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猿がこまる世界

荒れ果てた畑で、猿がこまっている。

いつも食糧を手に入れていた畑が荒れているの?
今晩子どもに食べさせる食糧がなくて困っているの?
この畑以外に食糧が手に入る畑を知らないの?
畑を荒らしたのは、猿の悪事を知った人間の報復か、はたまた他の猿の仕業か。
焼畑農業かもしれないし、自然災害の可能性もあるか。

一文でこんな悲しい妄想が繰り広げられる、いわゆる誤訳。英語の翻訳を依頼したら、こんな意味の英文が返ってきた。
元の日本語は「猿が畑を荒らして、こまる。」

翻訳者の肩を持つわけではないが、2500近い数の単文を前後の文脈なしに翻訳するという仕事だったから、そりゃ途中で意識もなくなるだろう。猿が悲しむストーリーだって世の中には存在するはずだ。

編集者とは

 こんばんは。さちこです。今回のテーマは「わたしの仕事」ということで、仕事について。
 二度の転職を経て、現在のわたしの肩書は「編集者」である。編集者と言ってもnoteの #編集者 で出てくるようなキラッキラの編集者ではない。編集している書籍の特性上、地味。とにかく地味。定期刊行物でもないから締め切りに追われてヒーヒーすることも基本的にはない。ほぼ社内での仕事。それでも、デザイナー、イラストレーター、印刷会社、ナレーター、スタジオなどなど、比較的たくさんの人と関わりながら仕事ができるので、結構人脈は広がったりもする。

平たい皿じゃない皿

 翻訳をつける本の場合、冒頭で紹介したような対訳チェックという仕事がある。これが、まあ楽しい。地味楽しい。間違い探しをしている感覚に似ている。誤訳を見つけた時には一種の快感が得られる。
 猿がこまるようなドラマチックな翻訳に出会えることは極めて稀だが、対訳チェックしていると新たな気づきがたくさんある。

平たい皿にサンドイッチを並べた。

というなんの変哲もない文。
 しかし「平たくない皿があるのか?」と、ある言語の翻訳者からご指摘。なるほど、日本語では食べるときに食べ物を盛るものを総称的に「皿」という言葉を使うが、言語によっては平たい皿のみが「皿」であり、汁物を入れたりする丸みを帯びた皿は「皿」ではなく、他の言葉で表すらしい。
 こんな風に「皿」にまで思いを馳せる。この仕事をしていなかったら、人生でそんなことを考えることは絶対にない。

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 元々「本屋」という場所が好きだったのだが、この仕事を始めてから、本屋の楽しみ方が変わった。まず、自分の編集した本があるか、チェック。誰かと一緒にいる場合は自慢。次に、競合他社の新刊をチェック。奥付(書籍の終わりにある、著者名や発行者名、発行年月日などが印刷されているページ)で印刷会社やデザイナーをチェック。最後に、フルカラーで印刷されている書籍をうらめしく眺める。子ども向けの本に多いフルカラー。ものすごいコストがかかっている。そんなことがうちの会社でできたら夢のような話。ただただうらやましい。カバーだけでもいいからフルカラー、やってみたい。

初刷は買うな

 それから奥付に関して。基本的にその本が何刷か、書いてある。村上春樹や東野圭吾の小説が発売されると、初刷は熱烈なファンの手によってあっという間に買い占められるそう。ただし、よっぽどその本に思い入れがある場合以外、初刷は買わないほうがいい。なぜか。
絶対に誤植があるから。
テキスト、参考書を買うときはなるべく刷が大きいものを買うべきだと強く主張いたします。
 自分が編集した本で誤植が見つかると死にたくなるが、初刷で誤植が一つもない本は奇跡に近い。どうしても人が目で見て、校正して、という作業をする限り、誤植はなくならない。

 もっと技術が進歩すれば、昔の編集ってそんな地道な作業していたのか……。と言われる未来もくるのかもしれない。誤植もなくなるだろうし、校正作業なんて、消滅していそう。自動翻訳だってもっと進歩していて、人が翻訳することもなくなるのかもしれない。その時にはもう、畑で猿がこまるなんてことはなくなっているといいな。

サポートしてもらえたら、はいるとさちこの楽しいことに使わせて頂きます。主に飲酒です。飲酒ですが、何かしらnoteにも還元できるように飲みます。