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「せっかち」について真剣に考える

私は最近自分のことを「せっかち」ではないかと思い始めている。

こんな出来事があった。
職場から最寄り駅まで徒歩10分、仕事が終わるとできるだけ早い電車に乗りたいと思う。
その日、仕事が終わり、外に出ると腕時計を見た。7分後に電車が来る。その次は18分後だ。
よし!急ごう。急げばギリ間に合う。
運動不足で走り続けることができない私だったが、走っては歩き、走っては歩き、駅まであと一歩だ。最後の力を振り絞り、走った。すると駅までゆっくりと歩いていた老婦人二人組が私の方を見て、大きな声で言った。
「あぁ、慌ててらっしゃるわ、へへへへっー!」
走り切って、希望の電車に乗ることができた。大きな呼吸をし、ジワリと汗をかきながら、ほっとしていると、老婦人の言葉が頭の中に流れた。
私は特に予定があるわけではなかった。冷静に考えれば、たかが10分家に早く帰ったからといって何があるわけでもない。家族も特に私の帰りを待ち望んでいるわけではない。
なぜ、私は少しでも早い電車に乗りたいと言う欲求を我慢できなかったのか。みっもとないフォームで走り、自らの醜態を他人に晒し、惨めな言葉をなぜ投げかけられなくてはいけなかったのか。

そこで私は初めて、「せっかち」という言葉が思い浮かんだ。

今までは自分がせっかちだなんて言うことは、考えても見なかった。これが自分だし、周りの人と比べることなんてしてこなかったから。

しかし、はたと自分を振り返ってみると、せっかちという性質は自分に当てはまっているような気がする。
せっかちを辞書で調べてみた。

せっかち《「急(せ)き勝ち」の音変化か》)先を急ぎ、ゆとりを持てないさま。

な、んと、漢字で書くと、急ぐが勝ちみたいな考えなのか。否定できない……これは私だ。

私はせっかち人間というレッテルを自分に貼った。

今私が考えられる選択肢は3つ。
一つ目は、せっかちを治すように努力すること。どうすればいいのか。せっかち心が働いたなら、ほっぺたを思いっきりつねろうか。いやそれでは根本的な解決にならない。我慢を重ね、いつか私は崩壊してしまうだろう。せっかちを発動しないよう改善が必要だ。
寺に修行にいき、滝にでも打たれたら、治るだろうか。はたまた、火の上を裸足で歩く荒行をすれば治るのだろうか……。
二つ目は、せっかちであることを隠して、バレないように生きることだ。心はせっかちでも常に余裕ある表情を練習しなくてはいけない。周りに嘘をつき続ける人生でいいのだろうか……。
三つ目は、せっかちであることを隠さず、堂々とせっかちを胸張って生きることだ。電車に間に合えば喜びを爆発し、「やったー!」と叫ぶ。せっかち万歳人生だ。しかし、周りからは狂人に思われるかもしれない……。

はてさて、私はせっかちとこれからどうやって向き合えばいいよだろう。

もう少し時間をかけてゆっくり考えてみよう。

〈了〉

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