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"村田沙耶香さんの『コンビニ人間』をこんな時に読んでしまうなんて"

どうしようもなく苦しくて
人目を気にせず泣いてしまう時がある。
電車内でも、仕事中でも、
人混みを歩きながらでも、
夜道で抱き合うカップルの真横でも、
なんだってどこでだって
わんわん泣いてしまう。

そんな一日を過ごした翌日の午後
『コンビニ人間』を読み終えた。
その中で繰り広げられている会話は
ほんの少し前までの私へ
鋭く向けられた言葉たちを多く含む。
読み進めるたびに胸が痛む。
誰かへの想いが増す。記憶が蘇る。
もしもあのとき、
もしかしたらあのとき、を考えてしまう。

排除寸前だったことに気付かず生きていた、
過去の自分を抱きしめたい。
排除せずにいさせてくれた家族に感謝したい。
気付かなかった自分を褒めたい。
今だって排除寸前なのかもしれないけれど
なんとか佐々木史帆人間を繰り返している。

読み終わってまず思ったのは
「生きていていいのかわからない」
ということだった、いいも悪いもないけれど。

きっと生きているだけで誰かを傷つけている。
証拠だってあるんだ。
ついさっき電車に乗っていたら
揺れに耐えきれずよろけて
人の足を踏んでしまった。
寄りかかれる場所に移動したら
同じ場所を目指していた人に押し潰された。
はみ出てばかりだ、
こんなに小さな電車内でも。

たった一言。
私の脳と口と声が共同で選んで
発した言葉のひとつだけで
今までの「好き」を「嫌い」にさせてしまう。
怖くてもうなにも言えない。
理由なんてぜんぶ言い訳になる。
誰かが愛した空間を一瞬で破壊できる。
その凶器を人間として持ち歩いている恐怖。

これを書きながら、また泣いている。
帰宅ラッシュ寸前の、適度に見渡せる電車内。
ちらちら見られながらも
電車が停まる時に気付いた雨音に救われた。
今夜は雨が降るらしい。
ちょうど降り始めてきたところだ。
雨の夜、コンビニでは何が一番売れるのだろう。

少し前に怪我をした左足首が痛む。
新しいスニーカーだからか、雨だからか。
なにかの言い訳に使いたいからなのか。

最寄駅に着いてコンビニに直行し
ポテトチップスとチョコレートを買うと
外はもう大雨だった。
このまま傘をささずに歩いて泣けたら
どんなに苦しくなるだろう。
そんな勇気がなくて落ち込む。
もっと苦しめたらきっとなにかが救われるのに。
私の中にあるなにかが救われるのに。

もう一度、あの時の私に出会いたい。