死んだ後のことを思うと

若い頃はそんなこと思わなかったな…。

でもいざ50を超えてくるとやっぱ漠然と考える。

しかもバツあり独身一人暮らしの身としては孤独死さえも想定内に。発見時に如何に普通を演出すべきか…なんて。『終活』なるキーワードが話題になることもあるし、みんな案外いろいろと考えるのかもしれない。

私の場合こんなことを・・・。

①恥ずかしくない格好でいよう。お風呂とかトイレの途中で死んだりするとね…まー死んだ後だから恥ずかしいとすら思わないのだろうけど、それでもそうはなりたくないよね。

➁遠く離れた親兄弟に面倒はかけたくないから、信頼おける友人にある一定額をお渡ししておいて、死んだ後の部屋の後片付け持ち物の処分、葬儀等の手配など一切をビジネス的な契約として依頼。友人だからお願いじゃなくて一つの契約みたいなニュアンスで。

③遺言書を書いておく。※まだ書いてない。今は財産と言えるほどの価値はないけどそのうち暴騰しているかもしれない仮想通貨へのアクセス方法とかね…「誰にお渡しします」なんて書いておいた方がいいかもなんて。

そういえば、

昨日書いたnoteでマンションのことを書いたけど、マンションにも高齢者の一人暮らしが多く、終の棲家と考えている人も比較的多い。きっと亡くなった後のことをいろいろと考えているんだろうけど、突然に孤独死を迎える人もいて…私もその場面に遭遇し対応にあたったこともあった。

その時に思ったことが…

言い方は少々悪いが、死んだ時にもっとシンプルにいろんな雑事を整理できないものかと。で、資産をすべて放棄してその代わりいつまで生きるか分からないけど生きてる間の生活費を支給してもらうシステム。つまり、分譲マンションは区分所有権な訳でそれなりの資産価値がある。分譲マンションを○○会社に無償譲渡し代償として生活費の支給を受ける。ベーシックインカムと考えると分かりいいかも。難しいのは、マンションの価値といつまで生きるか分からない状況で死ぬまでの生活費を保障という契約が等しいのかと考えてしまうところ。この点は一考の余地はあるが、逆に新たなビジネスの種になることも十分に考えられる。人はみな必ず死ぬ…死ぬまでにできる対象者へのサービス、死んだ後にできるさらなる故人へのサービスもある。葬儀屋さんなんかも人が死んだら儲かるビジネスだけど、死ぬことをけして期待しているわけではなくて、死んだその人を如何に見送るかのサービス産業な訳だ。人が亡くなる時に必要なサービスをまとめたプラットホームを作ることもビジネスの種の一つかもしれない。…なんか一気に書いたから失礼な表現になってたらすいません。

似たサービスもう誰かやってるかもしれないね。

やっててもいいんだよね、真似て、そして追い越して自分が一番になればいい話だとも思う。

一人では何もできない。 「助けて」って言えるともう少し楽に生きれるのに なかなかその一言を口に出せない。 ここでは私の正直な言葉をつづっていきます。 面白いと思ってもらえるだけでも嬉しいですね。