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4/26 「寄席と、かあさん煮と、積立NISA」


日記が思った以上に長くなりました。
とはいえ、削ったりはしませんので「早く本題にいけよ」と思ったあなたはPM 3:00から読み始めてね。

AM 11:45

えー、
今日もこんな長ったらしく、取り立てて何がが起きるわけでもない日記を読んでいただき、誠にありがとうございます。

ヒューマンエラーなんて言葉を昨今よく耳にしますが、僕はそんなことばかりでございまして、この日も、瑣末なミスから始まりまして…

新宿駅JR東改札口前、僕は立っているのに疲れてきたので、その場にしゃがみました。
見上げると老若男女が平日にもかかわらず絶えず行き来していて、女の子が僕の近くを通り掛かる度、しゃがんだ状態でスマホ構えて盗撮とか疑われたらどうしようと、随分、自意識過剰なことを考えながら僕は2人を待っています。
待ち人の片方はだいぶ前に書いた日記にでてきた筋肉ムキ男(以下、呼称をムキ男とする)で、もう1人はムキ男の彼女。
当初はムキ男と2人で寄席を見に行こう計画していたのですが、今日たまたま休みだったということで急遽、華のあるゲストが登場、そして同乗。
寄席というものは噺を楽しむもの、楽しむのは確かにひとりでいい場合もありますが、今回は人が多い方がより楽しめるんじゃないかと思った僕は、思わぬ相乗りにワクワクしながら2人を待ちます。
だけど、12時を過ぎても一向に現れません。それどころかLINEの返答もない。
どうしたんだろうなーと、電車混んでてスマホ取り出せないのかなーと、そんないくつかの可能性を思い浮かべながら僕は2人を待ちます。
それでも、現れない。
約、3ヶ月ぶりに会う友達。
これは、もしかして僕の器量が試されているのだろうか。YouTubeのドッキリ企画とか?
そんなわけはありません。
不審に思い、僕はトーク履歴を遡ります。
すると目がとまります。

それは、昨日の会話で、僕は昼飯を食べるから時間早めようか? と、訊くムキ男に対して器量を見せてやろうと「13時でいいよ」と返事をしていたのです。

器量を試されるどころか、器量を忘れていたんですから、たまらないものですね。
これは、昨日の自分に一杯食わされましたなぁ。あはは。

いくら内心で自分を嗤おうと、時間は早まったりはしません。
さぁ、どうしようかと考えた時、真っ先に思い浮かぶのは新宿紀伊国屋。改札口前で滞在すること約、20分強。僕は何事もなかったかのように本屋へ向かいます。

まずは、挨拶がてら1階へ。村上春樹のハードカバーがコロッセオみたいに積まれていて、へぇーと思いながら雑誌をいくつかめくり、それも済むと8階へ。
改装前は別館にあった漫画コーナーがそこにはあります。ですが、いくら時間があったとしても無限ではありません。それに長居は禁物です。なぜなら装丁やタッチの感じが気に入ればつい買っちゃうからです。スーパーの野菜は値段を見て、棚に戻しますが、本、特に漫画本はどうも値が目に入らない。したがって、新刊も出ていないので僕は早々に売り場を出て、スマホのメッセージを見て、5階へ。
ここは芸術系のフロア。改装前はホールの手前にあった写真家の作品スペースに僕は向かいます。
そして、構図を絵画から学べる本と、ウクライナで取られた作品集を抱え、レジに向かいました。(ちなみに作品集の方は3000円超)
階段で上がる時、もう時間が差し迫っていたので、売り場へ行かないつもりでした。
ですが、ムキ男が合意していた時刻より遅れるって言うものですから、まぁ、不可抗力っですな。あはは。

ムキ男ってどんなやつなんだ?
気になったあなたはこちらへ。


PM 1:30

再びの東改札口。今度は数分も待たないうちに2人が現れ、僕らは世間話をしながら新宿駅西口から数分歩いた場所にある大戸屋へ向かいます。
(関東近郊住みだと、「せっかく来たのだからmind」がほぼないため、チェーンで済ませられる気軽さがあって好きです。)

