一人です、連れも来ません、できればカウンターでお願いします

最近、今後を一人で過ごすとしたらどうしようか、ということを考えることが多くなった。結婚も無理にすることないし、一人で楽しめる趣味もあるし、何人か飲み友達がいれば十分、それどころかそんな生き方が一番自分にあっている気がしてならない。
ギブアンドテイクのできない恋バナは重たく、人の話を聞いてばかりで申し訳なさすら感じてしまう。話を振られても芯食った答えは出せず、これは違うな〜と思いながら話してても場は冷える一方。
今や恋愛感情そのものも絶え絶えで、そもそも好きな子の事で頭がいっぱいになった経験自体皆無だし、もしその子と付き合えたとしても楽しいかどうかは正直わからないことばかりだった。
恋愛自体に対する憧れは少しあるけど、それはコンテンツや他人に植え付けられただけの感情で、自分の中から沸々と沸いてくるものではないらしい。
まだそういう人と出会ってないだけだと思うことはあっても、そんな存在がいなかったとして特に悲観的になるわけでもない。
性格のタイプは嘘をつかない人、それって別に恋人以外に対してもそうじゃない?
根本的に俺がモテないから、こんなことを言ってもそれまでだというのは百も承知で、ただ今はもう疲れましたよ、という報告だけはさせてください。恋愛している人へのリスペクトだけは相変わらずあるんですけど。
もし俺に恋人ができる日が来るとするなら、その時はこの嘘つき!おめでとう!とだけ言ってもらえると幸いです。それ以外は…

正直な感情を出せるのは文章だからであって、大好きな飲みの場でさえ本音で話すことは難しい。はっきり言って脳直で言葉が出て行くことなんてほとんどない。
たいてい「そっか〜」「何だろうな…」と一拍置いて話す癖がある。多分俺と飲んだことがある人は気づいているだろうし、あれは自分自身でも認識してます。一旦咀嚼して、コレ言ったらマズい、こっちの方が当たり障りないな、ここは確実にコレ言った方が笑ってもらえるな、ここは笑って過ごすのが良さそうなどの頭フル回転の結果、「そっか〜」で一拍置いてから次のアクションに移っている。
そのせいか心を開いてないと言われることがたまにあり、大体の場合その相手には心を開いてないし、そんな鋭い人に対してはその時点で心を開く気がなくなってしまう。怖くて仕方ないから。
「そんなことないですよ〜」からの具体例ムーブでフィニッシュ。勘違いかって思ってもらえれば○。
まあ腹の探り合いみたいな飲み会は意外と楽しいし全然いいんだけど、月一回はそうじゃない人たちと飲みたいし、これからも飲めたらいいなと強く願います。今後ともどうぞよろしく。

文学・ヒップホップ・お笑いと、昔からの一人でも楽しめる趣味がある中で、最近ちょっと興味のある短歌がすごく楽しい。『ダ・ヴィンチ』で連載してる穂村弘「短歌ください」で採用されることを目標に短歌を作っているのだけれど、この三十一文字に自分の思考がスパッと出てくるのはなぜだろうと思ってしまう。音だけで楽しい歌もあれば、シークエンスが浮かぶようなもの、単純に共感して訴えかけられるもの、とにかく自由で面白い。
まだまだ深いことはさっぱりわからないけど、日々に直結してさえいれば、何かを込めたいとさえ思っていれば、誰にでも道が開かれているところが文学の魅力だと思っているし、短歌は特にその門戸が広いように感じられる。

「生まれたときから作家になることを義務づけられていた人など存在しないのだから、誰が書きはじめてもいい。誰にでも小説を読むことが許されているように、誰かが小説を書きはじめる自由も守りたい。」
新潮新人賞・選考委員の又吉さんのコメント、本当にその通りなんだよな。カッコいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?