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経営者が求める「自分ごと化」を「愛社精神」と勘違いしてはいけない

「愛社精神」が動機でいろいろやっていると思われて違和感があった

いま働いている会社で、必要なことをいろいろやってます。社外のひとから「柴田さんがそういうことをやるのは、愛社精神があるから」という解釈をされました。「愛社精神」という言葉には、好きな会社と嫌いな会社があって、好きな会社だと頑張れる、というニュアンスがあります。わたしはたぶんある程度どんな会社でも「必要なことをいろいろやる」ができます。それは「愛社」というものとは違いそうで、なんだろうと考えてみた結果、出てきたのが「自分ごと化」の話です。

自分ではないものを「自分ごと化しろ」は理不尽か?

自分じゃないのに、会社や事業を自分ごと化しろと言われても、よくわからない。これを「好き嫌い」とまぜてしまうと、「なんで自分がそこまで」というよくわからないむかつきが出てきます。

私の「自分ごと化」のイメージは「憑依」です。

憑依(ひょうい)とは、霊などが乗り移ること。(wikipediaより)

「相手に憑依するスキル」が「自分ごと化」だよな、と考えています。これでは意味不明なので、もう少し説明します。

「経路依存性」とは過去の文脈に縛られていること

経路依存性(けいろいぞんせい、英: path dependence)は人々が任意の状況で直面する決定の集合が、過去の状況がもう関係なくなっているとしても、人々が過去にした決定や経験した出来事にどのように制限されているかについての説明である。(wikipediaより)

人は、過去の経緯を踏まえていろんな意思決定をしますね。

「自分ごと化」とは①:「相手の過去の文脈」を、「自分の過去の文脈」と同じぐらい把握すること

「相手に憑依するスキル」とは、「相手の過去の文脈」を把握することではないか。「自分の過去の文脈」については、自分のことなので詳しい。それと同じぐらい「相手の過去の文脈」も把握してほしい、というのが「自分ごと化」なのではないか。相手は会社とか、配偶者とかなんでもよさそうです。

よくある勘違い:相手の過去の文脈と自分の過去の文脈をごちゃごちゃにしてしまう

転職してやる気出して、いろいろと「自分ごと化」して改善提案とかする。「前の会社ではこうだった」とか。しかし、それは相手の過去の文脈を無視して、自分の過去の文脈だけで考えているので、ずれてます。

共有できる文脈、共有できない文脈

経営者の人は、自社の社員には共有できない「文脈」というものがあり、社外の「コンサル」には共有できるものがあったりする。逆に、社外の人には共有できず、社員として「中の人」になったからこそ共有できるものもある。親会社の人が子会社に出向してきたとして、子会社でずっと働く前提の人達から見ると「共有できない文脈」というのがあるとか。雇用契約の違いだけではなさそうです。いろいろあるというぐらいしかわからない。

自分ごと化とは②:相手の文脈を共有した上で、打破しないと価値がない

文脈を把握しただけでは意味がないです。「相手の過去の文脈」はいろんな事情があって、今にいたります。「今まで関係なかったあなた」から見ると、無駄だったり、疑問点が出てきたりします。その点について、「相手の文脈を踏まえつつ」指摘して実際に変化させてこそ、「自分ごと化」の意味があります。

ルーティンと経路依存性の話。どちらも、「世界標準の経営理論」P291-292あたりの話です。そちらを見てください。

ルーティン・・・組織メンバーが似た行動を繰り返すことで、それが「意識しなくてもこの組織では当然の行動」としてパターン化され、埋め込まれること。無意識の行動になるので、認知に負担がかからず、ある意味「組織の進化」とも言える
経路依存性・・・ルーティンができあがってきた経緯によって、「進化」の方向性に制約を受ける(無意識の前提を疑えない)。経路依存のまま「改善・進化」を行っていると、硬直し、組織の進化はとまる。

経営者が求める「自分ごと化」とは

組織で「暗黙知」「暗黙の前提」になっているものも「過去の文脈」として把握しつつ、経路依存にならない「変化」を指摘し実際に変化させること。ここまでされると、経営者としてはうれしいというのはありそうです。

「自分ごと化」はポータブルスキルになるのか!

ポータブルスキルとは、特定の業種・職種・時代背景にとらわれない能力のことです。(引用元

なるんじゃないかなと私は考えます!

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