愛にできることはまだあるかい?

先日地上波で放送された『天気の子』観たよという方はどのくらいいるでしょうか?

Twitterのトレンドにも上がっていましたから、相当な数の方が観ていたのだろうと思います。

ちなみに私は公開当時映画館で2回観て、DVDになってから1回観ていたので今回で4回目でした。


天気の子の主人公・帆高は16歳。ヒロイン・陽菜は15歳。

新海誠監督の作品は、学生が主人公の作品が多い気がします。


雨が続く異常気象の東京。100%の晴れ女陽菜が人柱になることによって東京に夏が戻ってくる。

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久しぶりの快晴が陽菜の犠牲によるものだと分かったとき帆高は……。


今回の作品の概要をざっくり紹介するとしたらこんな感じでしょうか?

ここから先はネタバレを含みますので、別にネタバレしてもいいよ! という方だけ読み進めてくださいね!


この作品のポイントは主人公が16歳(=子供)であることだと思います。

映画の終盤、空に陽菜を迎えに行った帆高は世界よりも「陽菜がいいんだ!」と世界を引き換えに陽菜を現世界に戻します。

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例えば帆高がいい大人だったらどうだったでしょう? いくら愛する人だとはいえ、世界と引き換えにその人を選ぶことなんてできるでしょうか?

理性の働く大人であれば自分のために世界を犠牲にすることなどできないですよね? そもそも警察署から逃げてきたり、大人たちに拳銃を向けることなどできないはずです。


でも、子供だから、自分の思いにまっすぐであれるから、まだいろんなことを知らないからその選択ができたのだと思うのです。そしてだからこそ、物語が劇的になった。


また、コロナウイルスが蔓延した今、この映画を観ると今の状況と映画の中の東京の状況が重なるような気がします。

原因不明の雨が続く帆高たちの世界と未知のウイルスの浸食が続く私たちの世界。

意味わかんないし、終わりは見えないし、これからどうなるかわかんないし、しんどいし、苦しいですよね。

でも帆高はこの映画の最後、「僕たちは、大丈夫だ!」って言うんですよ。

これも子供だから言えることだと思います。

私たち大人が、3年の月日をかけて水に沈んでしまった東京を見て、これからもっと水没していってしまうかもしれないのに、陽菜1人を犠牲にすればこんなことにはならなかったのに、「大丈夫だ。」なんて言えますか?


でもね、私はこの映画を観て思ってしまったのです。世界は案外「大丈夫。」なのかもしれないと。

もちろん未知のウイルスは怖いですよ。とても怖い。けれど、私は今苦しいながらも何とか生きているし、この記事を読んでいるあなたも生きていますよね。

生きていれば、そりゃ苦しいこと悲しいこともたくさんあるけれど、思い返してみれば、幸せなこととか嬉しいこともたくさんあったのではないでしょうか?

生きているなら大丈夫。幸せなことが思い出せるなら大丈夫。私たちはきっとこれからも生きていけます。

きっと、「大丈夫。」そう思うことって、今のこのしんどい世界で、実はとっても大切なのかもしれないな。そんなことを16歳の帆高から教えられる。そんな映画でした。



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