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ポーランド国立放送交響楽団来日ツアー(埼玉、東京)

「初めまして。僕にレッスンをしてくださいませんか?あなたの作品を本当に愛しているのです。」これは昨年開催された第18回ショパン国際ピアノコンクール予備予選直前の運営(フレデリック・ショパン研究所)からのインタビュー内の「もしも道端でばったりショパンに出くわしたら、何と声を掛けるか」、との問いに対する角野隼斗氏の回答だ。同氏はこのコンクールのセミファイナリストに選出され、帰国後もめざましい活躍により、日々世界中のファンに音楽を届け続けている。

コンクールの主催国、つまりショパン生誕の国ポーランドはカトヴィツェを拠点とする東欧最高峰のオーケストラ、ポーランド国立放送交響楽団が23年ぶりに来日ツアーを行っている。同ツアーに帯同するソリストとして迎えられたのが角野氏。序曲、コンチェルト、シンフォニーというプログラム構成のコンチェルトセクションで、今回角野氏が演奏するのがショパンピアノ協奏曲第1番ホ短調。この曲を引っ提げて全国各地にて計11公演を開催する。このうちの初日と、2日目の会場にお邪魔したのでその感想を少しだけ。

お邪魔してきた2公演は7日の川口総合文化センター・リリア(埼玉県)と、8日のサントリーホール(東京都)。いずれも開演時間は19:00と夜の公演だ。プログラムは以下

バツェヴィチ/序曲(以下序曲)
ショパン/ピアノ協奏曲第1番(以下ショパコン)
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」(以下新世界) もしくは ブラームス/交響曲第1番(以下ブラ1)

以上。シンフォニーは今回は埼玉、東京会場ともにブラームスだった。今回のコンサートに向けてコンチェルトはラン・ラン氏の演奏を、シンフォニーはサー・サイモン・ラトル氏指揮のブラームスを予習として数日前からApple Musicにてリピート再生で耳に流し込んでいた。ショパコンは以前に中村紘子氏とユンディ・リ氏の演奏を手前の決して多くはない生演奏のクラシックコンサートで聴いたこともある、すこし思い入れのある曲だ。ブラ1の生演奏は今回が初めて。別会場でコンチェルととペアリングされているもう一つのシンフォニーである新世界は父が生前に愛聴しており子供の頃に生演奏に連れて行かれた。

前置きが随分と長くなってしまったが演奏の本編に関する感想のメモを。

バツェヴィチ/序曲
オケメンバーの皆さん、そしてマエストロの登場を会場が熱い拍手で迎え(この時の拍手の温度が、このツアーを聴衆がどれほど待ち望んでいたかを語っていた)、オケの軽快かつ颯爽とした演奏が始まった。その曲調も相まってこのツアーへの期待が最高潮に高まる。歓びに満ちた音から幸せをもらう。女性作曲家による楽曲がプログラムに入っているというのも素敵。指揮者のマリン・オルソップ氏も女性だ。オケの音は全体的にアットホームで温かみがある。自然と聴き手も微笑んでしまいながら身を委ねてしまう、そんな演奏。

序曲でホールが温まると、壇上のグランドピアノの蓋が開けられ、オケは鍵盤のAの音で再度チューニングをし、いよいよソリスト角野氏の登場。どんな表情で登壇なさるか少し案じていたが、幸せそうな嬉しそうな笑みを浮かべながらの登場に安堵。準備が整ったらマエストロに向かってコクコクと2回首を縦に振り、いよいよ待ち望んだショパコンの演奏の始まり。

ショパン/ピアノ協奏曲第1番
・第1楽章 アレグロ・マエストーソ ホ短調 4分の3拍子
ピアノが入るまでの長めのオケパートの間集中しつつもこの曲を愛でるような慈しむような、弾ける歓びを噛み締めているような表情の角野氏。しかしピアノの冒頭の和音はきっぱりとしていて、強くしなやかで響きも複雑で深みのあるものだった。単音で歌うパートは繊細に情感豊かに美しく聴かせてくれた。1楽章の単音で歌い上げるあのパートが私的にお気に入りの箇所。ショパン自身が祖国ポーランドに込めた想いをもこの楽章で存分に語ってくれた。最初の1音を聴いたら泣いてしまうかな、と思っていたけれど、逞しさや雄々しさが音から垣間見れたのでその後の3楽章の終わりまで安心して音に身を委ねられた。
・第2楽章 ロマンス ラルゲット ホ長調 4分の4拍子
3つの楽章の中でおそらく一番、慈愛に満ちた音色だった。甘さや切なさ、美しさといった要素ももちろん含んでいるが、一番の主成分が愛だったのではなかろうか。一音一音を本当に丁寧に、繊細に奏でるので音が目視できるのではないかと思ったほど。触れると壊れてしまいそうな儚さなのに、蜜のような濃度、とろみもある。今年はじめのツアーにて初演、8月10日にリリースされたショパンからのインスパイア作品「追憶」の終わりの部分にもこの楽章のモチーフが現れるが、この追憶からの物語の続きを聴かせてくれているようでもあった。同時に、ショパンと角野氏だけの、特別で神聖な対話の時間をほんの一瞬覗かせてもらっていたような、そんな印象も受けた。
・第3楽章 ロンド ヴィヴァーチェ ホ長調 4分の2拍子
角野氏の得意とする、そして聴き手も心躍る舞曲だ。楽団の本拠地カトヴィツェでのリハーサルの前に、YouTubeのかてぃんラボにてこの楽章の速いパッセージの部分を様々な方法で練習していたが、その部分も含めて全身を音楽にして魂の躍動を魅せてくれた。同氏の演奏する舞曲の多幸感はすごい。