大戸屋に着くなり僕らはメニューを広げて何を食べるか会談を始めます。
大戸屋と言えば、やはり、チキンかあさん煮定食。(異論は、認めましょう。なんたって僕は、器量のある男ですから)
鶏肉の方が安いから使うけどただ焼いただけじゃ、なんとなく食卓が盛り上がらない。ならば揚げて、カツ丼みたいにだし醤油でとじちゃおう。そんなやりくり上手で気配り上手な母さん像が思い浮かぶ、チキンかあさん煮定食。
そそられるのは当たり前。
ですが、僕らにとって大戸屋は久々で、何を思ったのかここで「せっかく来たのだからmind」が発動し、僕らは母さんの誘惑に抗おうとします。
惜しくも優しさに絆されたのは、ムキ男の彼女。きっと連日の労働で疲れていたのでしょう。無理もありません。
過保護な母親の元から旅立ち、海へ向かった僕は、ほっけ定食を頼み、そして、ムキ男はデミグラスソースがかかったチキンカツ定食を頼みました。こちらは家を出たはいいけど隣町、そんな距離感でしょうか。
近況報告を混じえながら、しばらく待っているとそれぞれの前に定食が並びます。

え、つまみ食いされてる?

口に運ぶと脂を纏ったほっけの切り身がほろほろと崩れて、大根おろしとの相性は抜群です。地元を出てよかったと思いながら僕は海の幸を堪能します。
まぁ、食べ進めていくと気の迷いというのはどんなものにもありまして、つい対岸の景色に思い馳せてしまうものです。
貿易を持ちかけ、僕は2人から一切れずつもらい、口に運びます。
まず、デミグラスかつは洋風といえど、それなりに食べ慣れた味です。頭の中には純喫茶の窓際席が浮かび、どこか懐かしさを覚えるような味わいで、言うなればエモい味でした。
そして、漁師町で暮らしていた僕は、久々の帰郷を果たします。
かあさん煮、やはり美味い。
きっと無理だろうけど毎日これでいい。そう思わせるほどの恒常性が味に滲み出ており、本当の地元がある山奥の集落につい、思いを馳せてしまうほど温かく、優しい味でした。

食事が美味しいからでしょう、相乗効果で会話も盛り上がり、話題は近況から未来へ転がっていきます。
社会人になった人間の多くが持つ願望は何か。それは「そろそろ貯金がしたい」です。
すればいいじゃん。
そう、思えたあなたはきっとよほど人間ができているのだと、思います。
ですが、今さっき散財したばかりの僕を含め、3人ともなかなか貯金が出来ない。
だから僕らは「貯金ができない」という悩みを解決するのではなく、とりあえず共有しあいました。
すると積立の話になり、そこでムキ男の彼女が「うちの会社は給料を提携しているどこかに預けられるようになってて…」言い出します。
個人単位で考えると積立は、大仰に捉えがちですが、会社のシステムの一環としてあるのなら、先入観なく、出来ていいかもしれません。
そんな企業もあるんだと、感嘆していると、もう寄席の昼の部が終わるまで、あと1時間30分程で、やはりなんにしても、時間は有限で、長居は禁物です。
そそくさと会計を済ませ、僕らは末広亭を目指して、雨降り続く新宿を歩いていきます。

