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ボトムアップ型に必要なのも結局は優秀なトップという話

日本の企業ではよるあるトップダウン型。
それこそ社員がそれほど多くない中小企業であれば社長がすべて決めるワンマン経営の会社も少なくないだろう。

そしてそんなトップダウン型に対して現れるのがボトムアップ型。
要はみんなで考えようというスタイルで、小説などフィクションの世界ではこのボトムアップ型の組織がトップダウン型の組織を打ち負かすシーンをよく見かける。
ちいさな町工場が大企業を出し抜く的なやつ。

そういう話では大抵はボトムアップ型は皆がフラットにワイワイガヤガヤやって意見を出し合って問題の解決にあたるのに対し、トップダウン型は大将がお前ら言う通りやれや的な感じで、皆を従わせて問題の解決にあたる。

多分これは自由と支配の対比であって、いかにも自由な方が正義っぽくていい感じなもんだから、読者の方もカタルシスを感じてしまう。
あと小が大を倒すあたりとかも日本人大好き。
僕だってそう。
こういう話好きだもの。

でも結局のところ、これはあくまでフィクションの中の演出だけの話であって、トップダウン型だって相当なパフォーマンスが出る。
特に「優秀ではない社員」が含まれている時には大きく有利になる。
言ってしまえばトップが超優秀ならなんとかなってしまうのがトップダウン型である。
ラスボスが最強ならとりあえずOKというか。

トップダウン型はもうひとつメリットがあって、数さえ用意できればOKなのもトップダウン型の特徴。
人海戦術でなんとかしてしまえる。

対してボトムアップ型は皆で知恵を絞り合って一人の人間では考えつかないようなソリューションを導き出すところに味噌があるんだけども、ということは全員が優秀でないといけないし、決める人がいないと誰も決められない、ただの烏合の衆になる。

そう、自由という言葉は、言い換えれば決められなければ何も進まないのだ。
「誰かが決めてくれた方がむしろ楽」というのは多くの人が内心思っていることだと思う。

まとめ役は調整と決定に徹することになるわけだが、特に自分より優秀な人をまとめ上げるというのはスキル以上に人としての器を求められるので、これができる人に僕は未だにお目にかかったことがない。

自分より優秀な人に「そのジャッジ正気ですか?」と言われて平気な人っているんだろうか。
メンタル保てないと思うんだけど。

本田宗一郎氏の名言でこんな言葉がある

どうだね、君が手に負えないと思う者だけ、採用してみては

正直これができる人っているんだろうか。
たとえ採用したとしても、採用された社員の方から速攻で退職されたりして実態は分からないのかもしれないけど。

僕も以前はボトムアップ型に夢を見ていて、皆でワイワイガヤガヤやりながらこれまでにないサービスを作るぞ的な、なんともベンチャーな夢を見ていたわけだけど。
それで幾度も失敗し、結局はトップダウン型だよなという結論に落ち着いた。
確実に開発して納品し、実績を作るならトップダウン型の方が効率的で失敗も少なめなんだよなあ、と現実を見てしまう。

ボトムアップ型は、メンバー全員が優秀でビジョンも共有できて、とメンバーに期待を寄せる度合いがどうしても大きくなってしまう。
そんなに仕事に情熱かける社員ばかりじゃないでしょうに・・・と思えるようになったのは現実を見るようになったからか。

もし本当にボトムアップ型組織を体現できている方がいらっしゃるのだとしたら、その人は超絶優秀な方なので、トップダウン型でも物凄いパフォーマンスを発揮できる人なんだと思う。

結局のところ、人員を大量に確保できて、数で押し切れるならトップダウン型、
予算はないが少数精鋭がいるならボトムアップ型、
あるいは混合型、
と柔軟に戦術を切り替えられる人が一番強いんだろうな。

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