またまた思い出話。
こんばんは。4Lかあさんです。
今日は高校時代と少しだけその先の話をします。
高校時代、同じ部活・クラスではなかったけど、それなりに交流していたMさんという同級生がいました。Mさんは中学も同じでしたが、当時は殆ど話さなかったです。Mさんには親友レベルで仲がいいSさんがいました。MさんとSさんは同じクラス・部活だったので、基本的にいつも2人で行動していました。
最初はSさんと知り合いだったのですが、Mさんとも話すようになったものの、2人で行動しているときは、邪魔してはいけないと思い、どちらか一方とだけ話していました。でもたぶんSさんは私のことをあまり好きではなかったと、当時の態度を思い出すと、そんな風に思えるのです。
高3の1学期。Sさんが突然高校を中退することになりました。理由はお父様の仕事の都合で海外にいくことになったからです。赴任期間が決まっていて、家族が帯同しないといけなかったようです。Sさんはそのまま中退し、Mさんは1人になってしまいました。私はたまにMさんと話していましたが、そこまで仲良くはならず、知人と友人の間のレベルのまま、大学受験を迎え、そのまま卒業しました。
3年後、母校での教育実習でMさんに再会し、会っていなかった3年間の話を聞いてみました。Sさんは帰国し、帰国子女枠で日本の大学に入ったそうです。Mさんにとって第一の友人はやっぱりSさんで、離れてからも連絡を取り合っていたようです。「教育実習で私さんに再会したよ」とMさんが言ってくれたようですが、Sさんは「ああ、そんな人いたっけ」とそっけない態度だったようです。
Mさんのお母さまがなくなられて、大学に通いながら、家事をすべて引き受けているという話もありました。お父さまと弟さんは何もしないそうです。「女ひとりなのだからお前がやれ、家事がおろそかになったら困るからバイトもしてはダメ」と言われたそうです。「就職はすること、ただし家事に支障がない範囲の仕事で自宅から通えること、家にお金を入れること」とも。Mさんは自転車で通える範囲にある女子大に通っていました。私もわかりますが、ただでさえ氷河期と呼ばれていた時期で、何もない田舎で就職できる場所なんて限られてしまいます。大卒の友人知人たちも、地元就職にこだわった人たちの就職活動はとても大変そうでした。決まった先もまあ、それは言わないことにします。
ちなみMさんは格ゲーがむちゃくちゃ得意で、一度だけゲーセンに行ったら、対戦相手を全員ボコボコにしていて、かっこよかったことを覚えています。結局、教育実習が終わった後は、また連絡を取ることはなく、どうしているかは知る由もないです。
当時は、お父さまと弟さんの奴隷のような生活だな、と私は思っていましたが、当人はもしかしたらそんなにつらくなかったのだろうか。そんな気もするのです。
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