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【ダイヤのA】沢村栄純 ソシオニクス性格&相性診断

【沢村栄純 簡易プロフィール】

※キャラクター同士の相性は前記事
【ダイヤのA】ソシオニクスキャラクター相性表&各関係性解説

※御幸一也の性格と相性の診断詳細は次記事
【ダイヤのA】御幸一也 ソシオニクス性格&相性診断

※降谷暁の性格と相性の診断詳細は
【ダイヤのA】降谷暁 ソシオニクス性格&相性診断

【ソシオニクスとは】

『ソシオニクス』とは、心理学・社会人格学の中でも『性格タイプと相性』を診ることが出来る類型論の一種。性格タイプは全部で16種類(サブタイプも含めると32種類、DCNHサブタイプやアクセント等々を含めれば千通りほども)存在し、それぞれのタイプの得手不得手や、タイプ同士の相性等を動的・客観的に診断することが出来る。

※なお16タイプ(MBTI)とは、ソシオニクスと同様に、ユング心理学から派生した類型論の一種。診断方法は異なるが、一部ではソシオニクスとの対応タイプがあるとされ、混同もされやすいため併記する。末尾が小文字になるソシオニクスの4字表記とは違い、MBTIは4字とも大文字で表記される。特に内向型は『4字目のアルファベットが入れ替わる』ので注意。なおMBTIではタイプ同士の相性を見られない(巷に溢れる『MBTIの相性』はデマ)

【ソシオニクスにまつわる誤解と注意点】

ソシオニクスの相性は単純に『良い悪い』というものではなく『ビジネスにおいては好相性だがプライべートには向かない』『少数での私的な関わりならいいが、集団を相手にするような公的な関わりだと困難がある』…等の複合的なものである。

『リアルで、家族・恋愛・友情・仕事・ライバル・師弟…等々のどういった関係性(を選びたい)』か、また『生まれ育った環境、常識、思想、世代、興味の対象…等』の『相性外要素』も含めれば組み合わせは『人の関わり合いの数』だけ、つまりは無数に存在し、一つとして同じ関係性はないため動的に見なければ判断出来ない。

最近は(配慮の関係もあり)『相性』という呼称ではなく『関係性』という呼称が用いられることも多いが、それだけでもやはり本質を見失う危険がある。残酷なようだが事実として『関係性の難易度』は確かに存在するためである。よって当方は敢えて『相性』の呼称も一緒に用いている。

また、たまに誤解されるが、衝突関係や超自我関係の相性だからと『相手を絶対に嫌いになる!』『関係が絶対に破綻する!』『憎しみ合い別れる!』と断定するものではない。

難度の高い関係性であることは事実で、致命的な仲違いから絶縁しやすい側面があることも否めないが『絶対』ではない。人として尊敬したり親しくなったりも当然ある。共に過ごした時間や、乗り越えたものが多ければ、必定そこには情も絆も生まれる。

『相性』の前に『縁』があるのが人間関係である。相性の良い相手とばかり関われるわけではないからこそ人は悩み、解決法を探す。

『相性上の関係性からリアルでの適切な関係・距離感を探る』あるいは『関係を保つための難易度を割り出し、相応の覚悟を持って対処法を学ぶ』…ソシオニクスはそのためにあるツールである。

【沢村栄純の性格タイプ『Fi-SEE』の概要】

沢村の性格タイプ『SEE』のキャッチフレーズは『今に生きる人』。

鋭い五感をフルに使って『今この時(主導Se=その人の最も得意とする要素)』に集中して物事に取り組む。信頼する親密な間柄の個人(創造Fi=二番目に得意とする要素)や、所属しているコミュニティを大切にして、その相手(仲間)と一緒に目標を成し遂げることを好む。

目の前の出来事への集中力は抜群だが、目先の物事に囚われやすくもあるため、後先はあまり考えられない。他人の言動は深読みや裏読みをせず、そのまま素直に受け止める。

SEEとしての沢村を象徴する一番のシーンは何と言っても春の市大三高戦。

『目の前の打者を打ち取る 投手の役割なんてそれだけじゃねぇのか どんな状況だろうと俺は俺を全うする』

この独白に全てが凝縮されている。雑念が消え『今この時』に完全に集中出来ている間の沢村は無敵と言えるほどに強い。

自我ブロックの主導機能(一番重視する得意要素)と創造機能(二番目に重視する得意要素)のどちらがより強いかを見る『サブタイプ』は、行動力に特化する分やや粗暴になる『Se』ではなく、他者との関係性や自身の感情に重きを置くためやや柔和な印象になる『Fi』で間違いないだろう。

『Fi-SEE』である沢村と『双対関係』にあたる青道高校のキャラクターは『Te-ILI』である『御幸一也』と、コーチの『落合博満』。

※『双対関係』とは、すべての機能と要素がパズルのピースのように隙間なく嵌る完璧な相補関係であり、ソシオニクスにおいては『最適』(有体に言えば好相性)であるとされる組み合わせのこと。
また沢村と御幸の場合は、サブタイプまでもが一致(フィット)した正真正銘の『最高相性』である(落合ともそうだが『相性外要素』である『世代』には隔たりがある)。

※サブタイプとは、各々の性格の最も重要な二要素の内の、どちらがより性質として濃く出ているかを見るもの。サブタイプの違いによって、性格の出方や他者へ与える印象、各タイプとの相性までもが微妙に変わってくる。サブタイプが不一致の双対関係は、サブタイプが一致した双対関係と比べると、互いに微妙なズレを感じ、関係性にやや不満を抱きやすいとされる。

【ソシオニクス4字診断の流れ】

(ユング式二分法診断…『モデルA』重視なので簡潔に)

SEEの4字表記は『ESFp』

・一文字目は、本人の性質が『外向型(E)』か『内向型(I)』かを見る。

※外向型は簡単に言えば『心理エネルギーが外へ向かい、他者との交流で充填するタイプ』。
※内向型は簡単に言えば『心理エネルギーが内へ向かい、一人でいるときに充填するタイプ』
※一人でいるとは言っても、関心事が常に『外』に向く場合は外向型の場合がある。外向型だから社交的で明るく、内向型だから消極的で内気というものではない点には注意が必要。

【E(外向)型の根拠】

沢村は『親密なグループの仲間達と何かを成し遂げる』ことを好み、常に『意識が外へ向いている』こと『他者と積極的に交流する(忌避感が一切ない)』ことからも、外向型であると判断。

・二文字目は、本人の情報収集の傾向が『感覚型(S)』か『直観型(N)』かを見る。

※感覚型は『今目の前で現実に起こっていること、五感を使い実際的』な知覚の仕方をする。
※直観型は『物事の全体像や可能性や裏側、今よりも先を考え抽象的』な知覚の仕方をする。

【S(感覚)型の根拠】

『五感』を使って『今』の状況を判断する能力に優れている点。逆にN型の特徴である『先を見通す、物事の裏側を予測する』等は明らかに苦手な描写が散見される点からも、感覚型であると判断。

・三文字目は、本人の判断・決定基準が『感情・倫理型(F)』か『思考・論理型(T)』かを見る。

※感情・倫理型は『自他の感情・気持ち、人への影響、正しさよりも優しさ』を選ぶ判断をする。
※思考・論理型は『合理性・公平・客観性、人の気持ちや優しさより正しさ』を選ぶ判断をする。

感情・倫理型だから頭が悪くて感情的な善人だとか、思考・論理型だから優しさがなくて冷徹な悪人だと言うことではない。冷静な振舞いをする感情型もいれば、感情的な言動をする思考型もいるので勘違いしないように注意。あくまで『判断・決定基準』が何かを見る。

【F(感情・倫理)型の根拠】

『気持ちで投げる投手』からも疑う余地はないだろう。その場その時の自分の気持ち、人との関係を大事にし、人へ影響し、人からの影響を受けて、時に自身の矜持さえ曲げるような決断をしようとする(クリスベンチ外確定後に辞退しようとしたり、チームのために打撃投手を務めようとするなど)から、感情・倫理型であると判断。

・四文字目は、外界へ接する際の心身の状態が『合理型(j)』か『非合理型(p)』かを見る。

※合理型は『強情で一度決めたことは変えたがらず、心身ともに強硬、絶対主義的』な振舞い。
※非合理型は『寛容で臨機応変に対応するのが得意、心身ともに柔軟、民主主義的』な振舞い。

【p(非合理)型の根拠】

予め計画を練り筋道を立ててその通りに進めるような性格ではない。思考も言動も身体も柔軟。頑固な部分もあるが絶対に曲げないような硬さはない。リーダーになると寛容な『民主主義スタイル』を取る。その場その時々で判断決定するタイプであることから、非合理型であると判断。

なおSEEの要素の力自体は『主導機能Se』の方が強いが、沢村の性格の特徴として強く出ているのは『創造機能Fi』。
Fiとは『一対一の他者との関係』や『自分自身の気持ち』を表す要素。
Seとは『自分や他者を積極的に動かす』『自分の外側の世界・現実を意志的に動かす』要素。
Fiをサブタイプに持つSEEは、Seをサブタイプに持つSEEよりも性質が柔和になる。

因みにSeをサブタイプに持つSEEには伊佐敷が該当する。彼はサブタイプFiの沢村よりも激しい気性の持ち主で、他者に影響されにくく、やや粗暴な面が強くなる(だが審判の前では礼儀正しかったり、沢村と同じく少女漫画を愛好していたり、夏敗退の記憶を長く引きずったりと、倫理観が強く、他者との関係性に誠実で、心根が繊細な面もしっかりと描かれている)。
Se-SEEの伊佐敷とFi-SEEの沢村。二人を対比させると、サブタイプの違いが掴みやすいだろう。

