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愛の街、町田の夜
2023年1月27日、町田
初めて降り立った街は、どんよりした曇り空で、まさに芯から凍えるような寒さを感じました。
でも、それを忘れるくらいに熱くて、愛としあわせが溢れていた日だった。
Carpenter'sBlue pre.
3rd single "Gianna" and 1st Album"Garyotensei" Release Party "241-PALECYAN"
とにかく最高の夜だった。
余韻を引きずったまま、少しずつまた日常に戻されています。
出ていたバンド全部かっこよくて、この日は自分が持っている中で重たい靴を(いちばんあったかいので)履いていったことを後悔しました。めちゃくちゃ楽しかった。
この間のLouis Coleのライブのときに感じたテンションのぶち上がりを、今度は町田でまた経験してしまった。
語彙力がないのが苦しいんだけど、本当に最高の夜だった。何回だって戻りたい。
Carpenter'sBlueは友だちだけど、それを通り越してわたしはマジで本当にめちゃくちゃにファンで、
アルバムを聴きながら、この曲ライブで早くみて一緒に歌いたいな〜とおもっていました。
夢が叶ったよ!!!!!!!!!!!
ありがとう、Carpenter'sBlue。
ど真ん前で、たくさんのお客さんが一緒に歌っている光景をみて、耳で聴いて、半べそをかいてました。
みんなが歌って、笑って
Carpenter'sBlueのおまちゃんも、オギタくんも、青木ちゃんも、サポートのすなくんも、みんなニコニコ笑ってて、みているこっちもにこにこしました。
ステージから観る光景ってどんなのなんだろう。
わからないけど、でも絶対に幸せな景色なんだろうな
そのしあわせな景色の一端を、自分も担っているのかと思うと、またさらにしあわせな気持ちになりました。
あの幸せな空間をつくってくれたのはCarpenter'sBlueで、みんなを愛するひとたちだからこそ、みんなから愛されるひとたちなんだろうなと思います。
わたしはこの日絶対に楽しいという確信を持っていて、町田に降り立ちました。
なぜならCarpenter'sBlueが企画しているライブだから。そしてこれは間違いなかったね。
愛としあわせの空間をありがとう。ビッグラブ。
この日は夜に駆けるが活動を休止する最後のライブということもあり、絶対に楽しい確信があったものの、でもなんだかいつもと違うそわそわとした気持ちもありました。
会場についたら、ずっと夜に駆けるを見守っていらっしゃった方から素敵なお花が届いていて、わたしまで感動しました。
今日でしばらくみんなに会えないのかという寂しさと
でも実際にはあんまり実感がないのと
いつもみたいにみんなにライブハウスで会える楽しみと
いろんな感情が入り混じって、不思議な感覚でそこに立っていました。
実はこの日は、撮影のお手伝いをさせていただいて、でっかいカメラをお借りしていました。
カメラマンスタッフさんにめちゃめちゃ憧れておりまして、夢叶うやつじゃん…!と思ってわくわくすると思ってたんですが、実際にはそれ以上に緊張しました。
自分の命より身につけているものを大事にしなければならないという気持ちになったのは久しぶりだった…。
でも、カメラ越しに映る世界は、まるで映画のように素敵でした。
ライブの前や合間の、みんなが話している様子が、夢みたいな感じに錯覚しそうだった。
でも確かにそれはちゃんとそこにあって、なににも変えられない大切な時間だなと感じて
わたしもこの中に居させてもらえたんだなあと思うと、嬉しくて仕方なかった。
夜に駆けるの出番のときは、1秒たりとも映しそびれたくなくて、必死にカメラを構えていました。
人間の脳にも録画、再生機能はついているけど、
書き出し機能はついていないから、今自分が見たこの風景と感情をこのまま人に見せることができないのが悔しいな、と何度も思った。
11月に、彼らが活動休止発表をした直後に書いたノートがあるんですが
この時のわたしは、「寂しさはあるけど、あくまでも前向きに捉えて待っているよ〜!」くらいの気持ちで書いたつもりだったんですけど
2ヶ月くらい経って読み返したら、悲壮感しかない、激重な感情、でてきたもの、そのままぶちまけてるみたいな感じで笑ってしまいました。
(これ書くたびに泣いちゃって書き上げるまで時間かかったもんねそりゃそうだガハハとおもった)
2ヶ月経ってから、
これを書いた時と根底にあるものは変わってないし、すべて本心なんですけど
この時よりももっともっと気持ちは軽いというか、もっと明るくて前を向いているかんじがあります。
最後に演奏した曲
「やめるときも、すこやかなるときも」
この出会いを奇跡と呼ばせて
あの別れは運命だった
僕はこの出会いを奇跡と呼ぶ
やめるときも すこやかなるときも
僕らのそばには音楽があった
やめるときも すこやかなるときも
同じ空の下に君がいる
やめるときも すこやかなるときも
僕らのそばには音楽があった
やめるときも すこやかなるときも
同じ空の下で君が生きている
この曲が、この歌詞が
あの日、あの時ほど刺さった瞬間は、
これまでもこれからもないかもしれないとおもいます。
りおちゃんが最後に、叫ぶように歌った
「生きている」が
マイクを通り越して、生の声がライブ会場に響いて
こう…うまく言えないんだけれど、生きるということを目撃したという気持ちになったというか
底知れないくらいの生きるというパワーを感じたような気がします。
うまくまとまらなかったから、ニュアンスで伝わっていたらうれしい…。
音が鳴りやんで、幕が下りているときの
会場に残る熱、拍手、泣いているひとたち、
「ありがとう、ずっと待っているから」という声、
それらを目の当たりにして
わたしが大好きなマブダチと
その人たちが必死に生み出した音楽が、
こんなにもたくさんの人たちの中に残って、愛されているんだなと感じた時に涙が出てしまいました。
みんながこれからもすこやかに、幸せに生きていてくれたら、わたしはそれだけでいいし
きっと夜に駆けるを観てきた人たちも、それを願っていると思っているから
必要であれば立ち止まっていいとおもうんです。
もう何回もいろんなところで言ってるけど
この休止は必要なもので、あくまでも通過点。
きっと、みんなが愛する酒飲みたちは、
ふらっとまた戻ってきて、傷ついたり苦しんだりしたときにそっと寄り添ってくれるでしょう。
そのときまで、またね。
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