#6 崩壊

母の家に引っ越し、母は祖母の家に引っ越し、住む場所が移動民族かのように変わり続けた高校1年生の冬。

弟はなかなか父にはがしてもらえず、子供も大人と同じように権利を持った人間である、という子どもの権利条約の内容まで説明して父を納得させ、なんとか一緒に住むことに漕ぎ着けた。

しかし、崩壊はここから激化する。

母は祖母と喧嘩をするようになる。
コロナ禍に突入。
一緒にいる時間が増え、もっと不満が溜まる。

母と私と弟は少し離れた小さなアパートに引っ越した。2DKで、部屋は寝室とダイニングで精一杯。プライベートなど全く無い空間だった。相手の悪いところがすべて丸見え。母がまだ不倫相手の連絡先を持っていることに驚いたし、その男とは別の人と日曜日出掛けていることにも驚いたし、、
結局私たちのためならなんでもするとかいう綺麗事はウソでしかなかった。

素直に母を信じた私も悪いのかもしれないけどさ、期待しちゃったじゃんね。

高校3年生、受験生となった。推薦とかいうしちめんどくさい作文は避けるため、はじめから一般受験を志望した。学校の課外活動には積極的に参加して、それなりに推薦に利用できる内容もたくさんあったけれど、きちんと勉強して、知識を詰め込みたかった。

お酒を毎晩一定以上の量飲み、お皿洗いをせず、爆睡する母に、心からあきれた。
受験生だから、と特別扱いされることもなかった。
中学受験を控える弟の世話、皿洗い、掃除、母の相手、そして受験勉強、週4で塾、週4でバレエ。とにかく忙しくて、耐えられなくて、やっていけると思えなくて、無理。以前よく考えていたけど封印したはずの、死にたい、という感情が復活した。

私は悲しかった。寂しかった。普通の家庭に生まれて、普通の人生を歩みたかった。(私のいう「普通」のレベルは、私立女子校に通っていたこともありかなり高いのである、ということには後になって気づいた)

もう無理だああ、

過呼吸、目眩、肋間神経痛、耳鳴り、全身の筋肉痛、寝れない、起きれない、話せない、歩けない(30cm程度しか足が動かない)、電車に乗れない(人の多いところで圧迫感を感じて頭が真っ白になる)

などなど、身体に次々に異変が起きてきた。
毎日泣いてばかりで目は腫れっぱなしだった。
「受験生、勉強しないと周りに追い越される。こんなことで悩んで、もっとツラい人だっている。私、もっと頑張らないと。」
そう自分を追い込んで、症状は悪化するばかり。
家では何事もないかのように振る舞うから、母は気付く訳もなく。学校で心配された私は、精神科に罹った。「適応障害」だった。

2022/2/26

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