【ユング式二分法診断 結論】

4字診断『ESFp』/3字診断『(Fi-)SEE

【モデルAによる診断】

以下は『SEEのモデルA』を参照した上で読み進めると理解しやすい(しないと理解が難しい)と思います。リンク先はソシオニクス初心者の方にもおすすめのサイト『いざよいブログ』様。『モデルA』は『SEE解説ページ』にあります。

【自我ブロックとは】

モデルA最上段の二マスをまとめて『自我ブロック』と呼ぶ。左のマスは『第一(主導)機能』、右のマスは『第二(創造)機能』と呼ばれる。これらには『価値観として重視され、得意でもあり、力も強い』二要素が入る。

【第一機能『主導する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:重視 力の強弱:最強)

『主導機能』はその人が一番得意で最重要視している価値観。最強の武器であり、アイデンティティ。使命とも呼べるほどの人生の要。「私はどうしたいか」「私は何になりたいか」を探求する。

この中に入る要素は、常に使っていると言っても過言ではなく自信に満ち溢れている。自分にとっての『完全』で『常識』だからこそ、他人にもその部分の能力を強要しがちで頑固(他人の言うことを聞かない)という側面もある。

【沢村の『主導機能』】

★Se(外向感覚)★
実地でタイミングを計る、事を起こす、対抗、抵抗、攻撃力、反射神経、やる気、興奮、自信、自我(エゴ)、野性的本能、直感、目の前の現実への感覚、外見、質感、形、静的な物質、影響、直接的で物理的な効果、距離、広がり、範囲、外側へと向かう運動エネルギーの把握、五感をフルに使って今この瞬間から状況を捉える、溜め込んだ攻撃性の解放

『Se(外向感覚)』はこういった『今目の前で、実際的に起こる(自発的に起こす)事象や、現実へ直接的に作用する力』を示している。

Seを『自我ブロック』に持つ人は『今ある現実に直接的に関与していく能力が高い』ため、身体の使い方が上手く、スポーツや手指を使った作業も得意な場合が多い。フットワークが軽く、自分だけではなく他者の動かし方(圧の掛け方)も心得ている。
そのために、悪く出ると『暴力的』『粗暴』な要素として、他者の安全を直接的に脅かすことにもなりかねないところには注意が必要。

【沢村『主導機能Se』詳細解説】

Se主導らしい沢村のシーンは(何しろ常に使われている要素なので)全編通して色々あるが、個人的に強く印象に残っているのは『イップスを(思いがけず)克服した直後の七森戦』。

相手選手がアウトコースに狙いを定めてきている今こそインコースに欲しいが、克服したばかりだからまだ不安定で失敗するかもしれない。ここはアウトコースを丁寧に…そう御幸が外へ構えた際に、沢村から首を振ったシーン。

『敵の狙いを場の状況から察知し、現状を打破しようとする(Se)』…「今ここで行かなくていつ行くんすか(Se)」というあの積極性と挑戦心と気概。『今この瞬間(Se)』をこれでもかと発揮したタイミングの測り方がいかにも『Se主導』。

その提案で『Seが欠けている(Se暗示)』御幸が、物凄く嬉しそうにドキドキワクワクしているのもいかにも『双対関係』らしい。
自力で埋められない『暗示機能』の穴は、他者からその要素を強く発揮されるのを喜ぶ。互いの主導機能が互いの暗示機能と重なり合う双対関係が、すべての関係性の中でも最適とされる理由の第一だ。

なお御幸と沢村の出会いエピソードである東との対決で、直感的に『このコースは打たれる』とバウンドに切り替えた判断も『Se主導(+Fi創造)』だからこそ出来たことだろう。
薬師戦で打者轟に『投手の本能が煽られる』ところもSe的。御幸はその『本能(Se)』を押さえつけずに利用する形で昇華させた。

Seを自我に持つタイプは『今この瞬間(スタート地点)』から物事を見て判断、決定する。だからこそ真逆である『Ni(内向直観)』の視点『遠い未来(ゴール地点)』が欠けている。

つまり『今(Se)』に集中することで結果を出せるが、逆に『将来のこと(Ni)』『先輩の引退について(Ni)』など『先のことを自力でどうにかしようと意識しすぎる』と、崩れやすくなってしまうので注意が必要だ。

SEE沢村は『遠い未来の結果(Ni)』を自力では見通すことが出来ない。そのせいで道に迷いやすいため『今この時(Se)』から始まる物事の『終着点(Ni)』まで誰かに正しく導いてほしいと願っている。だからこの視点を持つ『Ni主導』の相手(特に双対関係のILI)を潜在的に欲している。

【第二機能『創造する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:重視 力の強弱:強)

『創造機能』は『主導機能』を補佐する機能。ほとんどの場合で主導機能とセットで使われる。主導機能があくまで「私はどうしたい、何になりたい」を探る『自分自身』を構成する核であるのに対し、創造機能はそんな自分自身が『外側の世界』とどう関わるか「他者とどう接するか」を探る。

主導機能も創造機能も『得意で重視している価値観』であることに変わりはないが、力の強さが異なる。自分の中の『最強で完全な核』であるために『頑固で誰の言うことも聞かない』主導機能とは異なり、創造機能は『不完全で柔軟』な機能だ。社会(他者)と自分(主導機能)との間の架け橋とするため『頑固一徹』ではやっていけない。常に改善の余地を残している。社会で様々な経験を積むたびに、柔軟に変化し成長していく機能。

【沢村の『創造機能』】

★Fi(内向感情・内向倫理)★
個人的な人間関係、個と個の交わり、自分自身の好き嫌い、個性、主観、趣味、道徳、価値、善悪の評価、愛着、関係構築、敵味方の判断、内的な調和、共感、同情、思いやり、支援、非難、判決(guilty or not guilty)、個人的な感情の協和もしくは不協和(仲が良いか悪いか、相手を好きか嫌いかなど)、自分と相手(人でも物でも)の関心の有無や、個人間の物理的・心理的距離をそれぞれに測る

他者との関係とは言っても『みんな(Fe)』を指すのではなく、『私とあなた(Fi)』…あくまでも『個人と個人の関わり』を『主観的』に把握するため『関係性の倫理』とも呼ばれる。自分自身の『私的な感情』や、『人と人・人と物・物と物との一対一の関係性を把握する力』を示している。

【沢村『創造機能Fi』詳細解説】

Fiを『創造機能』に持つ人は『自分の感情』を正しく理解し『相手との関係や距離感を良好に(あるいは適切に)保つこと』にも秀でているため、思い遣りに溢れた心根の優しい人も多い。

(ただし同じ『自我ブロック』でも『Fiを主導機能に持つ場合』は『主観や私的感情、倫理観』が強すぎて『絶対』になるため、必ずしも人当たりが柔らかいとは限らない。例えば『自我ブロックFi-Se』のESIである春市や『自我ブロックFi-Ne』であるEIIの奥村など『自分の信念に忠実で頑固』なタイプも多い。根は思いやり深く善良であることが多いが好き嫌いも激しく、悪くすると独善的になる場合があるので、その点には注意が必要)

『Fi自我』タイプは『敵味方を選別する目』も確かなため、誰とでもフレンドリーに接していると思いきや『対人面での線引き』は意外としっかりなされていることも特徴の一つ。客観的な視点が弱く、何事も『主観』だけで決め付ける思い込みの激しいところがあるため、もう少し視野を広く持つことが課題。

沢村の性格タイプである『SEE』は(オラオラ系要素の)Seを主導機能に持つために気質(我・エゴ)は強い部分もあるが『創造Fi』も兼ね備えるために本質的には優しい人柄の人気者タイプ。『コミュ強・陽キャ』などと呼ばれる性質が濃く出る場合が多く、明るく騒がしく楽しく円滑に対人関係を築いていく。

奔放そうに(場合によってはチャラけて)見えるキャラクター性とは反し(生活環境が健全な場合は)確かな『倫理観』や『道徳観念』を持ち合わせている場合が多い。沢村(や伊佐敷)が肝心な場面で意外と常識的な思考や振舞いをするのも、この『創造Fi(および脆弱Ti)』の作用だろう(加えてS型の方がN型よりも『地に足のついた現実的な思考になりやすいから』という事情もある)。

沢村の『創造Fi』らしさについては、第一に『御幸との関係』を論じたいのだが、これには沢村の第八機能である『証明Fe』の説明も必要になってくるため後述する。代わりにここでは市大三高のエースピッチャーである天久との関係に触れたい。

『Fi強者(自我)』は敵味方の見極めや線引きが得意だと前述したが、この辺は『夏・市大三高戦前』までの天久との距離感(普段の沢村からは考えられないほどの塩対応っぷり)によく表れている。

基本的には誰にでもフレンドリーに接することが出来るSEEだが『仲良くするべき相手』は厳しく見極めている。安易に気を許したり、下手に馴れ合うことはしない。パーソナルスペースが狭いようでいてその実、境界はしっかりしている。天久は『対戦チームのエースピッチャー』のため、チームメートや学友相手には作らない壁を築いたのだろう。

なお細かいところだが、沢村の友人への『名前呼び』の線引きも、かなりシビアで且つリアル。沢村は春市のことは『春っち』から『春市』に呼び方が変わったが、降谷から『栄純』と呼ばれても、沢村からの『降谷』呼びは崩れない。意外と名前呼びのハードルが高い。

