと言われてクライアントは面目が潰れたから多少溜飲は下がったけれども、それでもデスマーチは終わらなかった。契約書にある機能が入っていないと納品直前に言われ、更に業務が追加された。それは双方の営業同士の間でだけ決められたもので、現場には何も共有されていなかった。

当時の日記には耐えろ、、あと少しだから耐えろ、、と書いてあった。

最後は一緒にやっていた企画職の同僚が倒れて入院、一人で全部やる羽目になった。厳密には一人ではなく海外の開発会社が手伝ってくれていたが、矢面に立つのは僕一人になった。

イベント当日。
イベントは滞りなく進んだが裏ではまだトラブルを抱えていた。海外のスタッフもサーバーの保守で1名依頼したが、何故かサーバーの分からないスタッフが来てしまい結局帰ってもらった。
皆がイベントを楽しんでいる間、僕はそのイベントを見ることなく、ただサーバーのログとグラフをひたすらに監視していた。

そしてイベントも終わり、僕は真っ白な灰、、にはならず、静かにその場を立ち去り、帰宅して、泥のように眠った。打ち上げには姿をくらましていた営業と、復活した同僚が参加した。

今でもその映像は検索すれば探し出せて、見るものの目を惹いてやまない。
でもそこには屍は映らず、あるのは編集された美しい映像だけだ。

メリークリスマス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?