PM 3:00

えー、
長いまくらにつきあって頂き、本当にありがとうございます。やっと、ここからが本編です。

外で入場料を支払い、従業員の方に扉を開けてもらうと、そこには伝統芸能の世界が広がっていました。
さっきまで、濡れたスニーカーの爪先から靴下にまで露が浸透してきたことに気をもんでいましたが、舞台では既に出囃子がかかっていて、壮年男性二人の漫才が始まっています。
つかみと共に少しづつあったまっていく客席、もう雨の音は聞こえません。僕らは舞台を見ながら、中央に並ぶ座席の両脇にある座敷席へあがり、腰掛けます。
畳に座布団を敷き、その上で胡座をかいて芸を見る。
そういったスタイルがより深く世界へ没入させ、行く前は「絶対途中で寝ちゃう」と懸念していた僕らは、気づけば虜になっていました。
昭和元禄落語心中、この漫画がアニメ化した時、僕は落語と出会いました。
それからはYouTubeの他、落語を扱った作品を通して、噺を聴くようになっていた為、前に座っていた2人より少しだけ詳しかったのですが、やはり画面を眺めるのと、生で見るのは違います。
落語で有名な所作と言えばやはり、蕎麦を啜るところですが、それのみに関わらず、例えば歩く所作ひとつとっても、素晴らしかったです。
童、女、そして男だったら気弱な男から、馬鹿な男、豪気な男まで、性別や年齢を演じ分けるだけでなく、性格まで反映させ、そして上半身だけで全てを体現してしまうのだから、つい、食い入るように見つめてしまいます。
前々から、落語の所作はすごいなと思っていましたが、あらためてその精細さに驚きました。
演目は落語だけでなく、僕らが入ってきた時に始まっていた漫才を始め、太神楽、紙切りと、バリエーションに富んでて中でも小唄×漫談の「俗曲」という演目が僕は気に入りました。
出囃子がかかり、三味線を持って登場したのは30代後半くらいの女性で芸名は「林家あずみ」さん。
鳴り物を持って登場したので芸者さんが舞うような、艶やかな曲を演奏するのだろうと思い、僕は箸休め程度に聞き流すつもりでした。
ですが、その方が演奏する小唄は「ただ、『しゃもじはどこか』と尋ねるだけの唄」や「歌詞に猫だけしか出てこない唄」など馬鹿馬鹿しいものばかりで興味はやはり尽きません。
そして、そんな唄にも関わらず、いわゆるマイナコードのような小難しい演奏技法が用いれられており、あずみさんの唄はオルタナティブロックそのもので、また合間に挟む日常を切りとった小話がおもしろいのなんの。
「安心してください、履いてますよ」ではないですが、やはり、下ネタは国境だけでなく時代すらも越えてしまうのだなと改めて、僕は思い知りました。

落語でいうと昼の部のトリに登場した柳家喬之助さんの古典落語「子は鎹」が良かったです。
こちらは言わずもがなの出来で、そこそこ歳のいった男性がやってるにもかかわらず、その人が艶やかな女性に見えたり、器量のいい妻に見えたりと本当に変幻自在です。
表情のみならず、肩の小刻み加減や腰をどれだけ捻るか、指先は真っ直ぐ伸ばすのか、撓らせるのか、折りたたんでいる脚以外の全てを使い、演じ切るその姿は学べるものばかりで、中でも1番ハマっていたのは子供役です。
子は鎹という噺の中で要となるのは、1度離縁した夫婦を繋ぐ子供です。
本当に上手くて、僕は落語で泣くとは思っていませんでした。
ほんとうに、月一くらいで行こうかな。
あそこは、学べることが多すぎる。

夜の部の仲入りで末広亭を後にすると、外はすっかり暗くなっていました。
通りには焼き鳥の匂いや、居酒屋の客引きをしているお兄さんお姉さんの声が響き、ちょうど僕はその時お腹が空いていて、このまま軽く飲んでもいいかなと思っていると、おふたりさんはどうやらそろそろ帰りたく見えました。
わけを伺うと「節約をしたい」と言いました。
当初はこの後、ムキ男の彼女を帰し、2人でテルマー湯へ向かうつもりでした。ですが、末広亭に思った以上に長居してしまい、ゆったり入るには予定的に厳しく、なら無理をするのは良くないかと思い、少し寂しい気もしましたが、僕らは夜7時すぎに解散しました。

遊び尽くすのも休日の醍醐味ではありますが、元々は「休む日」です。
そして、とかく東京は面白いものがありすぎて、つい時間と金を浪費しがちです。
だから、余力を残しておくのは、良い過ごし方だなと今日を振り返って感じました。

もう、そういう年齢だしね。

おしまい。


自主的余暇の間に買った本

Notes in Ukraine / Hironori KODAMA

写真家、児玉浩宣さんが戦地であるウクライナに数度渡りながら、現地の暮らしと、人々、そして無情な惨状を写し取った作品です。
港町のオデーサを訪れた時、声をかけてきた青年、セヴァが週末に開いたパーティでDJをしながら、児玉さんに対して、
「どんな状況でも楽しむんだ。わかるだろ? 君はいつも写真を撮ってる。きっとどんな状況でも撮るだろう。それと同じで俺もこうやって友人と会って、音楽を聴いて楽しむ。それがノーマルなんだよ。それを続けるんだ」
彼の一言が力強くて、とても心に残りました。
いやぁ、久々に沁みる言葉だったな。


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