これは降谷を『ライバル』だ(馴れ合う相手ではない)と強く意識しているからこそだろう。沢村のような人気者タイプはその辺のラインが地味にシビアであることがリアルでも多々ある。あだ名は簡単につけても気軽に名前呼びをしないのは、非常にSEEらしい『線引き』。(『倉持と二日だけタメになった期間のおふざけ』なんかはまた別としても)『公私ともに完全な味方』として相当信頼された親密な間柄になれないと難しいだろう。

『名前呼びでないと信頼がない』などと暴論を吐くつもりはないが、心理的な距離はやはり名前呼びの方が近い印象はある。沢村にとっての春市は『親友』のカテゴリなのだろう。

これは二人の『双子』とも呼ばれる類似タイプである『鏡像関係の相性』を考えても非常に納得がいく(詳細は後述)。

なお自分と他者とを繋ぐ『創造機能』は『他者の様子』に良く気付くため『他の人の問題解決』のために積極的に使うと良い。主導機能だけだと『自分』が強すぎて虚しさを感じる場合があるが、創造機能で『他者』と関わり役に立つことで満足感を得られる。

ただしその分だけ『他者の目』も気にする。『創造機能』を批判されるのは非常に不快だ。『創造機能が実現させようとしている主導機能の理想』…つまり『自己実現』を邪魔されることに等しく、またその価値をも否定されるようなものだからだ。

沢村で言えば『御幸に追いつきたい、近づきたい』という『自分の気持ちや御幸との関係性(Fi)』を否定されることは我慢がならないはずだ。特に『御幸との関係性』は、どのみち秋からは少なくとも一度は『物理的』に離れなければならないことを強く認識しているため余計だろう。

それはすなわち『(この人と一緒に)もっと上に行きたい(捕手のリードの正しさを証明できるような)理想の投手、理想のエースになりたい(この人と一緒なら出来る)』という、沢村の『一番の願望(自己実現)』を邪魔され、自分自身の価値さえも否定されるのに等しい。

何より、沢村の特性『自我Se-Fi』を思えば、沢村の中から『御幸の存在』を否定・排除してしまうことの方がとてつもない害だと断言できる。

2019年に現役を引退されたイチロー氏も現役時代に「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただ一つの道だと思っています」と語られているように『プロや将来や世界などの大きな目標』だけを見据えていれば立派で、なければ未熟などということは断じてない。

『大きな(将来的な)目標』を起点とする思考が効果的に働くのは自我に『Ne(発展の可能性)』や『Ni(時間的展望)』を持つ御幸のようなN型タイプだけで、それらを弱点に持つ沢村や降谷などのS型タイプが、それだけをいくら強く意識したところで自滅するだけだ。『大きな目標』へ辿り着くのに最も重要なのは、各人の特性に沿った思考と、それを積み重ねる行動である。

沢村なら『相棒として対等になりたい御幸の存在(Fi)』や『御幸へ追いつこうとする感情(Fi)』『ライバルとして追い越したい降谷の存在(Fi)』を起点に『今出来ること(Se)』を精一杯に、自分のペースで積み重ねていけばいい。『プロや将来や世界』への展望は、そのあとから自然と付いてくるだろう。

【SEE沢村とESI春市の『鏡像関係』比較】

『鏡像関係*』そう呼ばれるだけあって、沢村のSEEと春市のESIの機能要素は、鏡写しになっている。

*価値観も得手不得手も同じだが、要素の持つ力の強弱だけが反転する同一クアドラの関係である。『クアドラ』とは大まかに言えば、ソシオニクス全16タイプを4つのグループに分けたもので『重視する価値観が同じ』(基本的に相性が良く交流が最もスムーズな)4タイプが入る。実は御幸沢村春市は、皆同じガンマ・クアドラに属する。御幸と春市は双対に次ぐ好相性の『活性化関係』。なお春市の双対の相手は青道には存在しない。

『自ら積極的に行動して現実を動かしていくため(Se)』に『他者との親密な関係性を必要とし用いる(Fi)』SEE(主導機能Se-創造機能Fi)沢村。

対し、ESI(主導機能Fi-創造機能Se)春市は『他者との親密な関係性を築くため(Fi)』に『自ら積極的に行動して現実を動かしていく(Se)』性格タイプだ。

共に自我へSeとFiを持つ二人ではあるが、目的と手段は反転していることが分かるだろう。

そのため『自分が行動することありき(Seが目的)で、相手が自分にとって真に味方となる人物か否かを厳しく見定める必要がある(Fiは手段)』沢村とは違い、春市は『親密な関係性を築きたい相手ありき(Fiが目的)で、自分がどう動いていくかを決める必要がある(Seが手段)』のだ。

事実として春市は、冬合宿中に二遊間の相棒である倉持へ名前(洋さん)呼びをする許可を得るべく、自分から積極的に働きかけている。またごく初期に好感を持った沢村にも春市は、早々に名前呼びを選択している(その他同級生に対しては名字+君呼び)。

兄の亮介に対しても、その憧憬や尊敬を隠すこともなく、同じポジションである『セカンド』を選択している(才能のある弟から無邪気に追い上げられる恐怖を感じていたLII(主導機能Ti-創造機能Ne)亮介にとっては、相棒の立場になれる『ショート』を選んでくれた方が重圧が少なく済んだが、春市がそこへ思い至れていないのは二人が『意思疎通が困難で擦れ違いやすい』難度の高い相性である『超自我関係』であることも無関係ではないだろう)。

上記のように、共に過ごした時間や経験による自身の感覚で(その分時間はかかるが)自然と『名前呼び』に移行していった沢村とは異なる方法で、春市による信頼関係は(より積極的に)構築されていく。

【SEEの自我ブロック(主導Se+創造Fi)まとめ】

『主導Se』と『創造Fi』。この二つの要素は沢村の最大の強み。人生において積極的に押し出していくべき力で、アイデンティティ。この二つの要素は、第二機能が第一機能を補佐する形で使われ、相互的に作用する。

『相手の気持ちや立場に寄り添って(Fi)、言葉をかける(Se)』
『自分の感情に従って(Fi)、行動する(Se)』
『自分の主観で(Fi)、目の前の現実を理解する(Se)』
『一対一の関係の中で(Fi)、影響を与える(Se)』
『自分や身近な相手の趣味を考慮して(Fi)、外見に気を使う(Se)』

といったことが、沢村にとっては重要な価値観であり、思考や行動の軸であり、武器で得意技。そして何と言っても『気持ちで(Fi)投げる(Se)投手』…正にSEEの特徴そのもののスタイルだ。

【超自我ブロックとは】

『モデルA』の上から二段目の二マスをまとめて、『超自我ブロック』と呼ぶ。左のマスは『第四(脆弱)機能』、右のマスは『第三(規範)機能』と呼ばれる。これらには『価値観として軽視され、苦手で且つ、力も弱い』二要素が入る。

【第三機能『規範の機能』】

(得意不得意:苦手 重視軽視:軽視 力の強弱:弱)

自我ブロックに入る主導機能と創造機能が自分の『得意・重視』を表し、積極的に押し出していこうとするのに対し、第三の機能であるこの『規範機能』には自信がない。反面「すべき」「せねば」とその人の『義務感』を煽る。

本質的には『苦手』で価値観としても『軽視』している機能だが、『社会から爪弾きにならないために、なんとしても自力で扱えるようにならなければ』と本人が強く自覚する弱点。

『社会の一員として認められるため』に、表向き『出来るような顔をしてしまう』機能であるためか、慣れない環境下や、緊張する場面、初対面などの良く知らない人物の前で発揮される『仮面・ペルソナ』の役割を担う機能でもある。

【沢村の『規範機能』】

★Ne(外向直観)★
発展の可能性、自他のポテンシャル、見えない動機、未知なるもの、新しい事、才能、能力、適性、仮説、推測、革新、実験、置換、同形、類似、本質、不確実性、好機の把握、チャンス、創始、情報の更新、興味や関わりの多様性、独創的アイデア、奇抜な発想、多角的視点、好奇心、殻を破って新しい風を吹き込むこと、右脳的イメージ

目の前で実際に起こっていることや、現実的なこと、実態を伴うものについてを五感で把握するS型(SeやSi)とは違い、N型(NeやNi)は、その裏側にある可能性、目に見えない本質や、実態を伴わないアイデア、インスピレーションなどを扱うことに長ける。

Neは『発展の可能性』を見る。一つの事象から『起こり得る(あり得る)』沢山の可能性を多角的に弾き出す。『一本の筒から広範囲に拡散する散弾銃』のイメージ。

(Ne自我タイプの思考は『連想ゲーム』と言われる。「リンゴは赤い」という会話から、リンゴは赤い→赤いポスト→ポストに手紙→手紙は…等と繋がっていく)

【沢村『規範機能Ne』詳細解説】

沢村は人や物事の裏、隠された意図動機、あり得る可能性を読めない。
また自分自身が直接的に関われない(経験できない)こと、未知の(新しい)価値観にも、内心興味がない。
他者の言葉の裏も考えようとはせず、相手の話は真正面から素直に受け止めようとする(以前に御幸からの褒め言葉を素直に受け取れなかったように、たまに疑っても『的外れ』だったりする。これに関しては御幸の普段の行いのせいも大きいが)。

かつてまだ野球脳が発達していなかったころの沢村が『野球観戦』を好まなかった理由の一つにも恐らく関わっているだろう。
Neが『超自我ブロック』にある場合「この場面で自分ならどうする」といった思考が弱く、面白味も感じにくくなるため『自分が直接関われないゲーム』を楽しめなかったのだろうと思われる。

