「優等生」と言われるのが嫌だった話
ドラマ『親バカ青春白書』第2話のワンシーンに触発されてこんな記事を書いてしまいました。
触発されたのは、ベッドの上で畠山が「もう普通は嫌なんだ!」と声を荒げるシーン。
これを観た私「っっっっっ!!!!わかるっっっっ!!!」
小学校のから私はずっと、成績上位、学級委員なんてやったりして、先生には絶対に逆らわない、いわゆる”優等生”だったんです。
で、優等生って、”優”って漢字が含まれているくせに何が優れているわけでもなく、”普通”なんですよ。
全てにおいて中の上なだけで、何かが突出して優れているわけではない。例えば、私より計算が早い人はクラスに絶対いるし、私より英語がペラペラな人はクラスに絶対いるし、私より走るのが早い人なんて何人もいて、私よりリーダーシップがある人だっている。
決して1番にはなれない”普通”の優等生でした。
中学校まではそんな、全てにおいて平均以上の優等生な私にそこそこ満足していたのです。
しかし、高校に入って、演劇と出会い、顧問の先生に「お前は優等生なんだよ。つまんねーな。」と言われてから、そんな自分が嫌いになりました。
普通はつまらなくて、人の目を引く人気者は必ず普通なんかじゃなくて、何かに秀でている、特別な人なのだ。そんな”特別”が私には何一つないことが悔しかったのです。
そこから私は”優等生””普通”という言葉が嫌いになりました。
今でも「優等生」だと言われることがあり、そのたびに胸が痛みます。ああ、私はまだ変わることができていないのだなあと惨めな気持ちになります。
ベッドの上で「普通は嫌なんだ!」という畠山の姿が、そんな私にひどく重なったのでした。
わかる、わかるよ。普通って嫌だよね。普通じゃない何かが欲しいよね。全てにおいて誰かに劣っていて、決して1番にはなれない自分なんてくそくらえだよね。
しかし、そんな畠山にガタローが返した言葉はこうでした。
「どんな時でも、どんな状況でも普通でいられる奴が1番すごい。」
私にはどうしてもその言葉を真に受けることができませんでしたが(天邪鬼なんです……笑)それでも少しだけ、心が軽くなりました。
普通でいるには、それだけの忍耐力が必要なんだ。そうセリフは続きます。
忍耐力、というのも、特別な才能の1つなのかもしれません。
まあ、そんないいシーンもつかの間、すぐいつものムロツヨシ節というか、福田監督節に戻ってしまい、笑わされてしまったのですが……笑
多分今の私には”優等生”という言葉が重い枷になってしまっているのだと思います。
そんな、私の重い枷を少し軽くしてくれる、素敵な青春ドラマでした!
来週も楽しみだっ♪
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