見出し画像

呼び方の話

ある日突然、私は
「お姉ちゃんって呼んでいい?」
と、姉に聞いた
それまでは名前で呼んでいたのだけど
自分にしか呼べない呼び名を見つけて
呼びたくて呼んでみたくてうずうずして
ついに承諾を得て、呼び始めることができた
いつからだったかは覚えていない
七つ上の姉なので
遠い存在に感じていたから
少しでも距離を縮めたかったのかもしれない
お姉ちゃん、と呼ぶようになってからは
名前で呼ぶのは恥ずかしくなってしまって
もうずっと、お姉ちゃん

家族、友達、恋人、パートナー、などなど
世の中にはたくさんの呼び名がある
だけど家族以外、しっくりきたことがない
家族がしっくりきているなら
他の呼び名もしっくりきていいはずなのに

友達という呼び名が苦手だ
「私たちって、友達?」
ひとりひとりに確認してまわりたいところだけど
そんなことをしたらたぶんきっと
その友達とやらはゼロになる、気がする

ひとりひとりとの関係が
しっかり独立していて
別々のもので
だから、一括りにはしたくない
一括りにはできない

あの子とはこういう関係
この子とはこういう関係
とても深い関係であっても
それが友達なのかどうかはわからない
"友達"じゃなくてもいいと思う
信頼関係が築けているならそれだけで
その関係性は成立するんだと思う

ただ
「私たち、友達だよね」
という会話ができたら
とても安心してしまうんだろうな
特別な呼び名があると
そこに収まることができる
「私たち、親友だよね」
とかも
きっとそこには大きな幸福が含まれる
依存さえしなければ良い存在になると思う
だけど、その呼び名にしがみついて
放せなくなってしまうなら
あまり良いモノではない気がしている
今まで私が家族に依存してきたみたいに
相手を苦しめることになるのなら

奥さん、家内、嫁……
その呼び方はどうなの?と
世間では言われているらしい
私も最初は違和感があった
だけど今は正直
お互いが理解しているなら
なんでもいいんじゃないかと思っている
公の場で発言することが
誰かに不快感を与えてしまうということなら
きっと不快感を受け取る人自身が
身近な相手との関係になにかしら
不満を抱いているんじゃないかな
だからそこは話し合いや歩み寄りが必要で
ひとりひとりが細かいところに
ちゃんと気付く、ってことが大切なんだと思う
"世間をぐるりと変えていこう"
ということとは、違う気がする

だんだん自然と、友達とか恋人とか
そういう関係になっていくことは
怖いことでもあるけど
きっとそうなるのには理由があるんだろうな
当事者にしかわからない
そうなる理由が

私は、相手に伝えたいことがあると
すぐに言葉を綴り声に出して言ってしまう
だからたくさん
「言わなきゃよかった」
と思うことはあるけど、そんなの
言ってからじゃないと気付けなかったから
言ってしまったあとの方が大事だよね
と思ったりもする
ひとりひとりとの関係にしっかり向き合って
伝えたいことは伝えて
すれ違ってしまったら落ち込んで
ひとつひとつを受け取りたい
ひとつひとつを受け入れたい

と言いつつ
私は白黒ハッキリつけたいタイプの人間だから
この関係は何?と
人一倍疑問に思っているんだろう
人一倍すがりついているんだろう
ずっとずっと
問い続ける人生なんだと思う