ただ『超自我ブロック』の中でも『規範機能』にある要素は『人よりも劣っている(弱い)』自覚があるものの『扱えないと社会の一員と認めてもらえない』という強迫観念を同時に抱いてしまう機能なので『苦手なのに人並みに扱えるような顔をしてしまう』という特徴がある。

特に慣れない環境下や緊張する場面、初対面などの良く知らない人物の前で発揮されるため『仮面・ペルソナの機能』とも呼ばれる。

『規範Neのペルソナ』を持つSEEは、慣れない環境下では『自身のポテンシャルをアピール』しがち。初対面の相手に『有能な人間』として見てもらいたい気持ちが強い。

ただし本質的にはNe(ひらめきやハッタリ等の直観的なアイデアの要素)が弱いため(実際的な積み重ねや目に見える実績がない場合には)その根拠を提示することが出来ず、周囲からは『根拠のない自信』と見られ侮られてしまうことも。

初期沢村が入部早々にぶち上げた「エースになるためにここに来てる」発言などもその典型だろう(勿論沢村からすれば『故郷の仲間との約束』や『御幸への憧憬』があるからこその本気の言葉ではあるのだが、残念ながらまだ『実』はない)。

またすぐに人に『あだ名』を付けようとするところも規範Ne的と言えるかもしれない。『Ne強者』は皆が呼ぶようになる『あだ名』や心に残る『キャッチフレーズ』などを考えることに長けていて、普段から『上手いことを言える』人が多いのだが、これが規範機能にあるとあまり上手くはないので、付けた『あだ名』も周囲には浸透しにくい(沢村の付けたあだ名も大体は沢村限定の呼称になっている)。秋川との試合中にベンチで『上手いこと言いたくて必死(言えない)』シーンがあったのもNe規範的。

なお新主将に就任してからの御幸に対する『キャップ』呼びは、前主将結城に対する『リーダー』を意識してのことだろう。『御幸にキャプテンである自覚と自信を付けさせたい』沢村からのエールと心遣いが込められているようで、ここからは『規範Ne』ではなく『創造Fi』や『証明Fe』を強く感じる(非常に『公的』な呼称なので、個人的には沢村からの『私的』な「御幸先輩」呼びが恋しい)。

この機能はあくまでも『自覚する弱点』の一つなので、沢村の思考が『もし○○だったらどうしよう、★★だったらどうしよう』と『数多の目に見えない可能性(その他『Neの管轄』)』ばかりを追ってしまうと、精神的に疲弊してしまうことには注意が必要だ。

【第四機能『脆弱な機能』とは】

(得意不得意:苦手 重視軽視:軽視 力の強弱:最弱)

第四の機能である『脆弱機能』は全機能・要素の中でも『最も弱く、最も軽視され、最も苦手』とされる機能。

「とにかく苦手だし自分としてはどうでもいいとしか思えないのに他人から攻撃されて辛い…克服するとか上手くなりたいとかじゃなくて、ぶっちゃけもう直視したくないし逃げたい…」
そういった強烈な苦手意識と劣等感を抱いている。

自身の『一番の弱点』と認識しているので、無理に使うとストレスになる(社会におけるこの機能・要素の必要性自体は理解しているので、どうしても使わなければならないときには気力を振り絞って頑張る。しかしSAN値をガンガン削りながら精一杯に頑張っても人並み以下の結果しか出せない)。

また実際に使い過ぎると精神を病んでしまうため、自分の代わりに引き受けてくれる人(この機能を得意とする、特に双対関係の相手)を随時募集している。

何度も言うが『病む』ので、この機能だけは『苦手だけど出来るようになろう』などと無理に努力してはいけない。得意な他者へ丸投げ出来るならしてしまうことをお勧めする。くれぐれも無理をせず、心身の健康を優先させてほしい。

【沢村の『脆弱機能』】

★Ti(内向思考・内向論理)★
客観的基準(大小、強弱、遠近、価値、質の比較)、枠組み、カテゴリー、一貫した論理、構造、体系、分類、法則、分析、合致、説得力、統一性、回路の創造、法、ルール、命令、計画、管理体制、構築、システム、言行一致、見合うこと、共約可能性、理解、秩序、あるいはその欠如、哲学

別名『構造的な論理』。簡単に言えば「客観的に比較して当てはまる枠の中へ分類する」要素。例えば『鶏卵のサイズをSSからLLまで一つずつ測って仕分けをし、それぞれの決められたパックに詰めていく』…ようなイメージ。『ジャンルごとに分けられ綺麗に整頓された本棚』をイメージしてもいい。

『ルール』と言うと、社会常識や法律、規則等の堅い印象を持たれるが、実は『自分ルール』こそがTiの管轄だ。『Ti強者』は、たとえ『社会的に常識』とされる基準でも、自分基準で納得いかなければ、独自に新たな枠組みを作ろうと試みる傾向が強い。

(そのため上記の『仕分け』の例だと、『卵の色合いの美しさや手触り』とか『本の大きさや厚み、表紙の色』といった独特な基準で分けられることも多々。それこそ『卵』や『本』というカテゴライズすら無視されるかもしれない)

『Te』と『Ti』は、どちらも『ロジカルシンキング』を得意とするが、その性質は全く異なるのである。

『Te』は『外部ソース(文献や伝聞を含む事実的な情報)』を用いて蓄えた知識から、社会一般で云われる常識や既存ルールの中での『利益』『効率化』『生産性』を求める(=実践的ロジック)。

『Ti』は『自身の内部に一貫した理論を構築・展開』し、その『理論を通じて現実を見る』ため、時に一般的な常識さえも疑ってかかることになるのだ(=構造的ロジック)。

『Ti重視』タイプは、自分自身の『外側』にあるものは信用せず、『内側』に構築した『独自の価値観で組み上げた理論』をこそ信頼している。

(特に『Ti主導』タイプは、構造化した理論を『完全なもの』とし『理論の中へ現実の物事を当て嵌めて』考えようとする。『Ti創造』タイプも同じく『理論を通して現実を見る』が、その理論を『完全』とまでは思わない。『仮定』に留め、新しい情報を得るたびに更新する柔軟さを持っている)

【沢村『脆弱機能Ti』の詳細解説】

このTiの要素が大変に苦手なSEEは『理論』や『理論内の法則』をなかなか理解出来ないし、そこに例え『矛盾や穴』があっても気付けない場合が多い。

自力では勿論、誰かから教わっても頭の中だけで論理を組み立てるのは困難で『理論武装』もほぼ不可能。『理論』で攻撃されると反撃の術を持てないため、知的な議論の場では発言しようとしない。

『自分に必要』だと明確に分かるまでは『新しい理論』を取り入れようともしない。自分で扱う『理論』はごく少数に抑えることを好む。

また『理論的な知識』に関しては内心興味も持てないので、丸飲みするか丸投げするかの両極端になりやすい。信頼している人の『ロジック』は「そういうものなのだろう」と鵜呑みにして従おうとする。

『理論を自力で噛み砕いて吸収し、比較検討する』といったことが何よりも不得手なので、『自分にも分かるように翻訳してくれる』他者からの助けが必須となってくるのだ。

意外と読書を好む沢村が、その記述を丸暗記する癖に内容を正しく理解出来ていない場合が多いのもTiが脆弱機能にあるせいだろう。SEEは良くも悪くも『実体験』が武器になる。

(上記沢村の『文献から知識を得ようとする』行動自体は『外部にソースを求めるTe』が動員機能にあるためだろう。詳細は次々項にて)

その他、沢村の『Ti脆弱』が浮き彫りになっているエピソードとして非常に分かりやすいのは、七森戦(沢村イップス克服)直前に行われた、沢村についての御幸と前園の会話。

前園「外のボールが武器になるってわかったことで 今までとはインコースの捉え方が変わってきたんやろな・・沢村の場合理屈じゃなく身体がそう感じ始めたってところか」

御幸「肌で感じなきゃ理解出来ないってのは沢村らしいよな・・」

二人共が『頭(理屈・理論)ではなく身体(経験・体験)で覚える』SEE沢村の特性『主導Seと脆弱Ti』を的確に捉えている。

だからこそ沢村は、新技習得のための投球練習でも『理論で説明されただけの(感覚として馴染んでいない)初期段階』では上手く再現することが出来ず、毎度のように絶望的な『不器用さ』を晒してしまう。だが練習を繰り返し、その方法が身体に馴染んだ(理論のTiから実践のSeに変換された)後は、技巧派の投手らしくかなり『器用』にその技を駆使して戦うことが出来るようになるのだ。

またイップス発覚後のアウトコース履修前に、映像でバッターがいる場合とそうでない場合の自身の投球フォームの違いを確認していた際に、御幸が「ゴチャゴチャ難しく考えるな バカなんだから」と言って止めたのは、ソシオニクスで言ったら『ファインプレー』。

『Ti脆弱』の沢村は、例によって『客観的で細かな比較』を得意としない。あまりそこにばかり拘ると、どんどん自信を失くして精神的にも追い詰められ病んでいく一方だっただろう。

御幸の口は悪いが映像の内容…『今のフォームの何が以前と違うのか』等の『Ti要素』には直接言及していない。「元々たいしてコントロールも良くねぇんだし」という発言で、沢村にそれ以上『Tiについて』を考えさせないように思考を誘導している。

更に次項の『超イドブロック(苦手・重視)』に入る『暗示Ni(=ずっとこのままだったらどうしよう)、動員Te(=戦力外)』といった思考からも遠ざけて、沢村の意識を『主導Se』…『とりあえず今、出来る限りのことをする』というところまで引き戻すことに成功している。