角野氏とマエストロ、オケの渾身の演奏を受けて会場は2日間ともスタンディングオベーション。最高潮のボルテージと拍手で素晴らしい演奏に応えた。サントリーホールからホテルの部屋に戻ってから気づいたのだが、インスタのストーリーでマエストロは「日本のファンはクレージーね、素晴らしいわ」とコメント。角野氏も同ストーリーにて「コンチェルトは何度も演奏しているけれど今日(サントリーホールでの演奏)は特別」とコメントしていた。サントリーホールは角野氏がプロの音楽家として生きていくキッカケとなったPTNA特級が開催された特別なホールでもある。リリアでは表情がよく見える位置から、サントリーホールでは手元がよく見える位置から鑑賞することができた(この上ない贅沢と幸運)。表情からはショパンが弾ける歓びと幸せを認めたし、背中側の席では手指〜腕だけでなく肩甲骨の動きがよく見えた。響きに関してリリアでは音の一つ一つの輪郭がクリアに、サントリーホールでは音が空間に溶け込むようにまろやかに聞こえて、ホールとの響きも一期一会だな、と面白い発見もあった。

ブラームス/交響曲第1番
クラシック音楽に特に明るくない手前が気に入っている数少ないシンフォニーの一つ。この曲を生で、それも名門のオケの演奏で聴ける贅沢。マエストロの十八番なのか、譜面は無しでタクトを振られていた。そのおかげかサントリーホールではマエストロの表情〜身体全体の動きがよくわかり、シンフォニーを聴きながらなんて素敵な女性なのだろうとすっかり魅了されてしまった。彼女から放たれるプラスの波動がすごい。この先の人生どんなことがあっても大体大丈夫、と思えるほどのプラスの波動。マエストロに感謝。オケの重厚ながらも温かみのある、希望に満ちた響きからパワーをいただいた。
2曲ほど演奏してくれて(すごいサービス)オーケストラアンコールも終始祝祭感、多幸感に満ちていた。ブラ1の生演奏が他でもあったらぜひ足を運びたい。

ソリストアンコールについて。初日のリリアではポーランドの首相も務めた作曲家パデレフスキのノクターンが演奏された。この演奏で涙腺が緩む。旋律の美しさ以上に、その音色の美しさがダイレクトに響いた演奏。2日目のサントリーホールでは初日とは対照的に、ピアノ椅子に座らないうちに始まった縦ノリしたくなるスワニー(振り幅よ)。

両日通して感じたことは、角野氏の音色ストックが以前よりずっと豊富になっていたということ。昨年のコンクールの直前にかてぃんラボ内でピアニストの音色辞書という配信を行ったが、この時よりも随分更新されていたように感じた。初めてショパンの曲を弾いた幼少時からきっとずっと、誰よりも真っ直ぐに真摯に、誠実にそして愛を持ってショパンの音楽と向き合ってきた末に今のこの音色があるのかもしれない。昨年の本大会の前に聴いたショパコンの音色よりも、今回の音色は複雑で深みを増していた。光だけでなく影の部分と合わさった美、のような。樹木が年輪を刻むようにこれから先もどんな風に音のレイヤーが作られるのかが楽しみだ。同時に昨年のコンクール終了時に角野氏に小曽根真氏がかけた「始まったね」という言葉の真意がわかったというか。そして今回のツアーの同氏の演奏を誰よりも喜んでいるのは、他の誰でもない、ショパン自身だろう。

「角野くん、ありがとう。大好きだ。」というショパンの声が聞こえてきそうだ。(というか、ショパン先生もこっそりツアーに帯同してる!?)

以上ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


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