I don't understand English、いやマジでわかんねえっつってんだろ

一番ワクワクする言葉は「行けたら行くよ」なのはおかしいのか、いやおかしいか。自分はなぜかこの言葉を聞くとワクワクする。日本語の美しさが凝縮されている。ご存知の通り意味としては「行けません」なのだが、直接そう言えばいいところを「行けたら行くよ」と回りくどく断る、たまんねえよな。
行けないってはっきり言うのは勇気のいることで、そんな臆病者でも断りのサインを出せるのが「行けたら行くよ」なのである。受け手もコイツ来ねえなと思いながら「来れたらでいいよ」と返す。なんて高度なやりとりなのでしょう。お互い何一つ本心を表さずに意思疎通ができるなんて。古典を勉強していた頃、婉曲という文法用語に心が躍ったのは自分だけだろうか。む・むず・けむ・らむ・めり。ま行の音の丸みに真意が包まれ隠される。正直興奮が止まらなかった。

何でもかんでもストレートに言うのは面白みがない。高校時代、一年ばかりアメリカの片田舎に留学に行ってたバカが帰国子女の女の子に「英語の方が会話するの楽だよね」とほざいていた時、クラスの全員が引いていた。日本語もまともに使えないシャバ僧が何言ってんだ。思考停止したいがために英語云々というやつは母語を捨ててしまえとまで思ったのを覚えている。サバサバ系を自称しているからといって人に何言ってもいいわけではないのと同じである。一番ネッチャネッチャしてるのに。
無論、海外生活が長い人は日本語より英語の方が楽なのは理解できるし、僕自身国粋主義者な訳ではないということは断っておきたい。
余談ではあるが、そいつは今話題のフィアンセパラリーガルにそっくりだった。

「行けたら行くよ」にはごく稀にマジで来るケースもある。期待してなかったところに来てくれた、これほどのサプライズはない。「行けないわ」で来られたら「なんで来てんの?来ない前提で進めてたから迷惑なんだけど…」となるが、「行けたら行くよ」の場合は頭の片隅におぼろげな希望がある。来なかったとしてもそいつの事が嫌いになることはないし、来てくれたら誠実な人間だと再評価してしまう。なので僕は「行けたら行くよ」と言った際には、どんなに重要な用事があろうともなるべく行くようにしている。「1杯だけな」と言ったら3杯は飲むようにしている。「2時間なら空いてる」と言う時は大抵終電まで空いてる。だって行ける可能性あるし。結局1杯で止められないし。本当に2時間だけしか空いてないなら行かないし。意味もなく渋々もったいぶることが好きなだけかもしれない。ただ「も〜〜20時で帰るよ」って言って本当に20時きっかりに帰る人とはあんまり仲良くしたくないんだよな。20時30分までいてくれれば怒らないけど、20時に帰るってことは19時50分くらいから財布握るし嫌なやつ。余裕がないったらありゃしない。「忙しいなら仕方ないよ!また一日飲める時誘うわ!(当分誘うかバーーカ!!!!!!)」


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