そこからのクリス降臨で『アウトロー』の指導に入るが、ここへ至るにも前述の下地が重要。沢村の根本的な迷い『今まで出来たこと(Ti)』から『今出来ること(Se)』へ意識を移行した後だからこそ『制球力(Se)』に集中出来た側面は絶対にある。

御幸の独白から、恐らくクリスへ指導を依頼したらしいことも窺えるし、このタイミングでわざと『コントロール』を腐したことで沢村の『新たな武器習得』へ向かう意欲にも火を付けている。

先に『脆弱機能』についてを『自分の代わりに引き受けてくれる人(この機能を得意とする、特に双対関係の相手)を随時募集している』と前置いたが、こういった御幸のアシストこそが沢村の求めるソレだ。

人には得手不得手があり、だからこそ助け合って生きている。中には自力で学習し壁を超えるべきもの(次次項『動員機能』等)もあるが、だからと言って『何でも一人で努力して克服すればいい』というものでもないのである。この『脆弱機能』のように沢村個人の力ではどうにもできないことは、御幸が代わりに考えてあげればいい。

沢村と双対関係である御幸は、Tiの要素を『イドブロック』内の『証明機能』に持っている。
御幸にとっての『Ti』は得意だが軽視している要素のため、沢村の『Ti』の未熟さを気にせず、拙さに目くじらを立てることもなしに、フォローしたり、肩代わりしてあげられる。

双対関係の相手は、自分の『脆く傷つきやすい脆弱機能を直接的に庇ってくれる』ありがたい存在(勿論、御幸の『脆弱機能』は沢村が守ってあげる立場になる。相互に助け合う関係)だ。

【IEIクリスとSEE沢村の相性】

クリスのソシオニクスタイプはNi-IEI(自我ブロックNi-Fe)で、SEE沢村との相性は『準双対関係』。双対、活性化に次いで、三番目くらいに良好とされる関係である。

とは言え、IEIはベータ・クアドラ、SEEはガンマ・クアドラと、それぞれが別クアドラに所属する関係であり、大元の価値観自体は異なる。『不完全な補完』と言われるだけあって、プライベートでのコミュニケーションは互いに一方通行。自分本位になりがちだ。

自分の価値観を押し付けたり、振り回してしまったりと、少し緊張も残るが、基本的には互いの個性と長所を引き出し合い高め合える、とても有意義な関係である。

まさに沢村の持ち味を引き出したクリスと、クリスの捕手としての能力を最大限に発揮させ、瞳にも光を取り戻させた沢村のコンビを彷彿とさせる。

個人的に沢村はクリスの前ではいつもピシっと背筋を伸ばして正座していそうな印象がある。御幸の前のように、気を抜いてクッション抱えてダラダラと寝転がって…といったイメージは出来ない。

それこそが『コミュニケーションに少し緊張する準双対関係』と『いつでもありのままの自分でいられる双対関係』との違いかもしれない。

因みに、監督の片岡もクリスとまったく同じNi-IEIである。

【SEEの超自我ブロック(脆弱Ti+規範Ne)まとめ】

『脆弱Ti』と『規範Ne』。この二つの要素は沢村の最大の弱み。人生においてなるべく関わるべきではない『コンプレックス』を示している。この二つの要素は脆く繊細で非常に傷つきやすい。使い過ぎるとエネルギーを消耗し、最悪は心を病んでしまうので、出来ればこの要素を肩代わりしてくれる相手を見つけられるといい。

例)
『可能性に囚われて(Ne)、他者と自分を比較する(Ti)』
『新しい概念を用いて(Ne)、システムを構築する(Ti)』
『奇抜な発想から(Ne)、ルールを理解する(Ti)』
『仮説から(Ne)、一貫した論理を組み立てる(Ti)』
『独創的アイデアを(Ne)、適切な枠組みに当て嵌める(Ti)』

といったことは、沢村にとっては『どうでもいいし、正直何を言っているのか理解も出来ない』価値観であり、強制されると非常にストレスになる。また意識がこういった『超自我ブロック』に強く向くと、途端に心身のバランスが崩れて調子を落とす。その場合は、『自我ブロック』に集中して持ち直すと良い。

【『超イドブロック』とは】

『モデルA』の上から三段目の二マスをまとめて、『超イドブロック』と呼ぶ。左のマスは『第六(動員)機能』、右のマスは『第五(暗示)機能』と呼ばれる。これらには『価値観としては重視されるが、苦手で且つ、力も弱い』二要素が入る。

【第五機能『暗示する機能』】

(得意不得意:苦手 重視軽視:重視 力の強弱:最弱)

『示唆』『盲点』とも呼ばれる。力の強弱で言えば、前項の『脆弱機能』と同様に最弱。もはや『欠けている』レベルで苦手な機能だが、潜在的には『出来るようになりたい』と渇望している機能で、人生の意義、テーマとも言うべき重要ポイント。この穴を埋められるか否かで、人生の豊かさ(満足度)が大幅に変わってくる。もし埋められたなら最上の喜びを得ることが出来る。

ところが残酷なことに、この『暗示機能』は、他者から学ぼうとしたり、本人が必死に努力したところで、『自力で自由に使えるようには絶対になれない』。弱いというよりも『最初から持ち合わせていない』、『欠けている』機能である。よってそれを『大得意』とし『自在に扱える相手』がパートナーとして必要になってくる。その相手に補ってもらうことで、やっと知覚出来るようになる。

【沢村の『暗示機能』】

★Ni(内向直観)★
時間に関する直観、時を超えた発展、過去現在未来の流れの把握。物事がどう進行し発展していくのかを観る。因果、予期、予防、予想、結果、比喩、記憶、暗示、催眠、幻影、象徴性、歴史性、反復、反映、予感、長期的視点からタイミングを計る、典型的な主題と例、歴史や過去に原因を探すこと、現象の通時的な予測、物事のリズム、後でやるか今やるか、発達した想像力、独特の精神世界

Niは『時間的展望』とも呼ばれる。
『一つの事象から多角的に発展の可能性を予想』するNeとは違い、Niは『過去と現在に起きた(起こす)出来事が、最終的に辿り着く遠い未来の結果を予測』する。
『細い川の流れが次々に合流していき、やがては一つの太い河になって海へ流れ込んでいく』ような、時間の経過と共に一本の束へと『収束』していく様子がNiのイメージ。

Niを『自我ブロック』に持つ人は、因果を把握するための膨大な記憶と、生来の鋭い洞察力が合わさった結果なのか、『第六感(霊感とは違う)』が強いとされる。実際に、彼ら(特に『主導Ni』のILIとIEI)の『虫の知らせ』や『予言』はよく当たるので、軽んじない方がいい。

【沢村『暗示機能Ni』詳細解説】

この『Ni』の視点が欠けている沢村のタイプSEEは、例によって『現在起こっている出来事に対応する(Se)』ことが得意な分だけ『その出来事が決着するまでの長期的視野(Ni)』を持たない。

遠い未来の結果を予測することが出来ず、そこへ至るまでの過程も読み解けないので「その道の途中途中で誰と関わり何をするべきなのか」の取捨選択が適切に出来ずに迷走しがち。考える前に身体が動いてしまうタイプなので、衝動的に行動した結果に後悔することも多々ある。

そういった『行動力はあるが後先を考えられない』自分をどうにかセーブしたい願望があるので、時間の流れや物事の先、結果、的確なタイミングを読み掴める『長期的目線と指針を持った冷静な人』を尊敬し、その助けを強く求める。

SEEの双対関係はNiを最も得意とするILI。沢村にとっては御幸が該当するが、沢村の進路決定にも御幸のNiは大きく影響している。詳細は第八(証明)機能の項にまとめるが、ここでもNiに絞って簡単に結論付ける。

沢村は御幸と出会い、彼からもらった「投手と捕手が一体となって作り上げる作品」等の言葉と11球だけの即席バッテリーを組んだ経験から、それまでには考えたことすら無かった新しい『将来の展望(Ni)』を見せられたことで意識が変わり、何もなければ馴染んだ故郷の仲間達と平穏に平凡に続くはずだった人生をも劇的に変えられた。

『暗示機能の欠落を埋めることが出来れば人生で最高の喜びを得られる』とは正にこのことで、自分だけでは決して手に入れられない新たな視点を、それを得意とする他者の手からもたらされることで『人生で達成したい本当の願望・本当の幸福』をはじめて認識出来るようになる。

御幸との出会いによって沢村も『自己実現(その人本来のありのままの姿になること)』への第一歩を踏み出すこととなった。実に『双対関係』らしい補完の経緯である。

なお高校野球の更にその先にある『プロ』の世界を沢村にはじめて認識・意識させたのも、御幸の発言から。もしこれが沢村の『創造機能Fi』にとっての『最重要人物』である御幸でなければ、沢村はそこまで強く『プロ』を意識することはなかっただろう(沢村は『個人的関係』を意味する『Fi』を重視するため)。御幸一也はどこまでも『沢村栄純へ新たな未来の指針を示す』キャラクターとして、沢村の中核に存在し続けている。

また白龍戦前夜に沢村が「良い投球したらエースになれるんですか?」と質問をした際も、御幸はすぐに「結果は後からついてくる」と答え沢村の意識を『暗示Niから主導Se』へと引き戻している。
それまでの経緯を考えれば『欲しがり野郎』と己を諫める沢村は自分に厳しすぎるきらいはあるが、そのままの意識であれば乱調していた可能性も高い。

前項『Ti』の件もそうだが、御幸は沢村を不調に貶める要素を事前に摘む機会が突出して多い。これも『双対関係』故かもしれない。

ただし『なるべく心身の距離が近い方が良い』とされる『双対関係』にしては開き過ぎている『日常での距離感』のせいか、逆に沢村のコンディションが崩れてもおかしくない御幸の言動も多いところは気がかりである。

