自分が許されたいから、何にも縛られたくないから他人にも何も思わない。できるだけ口出しはしない。
でも害されたくない。他人はそんなつもりはないかもしれない。
でも私からしたらそれは害で嫌なことだからしないでって言うのは相手を縛っている。

この世に善悪はなくてあるのは人間にとっての都合だけなのだと思う今日この頃。

自然を愛し地球温暖化を止めようって言ってエアコンを消して異常気象に耐えきれず死ぬ人、その遺体を処理する周りの人。何が悪いのだろうか。

自分の商品をパクられた。ならばその人がやることは一つ、パクリストの起訴とさらに良いものを作るだけ、成長の機会と考えればラッキーかもしれないが腹は立つのでしっかりと賠償金は巻き上げるのが宜しかろう。

だがパクリストは好きでやったことではないかもしれない。親の借金のカタに家族を人質に取られ銃を突きつけられながら涙を呑んでやったことかもしれない。そんな人から国家権力を背景に賠償金をむしり取るのは良い事だろうか?

人の涙はどこにでもある。
誰しも皮の下には血が流れている。
それはその人が毎日何かを食べてできたものだ。

それらを常々忘れないように生きていきたい。


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