スプラトゥーンからPUBG、そして運営へ

私は高校2年で今PUBGが生きがいといってもいいくらいハマっています。

プレイすることはもちろん、PJSなどの競技シーン、コミュニティ大会など見ることも大好きです。

そんな私もPUBGの前はもちろん別のゲームをしていました。

PUBGはPCゲーだしPCのFPSかな?と思う方もいると思います。

違いますね。スプラトゥーンです。

PUBGは爆発的な人気を得たゲームで、バトロワブームの先駆者です。

私はそのバトロワブームの前にPUBGを知り、購入し、プレイし始めました。ほんとのホントに最初期です。

時期で言うと2017年の4月ごろです。アーリーアクセスの最初が3月くらいかな?

なぜそんな情報も出回ってない中、PUBGを知ることができたのか。

それはある配信者の影響です。

・俺の中で最強のゲーマー

その配信者とは、絶賛活躍中で、パワプロとスプラの二刀流プロゲーマー「やりたいじ」選手です。

この人はすごいです。初プレイにもかかわらず、パワプロ購入後数か月でプロテストに合格し、パワプロのプロ選手として活動されています。

・・・半端ない。

もちろんスプラトゥーン2でも敵なし。彼の所属するGGBOYZはスプラ甲子園2連続優勝。世界大会でも優勝。非公式大会多数優勝。

・・・すごいよね。

他に、バイオハザードでも学生時代に世界ランキングトップをとったことがあるとか。。

私なんかがたいじさんの強さを語るのは恐れ多いですが、彼はどのゲームにおいてもキャラコンがずば抜けて上手いんです。

PS4にも移植された人気ゲームDead by Daylightでも自身のキャラコンを最大限に活かし配信を盛り上げてます。

スプラトゥーンの話

ちょっとだけスプラの話をします。
私がスプラトゥーンを知ったのはとある歌い手さんの生放送ですね。見た瞬間からめちゃくちゃ面白そう!と思いwiiUと一緒に買っちゃいました。
買ってから半年くらいはB帯から上がれなくて、あんまりやらない時もありましたね。
そこでなんとなくニコニコ生放送見てたらたいじさんの配信を見つけました。

「上手すぎる」

この言葉しか出ませんでした。笑
それからは毎日生放送をみてプレイしてたらS+までいくことができ、自分の中ではもの凄い達成感があったのを覚えてます。
そしてオンラインゲームのマナーやリテラシーを学ばせてくれました。

・この男のエンターテインメント性


2017年の春、いつものようにたいじさんの配信見ようと開いてみると、スプラトゥーンじゃないんです。当時はwiiU版のMH3Gもよく配信していました。モンハンでもないんです。

「なんだこれ?」

そこで初めてPUBGを目にしました。

いわゆるFPSゲーかな?

そのタイミングでFPSとTPSの違いも知りました。今ではFPPモードが国際ルールと化してますが、当時はTPPモードが主流でした。

スプラ2が出るまでの間、たいじさんはひたすらPUBG配信をしていました。ソロ(1人チーム)配信でも持ち前のキャラコンとセンスで熱い試合を多く届けてくれました。

スクアッド(4人チーム)でも同じスプラ配信者と連ドンの熱い試合や笑いを届けてくれました。

たいじさんはゲーム配信者に必要なものをすべて持っています。

プレイテクニック、視聴者を沸かせるエンターテインメント性、そして配信者としてのリテラシー。

たいじさんは私のゲーマーという部分において最も尊敬しています。

・そしてPUBG界隈へ


2017年の夏には完全にPUBGに移行しました。

PUBG初期のスターと言えば

Detonatorストリーマー部門所属のstylishnoob選手ですね。

彼のリアクションとM16のタップには誰もが虜になったと思います。

私はゲームに深くハマるとき、それと同時に界隈にも深くハマります。

スプラでもそうでした。非公式大会のエリア杯ドラフト杯は凄く楽しみにしてました。また私はこの人はこういうプレイヤーで、この武器使いだ。

ってのをものすごく覚えてましたね。それがPUBGでも同じなんです。

ZooGaming/penguinのvuelo選手はMini14が得意だ。とかSunsister susider'sのsabrac選手はハイセンシでSRが上手いとか。

PUBGは100人の中から1人になるまで生き残れ!っていうゲームですからホントに選手が多い!w

現状のPJSルールでは16チーム64人ですがそれでもGRADE1、GRADE2となると100人を余裕で超えるわけです。

それでもだいたいの選手は知っています。

GRADE1ならかなり語れると思います。

GRADE2でもGRADE1出身チームなら選手個々人でだいたいわかります。

・1歩踏み出した


そして、世界大会に出場した日本チームを全力で応援したり、界隈での面白可笑しいクリップみたり、募集で知り合った人とプレイしてたりやってたら

PUBGの大会運営になってました。

まさかスプラしてた時は大会運営なんて思いもしなかったでしょうね。

そして1月26日、プロトタイプリーグ(仮名)という大会を開催しました。現PUBGの主なルールはスクアッドに対し、デュオ(2人チーム)のポイント制の大会でした。
当日は無事終わることができました。これは自分自身いい経験ができたと思います。

なぜ大会運営をしようと思ったのか。
それの大部分はPJSにあります。

αリーグからみてきたPJSでは多くの感動を受けました。αリーグではDetnation Gamingの3連ドン勝、βリーグ最終ラウンドではCrestGaming windfallのポイントの逃げ切り。season1最終ラウンドではRascal Jesterの降格免れドン勝。

どれもドラマがあった。感動した。
そんなことを毎シーズン思ってました。

そこである日、Twitterを眺めていたら謎部えむさんが投稿されていたNoteが目に入りました。
内容は「Esportsに関わりたいって言うやつはたくさんいる。だから一歩踏み出せ!」って内容でした。確か。

それを見た瞬間、このPUBG界隈でやりたいことで頭の中が埋め尽くされました。PJSのようなファンが盛りがって選手が応援される場所をつくりたい。
もうハッと気づいたら大会運営を募集してた方にDM送ってた。

って感じです。

ここまでがスプラトゥーンからPUBG、そして大会運営になるまででした。

よければ