沢村の『自我ブロック』は例によって『Se-Fi』なので、特に『親しい・憧れる・信頼する人(Fi)との会話・密なコミュニケーションやスキンシップ(Se)』が、沢村の健全な心身にとっては非常に重要である。

だが御幸はどういった理由でか沢村との交流を積極的に行わず、読者からは沢村のライバルである降谷との交流が多く見え(たとえ御幸にはそんなつもりがなかったとしても)act.Ⅱ256話では恐らく沢村からも『御幸の中での価値や順位は降谷の方が優位である』と認識されてしまった。

これは沢村の『自我ブロック(Se-Fi)』には大変に大きなダメージで、なるべく意識しない方が良い『超自我ブロック(Ti-Ne)』…例えば『プロの可能性の話(Ne)に囚われて、降谷と自分を執拗に比較する(Ti)』といった思考へ一気に傾き、心を病んでしまう可能性までもが考えられる。

主に御幸の選択や言動によって、沢村と御幸の信頼関係は今にもひび割れそうに脆く不安定になっているようにも見える。

【第六機能『動員する機能』】

(得意不得意:苦手 重視軽視:重視 力の強弱:弱)

『動員機能』は『暗示機能』と同じく苦手でバランスを取れないが、強く憧れている要素。ただし自力では一切扱えないし学習すらできない『暗示機能』とは違い、この『動員機能』は経験を積んだり他者から学ぶことで、ある程度は自分でも扱えるようになる。

人生には必要だし手助けも嬉しいが、優先度は『暗示機能』の方が上なので、人によって夢中になるか無関心を貫こうとするかで極端に別れる傾向がある(なおいくら避けようとしていても、一度でもスイッチが入ると無関心ではいられなくなる場合が多い)。

『規範機能』と『脆弱機能』の入る『超自我ブロック』と、『暗示機能』と『動員機能』の入る『超イドブロック』。

どちらも同じように苦手で力も弱い要素だが、唯一にして最大の違いは『価値観の軽重』。軽視している『超自我ブロック』には『嫌悪感』が付きまとうが、『超イドブロック』には一切『嫌悪がない』ところが特徴。

人は『顕在意識』にある『超自我ブロック』の機能については『劣等感を自覚する』ため、少しの干渉でも嫌う。至らなさを指摘されるなど以ての外。だが『潜在意識』にある『超イドブロック』に関しては『無意識の領域』なので一切の負の感情がない。親鳥から餌を与えられる雛鳥のように、素直に純粋にただ情報を求めているので、その要素を得意とする人からの積極的な介入をむしろ有難がる。

ただし『暗示機能』は『何一つ自分では判断出来ず疑わない』ため、危険人物からの偽情報さえ鵜呑みにしてしまう危うさがある。一方『動員機能』は選り好みをするため情報が偏りやすい。何にしても『超イドブロック』の情報収集は、いかに『信頼できる相手』を見つけられるかがカギである。

【沢村の『動員機能』】

★Te(外向思考・外向論理)★
効率、方法、生産性、正確性、行動原理、事実的知識とその情報、メカニズム、働き、リーダーシップ、利益、功利主義、便宜、有益なアクションの見積り、仕事、損得、金銭、実践までの筋道、動く根拠、自然と動き出すこと、動きたくてたまらないこと、最も論理的な行動の流れへと活動を方向づけること

Teはまず、どこで何がどのようにして起こるのか、人の言動や機械の動き…そういった『事実』に着目する。そこから更に、どう動かせば『効率的』か、どう動けば『利益』を上げられるか、そもそもその『情報』は正確なのか…といった客観的判断を下す能力でもあるとされる。Teはその性質から『ビジネスロジック』や『実践的ロジック』とも呼ばれる。

Teを自我に持つ人は『事実的データ・知識』を脳内に蓄積させ、『利益』を上げるために利用する。ソースは必ずしも自身の体験である必要はなく、本や他者からの伝聞など外部から引っ張ってくることも多い。

『自分の中に体系化した理論や知識の一貫性』を何よりも重んじる『Ti自我』タイプとは違い『Te自我』タイプにとって真に重要なのは、情報や知識そのものではなく、それらを使って『現実に何を実践し実現させていくか』である。

【沢村『動員機能Te』詳細解説】

一年初期の沢村は苦手意識が先行してか、Teに関わる分野は極力『無視する』か『渋々従う』傾向が強かった。球種はストレート一本で「真っ向勝負」を信条として掲げていたことからも『利益・効率』といった考え方とは無縁だったことが伺える。

それがクリスとの和解から徐々に変化の兆しを見せ、球種を増やしたり、コントロールを学んだり、その他諸々の野球脳を育てるのと共に成長してきて、更にact.Ⅱの春の市大三高戦以降からはまた様子が変わる。

沢村にとっての『理想のエース像』に必要不可欠な能力だと気付いたからだろう。『捕手のリードの正しさを証明できるのは投手だけ』…その『理想像』へ近づくためにも、御幸の『リード』を理解したい『リード』を学びたい『スコアブック』を読めるようになりたいと、突如としてこの『動員Te』が活性化した。

その辺の沢村の変化は、

『御幸の自我ブロックNi-Te(事実的知識から導き出された先の予測)によるリードを少しでも理解し、自分の主導Se(ピッチング)を通じてその正しさを証明したい沢村の創造Fi(献身性)』

からくるものであると解釈するとイメージが掴めるかもしれない。
御幸沢村バッテリーの『旦那(投手)が女房(捕手)へ献身的に尽くす』構図は独特だが面白い。

沢村の『Te』が働くことで『Ni-Te』を自我に持つ捕手と『Se-Fi』を自我に持つ投手らしい『御幸沢村バッテリーにとっての理想形』に近づいたと言える。

『動員機能』は、学べば学んだだけグングン育つ機能なので『御幸のリード』についての考え方を学べる『御幸塾(御幸から動員Teを学べると同時に、暗示Niにも刺激をもらえる、沢村にとっては最高の場)』での学習は非常に楽しいはずだ(ただし『苦手』であることには変わりないので、そればかりに集中していると疲れてしまうが)。

なお御幸はTeを『自我ブロック』である『創造機能』に持っている。そして沢村の最大弱点である『脆弱Ti』は得意だが軽視している『イドブロック(証明機能)』内にあるため『御幸塾』の内容も『理論(Ti)』についてはそこそこに『実践(Te)』についてを重点的に学べる貴重な場となっている

(詳細は次記事の【御幸一也 ソシオニクス性格・相性診断】で触れるので省くが、実際に描かれた『御幸塾』での内容自体が『Teに重きを置かれていた』ことは間違いない)。

そんな『Te強者』である御幸に対して沢村は、今や自らで『プレゼンテーション』が出来るほどにまで『Te』が発達している。

因みに『Te』は『経験や現在進行形の情報、もしくは文献や伝聞からの事実的ソース』を示す要素なので、沢村が『本や動画で調べた』ところまでは良かった。だが肝心な内容である『ボールの軸・回転効率・変化量』等の『理論』は『脆弱機能Ti』の管轄(実践の前に理論を理解する段階)なので、寝落ちするのも無理はない。

同じ本からの知識でも『野球選手の体験談』や『実践記録』のような内容(自分の実践経験とリンクしやすいもの)であれば、沢村単独でも理解が可能になるだろう。その後に御幸や落合が実践する場を設け、もし沢村の理解が足りなければサポートしてあげると尚良い。

繰り返すがSEEは『実地で身体に落とし込んだことのある理論』以外は理解するのが困難である。よって沢村には『五感や実例を用いた実践的な指導や学習(SeやTe)』が効果的だ。

こうした試行錯誤の末に『なら(自分の手持ちの武器の中で)何を伸ばすか』に到達した思考はまさに『効率と利益』そして『実践』を重んじる『Te=ビジネスロジック』そのもの。加えて『主導Se』の実行力があるため非常に強い。沢村の成長速度とポテンシャルの高さは驚異的である。

(これが『御幸とそのリードを理解したいがために育てた力=創造Fiの強さ』なのだと御幸自身が知る時がくれば、ここへきてもなお蕾のままの二人の関係も花開いていけそうなのだが…)

御幸沢村コンビのような双対関係の相手は『対』の存在だ。互いの『人生の使命(自我)』が、互いの『人生の意義(超イド)』と重なっているため『二人で力を合わせる』ことで自然と『人生の理想』が実現していくように出来ている。

だが双対関係の相手とは、人生の中でも何度もは関われないだろう。出会えても興味関心を寄せる分野が異なったり、掛け離れたコミュニティに所属していたりと『相性外要素』に隔たりがある=縁が薄い場合が多く、深く関わること自体が難しい貴重な相手のため、もし『自分のテリトリー内』で出会えたなら、その奇跡的な縁を大事にするといい。

「最高のピッチング(Ni=望む結果・未来の展望)ってやつは投手と捕手とが一体となって(Fi=一対一の密な関係性/Te=有益なアクション・行動原理)作り上げる作品(Se=身体を使って実現させる)だろ?」

『理想のバッテリー論』とでも言うべき、御幸と沢村の起点であり、現在の沢村のコアにもなっている御幸の台詞は、互いの『自我』と『超イド』が絡まり合って出来ている。正に二人の目指す着地点(理想)が同じであることを示している。

