五反田 アンガジュマン d'un matin de printemps

昨日はオールスター後夜祭を見るわけでもなく、チンケな文章を書いてTWICEを聴きながら西村賢太を読むというヲタクくん丸出しなムーブをしてたら夜が更けていた。

五反田の朝、ピンサロで、チンコモロ出しのままサルトルの話をした大学2年の春を思い出した。
俺は当時サルトリアンでピンサリアンだった。
残り5分での拙いヲタク語りに対してお姉ちゃんは笑顔でメモを取っていた。それが彼女の役に立つのかどうかの疑問は大いにあったものの、目の前の相手にしっかり向き合うならば手を抜くことは許されなかったし、それだけは自分が一番大切にしている部分でもあるので、真剣に話し続けた。ただ次も指名したらまたサルトルの話しなきゃいけないのかとか、そのメモが五反田講義録として膨らんでいくのとかが嫌になり、その日を最後にピンサロに行くことはなくなったのだけど。一回くらい行ったかもしれないけどよく覚えていない。
そのまま教職の授業に出て、キラキラした女の子と応援部か何かの男の子とグループワークをしたのだけれど、当時精神的に少し不安定だったこともありその辺りから行かなくなった。教職はかなりの苦行でもう思い出したくもないトラウマになっている。グループの子は、キャンパス内で遭遇するとドロップアウトした俺にも挨拶してくれるような子達で、俺もその都度笑顔で会釈していたが、今思えばガン無視するのが正しかった気がする。
今となっては別にピンサロもサルトルも大して好きじゃない。それはサルトルが今の自分にとって信用に足らないとか、ピンサロより彼女やセフレのほうがいいとか、そういう類の説教めいたもんではない。サルトルを完全に理解したわけではないし、彼女もセフレも相変わらずいない。ただ視野が狭まってもっと面白いものが身近にもうあるんじゃねえのって思うようになっただけの話。それが何かは明言できないのだけれど(しろや)、もう風俗に行くことは金輪際ないだろうし、同じようにサルトルを読もうとも思わないのは確かだ。ユーロビートは今でも好きだけど。教科書を買うと言って頂いた親の金で、朝っぱらからフェラチオを嗜んでいるような人間のことを、俺は正直そこまでカスでもないと思うのだけれど、まあ世間一般で言えばカスではある。ただしょうもないなりに腹の底から湧き上がる感情は確かにあって、その感情だけは今でも大切にしている。昨日もふとその感情が湧き上がってきたからこうして文字を書いている。どんなに御託を述べようと生活や感情に直結しているものが好きだし、どんなに黒歴史を積み重ねようとその時何を思ったのかを大事にしないと先がない。これやりたい!って思ったものを全部やったわけではないし、他人からどう思われるかを気にしないわけでもないけれど、これだけ色々考えてきた自分がやってる事実や過去だけは信じてあげた方がいい。ラディカルな視点で眺めたうえでも、勝手に身体がそこに向かって動いている、これ以上にかけがえのない体験はない。そうと信じたい。何かに救いを求めるのはヲタクの悪い癖。実際はこうやって文章を書き残すことが何の意味を持つのかもよく分かってない。文章を書いてそれを読んでもらう、それが一番力を込めやすいというだけのこと。

薬局でDEOCOの匂いがすると毎回フラッシュバックする、特に大したオチもない2年前の春と昨晩の話。


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