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サマー・ライアー【序】

 その濁流に触れれば最後だ。引きずり込まれ、あっという間に呼吸は奪われる。入り乱れる水流は幼子の身体を容赦なく蹂躙し、飽きたかのように岩底に叩きつける。
 3人は滝壺の前で手を繋いでいる。歳は皆、同じく十四だ。右の少年、ナツキは二人より半歩前で、小指にまで力を入れて踏ん張っている。左の少年、アツムは半歩後ろで瀑布の轟音を聞きながら二人分の引力を感じている。そして真ん中の少女は震えながら言った。

「ナツキ、アツム。せーので、で行くから」

 ナツキは妹をなだめるように少女の頭をわしゃわしゃと撫でた。アツムは少女の目を見て黙って頷いた。3人は幼馴染で、ナツキもアツムも少女、アザミのことが好きだった。
 せーので3人は飛んだ。
 高さ3メートルほどの滝壺に落ちても、誰一人手を離さなかった。川から上がると、日差しが彼らの肌を乾かした。それから3人は少し歩いたところ先のタバコ屋に寄り、老婆の店主からアイスバーをせびり、陽が沈むまで遊びつくした。
 高校に入るとアツムは両親の意向で私立校に通いだした。ナツキとアザミは地元の高校に入り、手を繋いだり一緒に帰ったりはしたが、付き合うことはなかった。それは抜け駆けをするようで気が引けたからだ。
 ナツキは高校で水泳に打ち込んだ。地方選抜に選ばれるほど実力が付き、アザミが知らぬ間に後輩のマネージャーと付き合いだした。
 一方、アツムは幼馴染と離れた場所で暮らしていても特に擦れることなく、勉学に励んだ。彼の特技は順応だった。そんなアツムは英語のスピーチコンテストで優秀賞を取った。
 そしてアザミは落差100メートルある滝に一人で飛び込んで死んだ。滝は上こそ濁流に見えたが、落ちていくにつれ霧へと変わっていった。アザミの右脚は派手に捥げて、どこかへ転がっていった。

 ナツキはどうしてアザミが自死を選択したのかがわからなかった。なぜなら彼女は彼らがいなくとも気丈で、明るく、そもそも滝壺に行って度胸試しをしようと言ったのも、アザミだった。ナツキはアザミの友達に片っ端から何か異変がなかったかと訊いた。
 だが誰もわからなかった。
 アザミはクラス長で、生徒会の書記もしていた。文化祭準備で学校中を駆け回るアザミは誰よりも楽しんでいるように見え、多くの生徒たちがアザミの死を嘆いた。

 だが、通夜にも、葬式にも、アツムの姿だけがなく、その時、ナツキは思い出した。
 飛び降り自殺を図る前にアザミは突然、一週間だけ休んでいたのだ。
 
 その空白に当てはまるピースを探しに行きたかったが、ナツキにはインターハイ予選が迫っていた。ナツキはその予選で勝ち進み、個人で全国3位、チームで2位という成績を収めた。
 大学はスポーツ推薦で進み、オリンピックを視野にナツキはひたすら水泳に打ち込んだ。
 その活動を支えていたのは高校から付き合っている一歳下の後輩、ツチダだった。ツチダはアザミと違い、背が低く、扱いやすく、あざとく、胸の大きい女だった。


next episode…


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