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書くことについて

日記とか、手紙とか、ツイートとか、色々書く手段ってある。
書き終わったら捨ててしまうようなチラシの裏に書き殴ることも時々ある。
言葉にして、考えや感情に輪郭を持たせることは意味があることだろうなあ、と思いながら、書いてみる。
サウナで汗をかいてスッキリするみたいに、思ってることを全部言葉にしてスッキリする。
別に整ったりするわけじゃないんだけど、こうやってバランスを保っているような気もする。

ツイートとか、noteとか、パブリックな場で発信して、誰かに見せる意味ってあるのかなぁとか思うけど、俺にはどうやら俺が思っていることをみんなに知ってほしい、みたいな願望があって、それを満足させるために書いているところはある。
自己顕示欲ってやつですわな。
俺は咄嗟のコミュニケーションがさほど得意じゃないから、後から俺はあの時こう思ったんだ、とか、今思うとこれはこうだよな、みたいなことを誰にも伝えられない日もあって、そんな日に呟いたり、書いたり、したくなるんだと思う。
それに対してリアクションがあるともっと嬉しいし。
それにインターネットは受け取り手が何を見て、何を見ないかの取捨選択ができる。例えばこれが誰かとの電話やLINEだと、僕が思ったことを伝えた相手にはそれにレスポンスする義務が発生してしまう。
ツイートやnoteは、つまんねコイツ、って思ったらそこでミュートなりなんなりすればいい話なのだ。
そう考えると、匿名性のある場所での発信は気が楽だ。

ただいつまでもこうしていられないよな〜とかも思うんだよな。
というか、いつまで自分を発信したいという欲に囚われているんだろう、というか。
この気楽な発信にはキリがなくて、目的も明確じゃない。
これを30代とかになってもやっているイメージはつかないし。
いつかこの、俺の気持ちを知ってくれ!という欲望が薄れる時が来るのか、あるいは、何か別の代替策を見つけることができるのか、それは今はまだ分からない。

そういう気持ちってどう折り合いをつけるんだろうか、みんなはいつ、どうやって、そういう自らと決別していくのか、そんなことを考えています。

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