御幸は沢村の『実現力』を、沢村は御幸の『将来を見通す力』を、互いに求めているのである。

【SEEの超イドブロック(動員Te+暗示Ni)のまとめ】

『動員Te』と『暗示Ni』。この二つの要素は沢村の欠落にして最大の憧れ。
意義深い最高の人生にするためには得意機能である『自我ブロック』だけではなく、この『超イドブロック』の価値観を何としても手に入れたい…そういった強い飢餓感と願望を抱く。
この二つの要素、特に『暗示機能』は自力ではけして獲得できない。この機能を『自我ブロック』に持つ(特に双対関係の)パートナーを見つけて『与えてもらう』必要がある。

例)
『未来を予測するために(Ni)、事実的データを参照する(Te)』
『結果を出すために(Ni)、実践までの筋道を描く(Te)』
『タイミングを計るために(Ni)、正確なメカニズムを把握する(Te)』
『辿り着きたいゴールを目指すために(Ni)、必要な利益を出す(Te)』

といったことは、沢村にとっては得難い最高の視点で価値観。なお沢村と双対関係の御幸はこの『Ni-Te』の価値観を『自我ブロック』に持っていて、沢村へ随時提供することが出来る。
御幸の持ち味である『蓄積された過去データ(Te)からの正確な予測(Ni)に基づくリード』や『狙い撃ち/読み打ち』のスタイルは正に『自我Ni-Te』の真骨頂とも呼べる。

自分の中にはない視点を与えられることで、自らの人生に「自分だけではありえなかった楽しみや喜び」をトッピングしてもらえる。そういった『互いにとって条件のいい(生まれ育った環境、国、文化、言語、思想、常識、世代、興味の対象…等の相性外要素に問題のない)双対関係』の相手と出会えると、モノクロの風景に一斉に色がついたように、ぱあっと目の前が開け、『自らの人生』が鮮やかに彩られるように感じる。
御幸の価値観は沢村の、沢村の価値観は御幸の、『自己実現』に必要不可欠なものである。

【『イドブロック』とは】

『モデルA』の最下段の二マスをまとめて、『イドブロック』と呼ぶ。左のマスは『第七(無視)機能』、右のマスは『第八(証明)機能』と呼ばれる。これらには『価値観としては軽視しているが、得意で且つ、力も強い』二要素が入る。

【第七機能『無視する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:軽視 力の強弱:強)

『無視機能』に関する事柄は苦手ではない。力は『第二・創造機能』と同じくらいに強く、同じくらいに得意で上手に扱える。だが『価値観の重要度』が違う。『創造機能』とは違い、大事とも重要とも思わない。『無視』と言われるだけあって、出来る限り無視しようとする。

むしろ『最重要視する価値観であり、人生で積極的に押し出していくべき力』である『第一・主導機能』での行動を邪魔されるように感じて鬱陶しく、退屈で無意味にすら思える。そして自分がこの分野を扱えることにも無自覚・無頓着で、使用する際も無意識だったりする。

これは『イドブロック』内の機能どちらにも言えることだが、主に『危機的状況下』で発揮される。自分や周囲を危険にさらさないため、安全を確保するためにはフルパワーで働くが、平常時には基本的に使おうとしない。まるで『警備員や番犬』のような機能である。

なお『危機的状況』の真逆である、『非常にリラックスした状態』でも戯れに使用されることならある。その場合は本当に『お遊び』なので、そこに大きな意義や深い意味、明確な目的などは一切ない。

このように『イドブロック』の機能は普段は軽視されていて、どこまでも『受動的』であるものの、その有用性を認識していないわけではないし、苦手な要素でもないので、いざというときにはすぐ動けるよう情報収集するなどして水面下では働いている。何か不穏な気配を察すれば直ちに知らせる『警報』の役割も担っている。

とにかく本来は『自我ブロック』を積極的に使いたいため、それを妨害する作用のある『イドブロック』は極力無視したい。逆に言えば、『イドブロック』を使わざるを得ない場合は、自らや身近な人の心身が危険に晒されている合図だと心得、その状況から一刻も早く脱することを考えなければならない。

【沢村の『無視機能』】

★Si(内向感覚)★
体調や気分、心の平穏、平和、平凡、無難、恒常、連続性、時系列、満足、安定、美学、機微、生活の質、喜び、くつろぎ、リラックス、流れ、生活の質、便利さ、快適さ、体調の異変に気付く、心身が求める物質的ケア、味、色、匂い、触り心地、従うこと、合わせること、今ここにいることを楽しむ

Siは経験的な感覚とも呼ばれる。『今この時』の時間的感覚であるSeに対して、Siは『今この場所』を捉える。…つまり、居場所の安定、心身の快適さ、居心地の良さ、気持ちいい手触り、危険のない平穏な日々が続いていくこと等を、自我ブロック(特に主導機能)にSiを持つ人は大事にしている。

【沢村『無視機能Si』詳細解説】

『無視機能』のSiよりも『主導機能』であるSeを圧倒的に大事にするSEEは『今この場所』にいつまでも留まっていることは出来ない。Se主導の人間にとって『今この場所』は『スタート地点』に過ぎない。そこから『今この時』に外へと飛び出して行きたいと願う。

彼らはたとえリスクを取ってでも『自らの力で積極的に人生を動かしていきたい』のだ。『平穏で心身ともに快適な毎日をこれからも続けていられたら』と願う『Si主導』の考え方とは根本的に異なっている。なので極力『無視』しようとするのである。

沢村の『無視Si』エピソードとして非常に分かりやすいのが『御幸との約束を降谷に割り込まれ御幸が承諾した場面』。

御幸としては沢村よりも降谷を優先したというより『(乱調状態の)降谷の状態を確認しておかないと』といった危機意識(証明Ti)が強かった故の行動だろうと思われるが、御幸の不得手な『F(感情)要素とS(感覚)要素』による配慮不足と言葉足らずのせいで、流石の沢村も本気で悔しがる、読者からすると非常に肝が冷える修羅場を演じることとなった。
だが沢村は(内心はどうだか分からないが表面的には)この出来事を驚くほどに引きずらなかった。

これこそが正に『無視Si』の作用だろう。自分の心の安定(Si)よりも、実際的な行動(Se)を選ぶ。拗ねていないでとりあえず動く。自分に出来ることをする。不満も直接御幸にぶつけてみる(創造Fiのおかげか『ガチギレトーン』でなかったところも偉い。こういった部分では沢村は御幸よりもよほど精神的に大人である)。

これに対する御幸や降谷からの謝罪は一切なかったが、沢村と御幸との『双対関係』の好相性(阿吽の呼吸)のため、沢村が『接待』に対する反応辺りで御幸の『真意』をキャッチ・理解し、暗黙の了解で和解していた可能性が考えられる。

(『双対関係』の二人のコミュニケーションは、リアルでの立場に関わらず『ありのままで自由』になるところが特徴で、時に『常識的な振舞い』から外れることさえあり、傍から見ている第三者には理解不能なほど『独特』に映ることがある。

また沢村と御幸は試合中に特に顕著な『シンクロ』の経験もある。互いに互いの『野球に関する事柄での理解度』は抜群のため『この件においてもそうだった』と仮定すれば、けして低い可能性ではない)

…ただし沢村がそれだけで『心情的に完全に納得出来ていたか』と言ったら(最近の展開を見るに)おそらく答えは『No』なのだろう。

例によって沢村は『F機能(創造Fi/次項の証明Fe)』の力が強く、それらが弱い御幸や降谷よりも『対人・感情面では器用な大人の対応が出来る』ために、表向きは水に流せたものの『感情が内向き』になる『創造Fi』の特徴から『実は今でも胸につかえているわだかまりを密かに抱え込んでいる」可能性は非常に高い。

以降はこの件に関してのモノローグや台詞がないため、沢村の正確な心情を推し測ることは出来ないが、後に沢村が念願の『エース』になっても、御幸との関係(御幸にとっての自分の価値)に自信を持てず傷ついている(第256話)ことに、この件がまったく無関係だとは思えない。

これに限らず公私にわたり『降谷を優先してきた(御幸の真意は不明だが、沢村・読者視点でそのように見える)』御幸の言動の積み重ねが、沢村の精神にダメージを蓄積させ、不当な『自己肯定感・自己評価の低さ(傷ついた創造Fi)』へと繋げ、更に御幸だけに限らない周囲から『逐一沢村と降谷の可能性(Ne)を比較する(Ti)』ような振舞いを続けられてきたことで『(初期から沢村の中にあった)降谷に対する強大なコンプレックス(超自我Ne-Ti)が肥大化してしまった』…ように思えてならない。

また第256話での土手に並び立ち『プロ』についての会話をしていた御幸と降谷を階段から見上げた沢村は、いつものように即『主導Se』を発揮して『現状を打破する行動』をとることが出来なかった。そこから独り黙って下りて行ってしまった描写からは『無視Si』の『心身の安寧を優先させる行動』をとった…と解釈することが可能である。

前述した通りに、人が『自我ブロック』よりも『イドブロック』での行動を優先させるのは『危機的状況下』…『心身のSOS』を発するときである。それだけ沢村の精神的ダメージが大きかったことを示している。

現に沢村は後のシーンで『(御幸が本音を打ち明けるのは)俺にじゃねーんだな』と落胆しうな垂れている。この独白には『降谷よりも自分に話してほしかった』というニュアンスがある。例えばこれが『俺がいない所で話すんだな』であれば降谷と自分とが御幸から『同列・対等・平等』に扱われることを、ある種受け入れる形になる。

だが沢村の気持ちはそれだけに留まっていない。ここからは『自分だけに本音を話してほしかった』『頼られたい、理解したい、支えたい』と願っていたという『痛みを含んだ本音』が透ける。

