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正の行為、負の感情、その乖離

昨日突然、セックスという行為の訳がわからなくなってしまった。
いざ行為を目の前にして、これって何のためにするんだろうとか、一生懸命腰を振る俺は空から見て滑稽に映るんだろうなとか、これをすることが一種の愛情表現って意味わかんないよなとか、その行為特有の匂いとか、見え切った快楽へのゴールを同じ相手と何度も繰り返すことが馬鹿らしく思えてきて、とにかく最後まですることが出来なかった。

ゴムをつけてするこの行為の行く末ってどこなんだとか、どうなったら本当の終わりで相手は満足するんだろうか、とか、仕事みてぇだなぁ、とか、色々思った。
似たような流れを繰り返して、その終着点ってどこにあるんだ。とっくに動機は義務感しかないような気もしていた。
とにかく、一生懸命ベッドの腰を振る俺の横にもう一人の俺が立っていて、色々思っていた。
色々考えてしまうその時点でダメなんだろうな、とかも思いながら、時計を見ながら、何分になったらこの体位に変えようとか思っていたら、知らない間に萎えていて、今日は眠いからここまでにしとこうと言って僕は眠った。
彼女がどう思っていたかは分からない、それもまた、怖い。

男として、性欲はあるものと扱われる性別として、性行為を成功に(ダジャレではないが)導く必要があるような気もしていて、そんな価値観も俺にとっての重荷になっているのかもしれない。
これは完全な言い訳だけど。

今まで普通に出来ていたことが、途端にできなくなってしまうこと、例えばいきなり自転車に乗れなくなってしまったような、ペダルの漕ぎ方も二輪車のバランスの取り方も忘れてしまったような、そんな気分です。
どころか、自転車に乗るあのスピード感や段差のたび伝わる振動、風の匂い、それらになんとなくの嫌悪感を感じてしまうような、そんな状態。

まぁ、次あったら案外普通にことは進んでいくのかも知れないけれど、なんか自分の中の引き出しにこんな感情があったんだって思って、少し怖くなった。
巷でよく聞くセックスレスとか、なんか無縁な話なのかなとか思っていたけど、その入り口にかなり近いところに立っているような気もしています。

なぁ、俺、怖いよ。
俺も意図してない俺に仕組まれた生物としてのプログラムに、ただ則って生きてきただけなんじゃないかって思う。
俺が選んできたものって全て俺じゃなくて俺の遺伝子や人間としてのプログラムで選ばされてきたものなんだとして、それでもその結果を引き受けるのが俺の心なんだとすれば、それってどこまでが俺って言えるんだよ。なぁ。
色んなことが乖離していく感覚だけが、ある。

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