継続とは苦を減らす作業
1年前。
私は金も無いのに夜な夜なほっつき歩き、家には寝に帰るだけという生活を送っていた。
障害と向き合うのも人生と向き合うのも面倒で、早く死にたいという感情をぼやけさせるために酒を飲んでいた。
今思えば、死ぬための理由づくりをしていたのかもしれない。
誰かにバカにされても「そりゃそうですよね」と言う顔をして、必死に笑顔を作っていた。
「自分はダメだから」と人の顔色ばかりうかがい、善意も悪意も無碍にしてきたのは、自信をつけるための行動すらとることができなかったであろう。
「己の人生の責任を取る」
どれだけ親身に寄り添ってくれる人であっても、私の人生の全ての責任を取ってくれるわけではない。
20代後半になり、頼りにしていた母が急逝。
つかまり立ちのような人生を送り続けていいのか?と思うようになった。
そこで今年の頭に一念発起し、一切飲みに行くのやめた。
家を出る機会が減り体力は落ちたものの、余った時間は家事や資格勉強に充てた。
苦手な料理も少しずつ上達し、散らかっていた部屋もある程度清潔さを維持できるようになった。
家事ができることは特筆してプラスになるスキルというより、生きていくために必要な行為だと思っている。
言わばマイナスをゼロに戻す作業だ。
衣食住の環境が整っていなければ、プラスになる行動を取ることもできない。しかし死なないからと放置していれば出費がかさんだり衛生環境が悪くなると、己のパフォーマンスがどんどん落ちてくる。
家事は命に関わる行いだから、余程でなければ誰にでもこなせる。
難しく見えても、インターネットには分かりやすく説明が載っている。
誰かと暮らす上でも、家事ができるということは何の邪魔もしないスキルだ。
また、家事をしたという事実はハッキリと結果が伴う。
誰かのためになる行いでもあるから、自分の存在を肯定するささやかな要因にもなってくれる。
お金のような対価は無いが、大事な人が私のご飯でお腹いっぱいになったとか、水回りがキレイになったという事実もまた、自分を嬉しくさせるものであった。
そして、家事は継続が何よりも大事だと学んだ。
継続すれば一つ一つの家事の苦しさも減る。苦しさが減ればタスクをこなすことが難しい事ではなくなる。
持病が悪化したり、焦燥感に駆られ身動きが取れなくなるかもしれない将来の自分のために、面倒だと思っても腰を上げてタスクをこなすという行為の積み重ねを行うことが大切だと思う。
一方、何もしないという選択もできる。
ただ、何もしなければそこで人生が終わるわけではなく、生活は続いていく。
将来に向かって伸びる己の人生。あっけなく死ぬこともあれば、どれだけ死にたくても死ねない日がある。
あと何年生きるのか分からないが、現状私はなかなか死にそうにない。
何もしないをし続けるには心もとないし、できる限りやれることはやろうと思う。
最近は家から出ず、一日7時間ほど宅建の勉強をしている。
余った時間で家事をして、0時には就寝する。
体力がかなり落ちたので休憩時間にスクワットをやっている。
体重増加のために食事管理をし、家計簿もつけるようになった。
28年間生きていて、これだけ真人間として生きるのは初めてと言ってもいい。
年を重ねることは衰えることだと思っていたが、まだまだ成長の余地がありそうだ。
無理せず日々精進。頑張ります。