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8/29「夏休みの終わりごっこがしたくなったので、読書感想文を書いてみた。」

夏休みの終わりを擬似的に迎えたくなり、前からずっと気になっていた「山月記」(著・中島敦)を読み終えたので、読書感想文を書いてみようとおもいます。



「人喰い虎になりたい。」

 バイトも人生も何もかも上手くいかない。何をしていてもなんか違う気がし、集団に属すれば、自分だけが一生はまらないパズルのピースであるように感じる。おそらくそれは人間社会に対する疲弊の現れなのだろうと思い、私はいっそのこと畜生になりたかった。

 山月記。この作品は博学で才能あふれる人物、李徴が詩作に耽ったがために人生が狂いだし、迷いと絶望の中、ある夜発狂し、人喰い虎になってしまったという物語だ。
 また、この作品は幼い頃、漢文の授業の時に教材として使われており、そんな朧げな記憶がきっかけで私はこの物語を手に取った。

 私は李徴のように若くして才能あふれる人物ではない。どちらかといえば後ろ暗い道を歩んできたと感じている。だが、彼との共通点が一つだけある。それは「現在の境遇をかなぐり捨ててでも創作に耽っていたい」という願望だ。
 私にとってその疼きは三代欲求にも食い込む勢いで、それはおそらく李徴もそうだ。人生に決まったレールはないと常々、思っているが、ただ私も李徴もここまで狂ってしまうとは想像もつかなかっただろう。

 人が虎に変わる話。この一文だけを目にすれば突拍子もない物語だ。
 だが、読み進めてみると段々とそうならざるを得なかったと思ってしまう。だからこそ、私は李徴が苦悩と絶望の末、人間性を無くした姿に変わり果てたのは、彼にとって救いだと思っていた。
 山月記とは、人喰い虎になってよかった!と李徴が歓喜する物語だと思っていた。そしてそんなエンディングを迎えた私も自暴自棄への第一歩を大きく踏み出してやろうと鼻を膨らませていた。

 だが、そうではなかった。

 人間の意志と虎の本能が混在する中、親友の袁傪に送った詩がある。漢文を意訳すると李徴は最期にこう言い遺している。

「ふとしたきっかけで狂気に侵され、獣になってしまった。この災難や不幸から逃れることができない。いまや人喰い虎となってしまった私の鋭い爪や牙に、いったい誰が敵うのだろう。思えばあの頃は私も君も秀才と呼ばれていた。しかし、私は獣となり草むらで寝起きしているが、君は高官となり生き盛んである。今夜、月に向かってこの苦しみを詠みあげようとも、口から洩れるのはただぶざまな吠え声だけである。」

 旧友である袁傪に対し李徴が遺した詩は変わり果てた自分を顧みて絶望している自虐の詩だった。水を差すのも大概にしてほしい。私はこの物語を読んで、再び迷いの渦へ落ちていくような感覚に襲われた。

 読書感想文とは「この読書体験を経て、自らがどう変革したか」を記す場だ。小中高生がこれを書けば、体験がもたらす変革は未来の自分の一助となるような正の変革だ。だが、読書体験がもたらす変革が必ずしも正の方向であるとは限らない。
 歳を重ねれば重ねていくほど人は迷い、振り返り、自らの背後にある選択肢の多さに愕然としてしまうものだ。
 読んでよかったや、面白かった物語というものは沢山ある。だが、物語と自らの共通点が見つかったからこそ、鎖で繋がれてしまったように果てない渦へと引き摺り込まれるような体験はそうそうない。
 山月記を読まなければ、よかった。そう思っている。
 全てを投げ出すこともできない私は今日も日陰を歩いていく。そうやって生きていれば、少なくとも振り返った時にこうすればよかったと後悔することぐらいはできるのだから。



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