つまり沢村は御幸の『ただバッテリーを組む相手』ではない『特別な相手(唯一無二の相棒)』になりたがっていることが示されている。

【第八機能『証明する機能』】

(得意不得意:得意 重視軽視:軽視 力の強弱:最強)

『主導機能』並みに力が強く(『力の強さ』だけで言えば、『第二・創造機能』さえ上回る)上手に扱えるものの、あまり価値を見出していない機能。『無視機能』と異なるのは、しばしば『創造機能』のサポートや『第四・脆弱機能』のフォローをするため便利に使用される点。

また身近な他者(特に双対関係のパートナーの『脆弱機能』)が傷つかないように助け守る(代わりに引き受ける)ための機能でもある。この機能を発揮する際は、『自我ブロック』に対するような『真剣さや誠実さ』はあまり感じておらず、『パフォーマンス』に近い感覚だ。『無視機能』と同じく『危機的状況』や『リラックス状態のお遊び』で発揮される以外に使用される場面はやはり多くない。

【沢村の『証明機能』】

★Fe(外向感情・外向倫理)★
集団の一体感、仲間意識、理想主義、協力、待遇、同情、社交性、感情表現、行動倫理、振舞いの質、激しい情動、人々の間での感情の高まり、大勢での交流、豊かな表現力、情動的雰囲気、感情豊かなふるまい、ロマン主義、レトリック、パトス、スローガン、ムード、情熱と欲望が交差する空間、沢山の人々に伝播していく熱狂、場の雰囲気とその変化を捉え調整する、目に見える行動の倫理的な評価

感情が内側へ向かい、集団からは独立した個々の人間関係を大事にするFiとは違い、Feの感情は外側へ向かって拡散され、集団や群衆の間で伝播される。その性質からFeは『情動の倫理』とも呼ばれる。

Feを『自我ブロック(特に主導機能)』に持つ人は、『場の空気を読み、さらに自らが好ましいと感じる雰囲気へ誘導する』といったことが得意。

例えばESE(自我Fe-Si)の倉持は主将代理時に、持ち前の『豊かな感情表現』で、『チームカラーを瞬く間にヤンキーチーム』に塗り替えた。『Fe自我(特に主導)』タイプはこういった『感情面の集団に対する影響力』が凄まじいのだ。

【沢村『証明機能Fe』詳細解説】

『Fe』を『証明機能』に持つ沢村も『Fe主導』持ち主同様に『Fe』の力を発揮することが得意ではあるのだが、実は大して興味がない。ファンの間で『マウンド芸・ブルペン芸・ベンチ芸』と呼ばれる『独特な口上』も「おしおしおーし」も『自分がしたいから(Fi)』しているのであって『周囲の反応(Fe)』には実はあまり頓着していない。

(なお『マウンド上で披露される独特な口上』自体は『試合という緊張する場』で見られることからも『規範Ne…慣れない場で発揮されるペルソナ』によるものだと考えられる)

だが軽視しているはずの『Feの力』自体は皮肉にも、重視している『Fiの力』よりも強いため『周囲が勝手に反応』し、いつしか沢村の『コール』には『レスポンス』が付くようになった。それに対して喜ぶよりもむしろ「俺のおーしが(取られた)!」とショックを受けているところなども『Feに価値を見出さないSEE』らしい反応だ。

現在のチーム(御幸世代)には盛り上げ役が他にいないため、沢村が積極的に声を出して(Feを発揮して)士気上げに貢献しているが、本来なら副主将であり『主導Fe』持ちのESE倉持や前園が『集団の士気上げ(Fe)』のための声出しを率先して、SEE沢村がそこへ『自由に合いの手を入れる(Fi)』ことで盛り上がりを後押しする方が(あくまでタイプの役割としては)理に適っているだろう。

また春の市大三高戦・敗戦後のスタンドで(先輩である倉持からの誘いも断り)ただ一人だけ『青道高校の集団』から離れて座ったことからも『Fe』の価値観を軽視する姿勢が窺える。

(なお『周りに合わせたり、空気を読む=自分に期待される役割・役柄を演じる』ことを得意とし重んじる『Fe主導』のESE倉持に、この時の沢村の行動は『理解の範疇外』である。本来なら他者の感情の機微に敏い倉持が、元々他者の感情の機微に疎いILIの御幸と一緒になって『沢村が怒っている…?』と不安がっていたのもそのせいだろう…勿論、打撃で援護できなかった負い目もあるだろうが)

このように『Fi創造』であるSEE沢村は『Fe自我』タイプとは違って『場の空気や雰囲気の維持』に固執しない。それより優先すべき事柄があると判断すれば(たとえ空気が悪くなると分かっていても)そちらを選んで実行する。

普段から周りに人がいても何かあれば気にせず素直に反応し、自分の意見もはっきりと主張する。楽しい雰囲気を保ちたいがために周りと意見を合わせたり、少しでも悪い空気が漂いそうになると一生懸命に取り成したり、無理して場を盛り上げようとはしない。

SEEは和気藹々とした雰囲気自体は好きで作るのも得意だが、それに拘りすぎるのは『過剰・やりすぎ』と感じている。

(勿論、わざわざ険悪なムードにしたいわけでもないので、譲れるときは譲るし、春の市大三高戦で片岡から謝られたときのように『今は素直な感情を剥き出しにすべきではない』と判断すれば、自分を抑えて『大人の対応』をすることも出来る。『F強者』の沢村は『感情や情動(F)』の分野では、非常に器用で洗練された選択をし、繊細な立ち回りを見せることがある)

因みに『コミュ強・陽キャ』に見える要素の強い沢村のタイプSEEではあるが、SNSとの親和性は意外な程に高くない。沢村がそうであるように連絡不精ぎみである例も多い。これは『直接的に世界を塗り替える力』であるSeが最重視される主導機能にあることと『大多数からの注目を求める』Feの要素がこの証明機能にあって軽視されていることから。ネット上での遠隔的・拡散的なコミュニケーションよりも、直接顔を合わせるリアルな距離感での体感的・限定的なコミュニケーションを好むためである。

さて、『第二・創造機能』の項で、

>沢村の『創造Fi』らしさについては、第一に『御幸との関係』を論じたいのだが、これには沢村の第八機能である『証明Fe』の説明も必要になってくるため後述する。

…と前置いたが、本題に入る前に『創造機能』と『証明機能』の特性と、幼少時に見られる特徴について説明する。

まずは『創造機能』の『スイッチ』について。
『創造機能』は自分自身の中核を示す『主導機能』と、他者や外界との『橋渡し役』であることから、外界を意識する必要のない『一人きり』のときには『スイッチがoffになる』…という特徴がある。

人前では誰にでも明るくフレンドリーであることが多い『創造Fe』の人も、一人きりか家族など極々一部の人の前では『創造スイッチがoff』になって『覇気なく無表情で淡々と行動』していたりする(とある『創造Fe』の人は周りに人がいないと「死んだ魚の目になる」と言っていた)。

またいつも効率化したり利益を出すことに頭をフル回転させている『創造Te』の人も、プライベートや娯楽などの『ビジネスロジックを一切必要としない』場では『創造スイッチがoff』になり『何も考えずボーっとしていたり、言動もふわっとする』状態になりやすい。

特に幼少時から中学生くらいまでは『創造スイッチがoff』になっているどころか『創造スイッチ』自体に電気が通っていない(活性化していない)場合も多い。
ではその代わりに何を使っているのかと言えば『イドブロック(得意軽視)の証明機能』である。

前述したように『証明機能』と『創造機能』は、その力だけを比べると『証明機能』の方が強い。
『(本来の意味での)自我』がまだ確立していない子供にとって、何の努力も必要としないほどに得意で、何のこだわりもない『証明機能』は、ある種とても『楽』に発揮出来る要素だからだろう。
『創造機能が働かない』幼少時には『証明機能』が前面に出てきやすいのだ。

ここから本題に入る。

SEEの沢村は、例によって中学時代までは『特定の誰か(Fi)』ではなく複数の友人との『仲間意識(Fe)』を強く持っており『仲間で一丸となって母校の名を残したい』といった『Feの特徴』が濃く出ていた。

その裏側で『創造機能Fi(私的感情・個人的関係)』がほぼ眠っていたのは、それまでにFiを強く揺さぶる出来事…『沢村にとって特別と呼べる存在』あるいは『特別な感情を呼び起こす出来事』と出会えていなかったからだろう。『全力で投げたい(Se-Fi)』という真の願望も、『仲間達との連携(Fe)』を優先し、意識の底に沈めたままになっていた。

(『創造機能』に『電源を入れる』ためには、何らかの大きなきっかけが必要だが、一度でも刺激を与えられ『目覚め』れば、その後は『offになって休む』ことはあっても『完全に停止する』ことはなくなる。『主導機能を活かすためにも欠かすことの出来ない重要な価値観』として、大事に育てていくことになる)

そのまま何もなければ『Se-Feの価値観』の中で、親しい仲間達と『楽しいばかりの日々』を過ごしていくはずだった沢村に訪れた転機こそが『天才捕手』にして(恐らく初めて深く関わった)『双対関係』の相手でもある『御幸一也』との鮮烈な出会いだった。

沢村は『御幸一也(沢村にとってのFiの象徴)』というただ一人の個人と出会ったことで、ずっと一緒に野球をしてきた『故郷の仲間達(沢村にとってのFeの象徴)』との夢や約束、絆…それらをある意味で裏切ってまで『御幸と野球をするためだけ(Se-Fi)』に青道を選び『御幸に認められたい近づきたい(Fi)』という強い想いを胸に走り続けることになる。

初対面の御幸からもらった『相棒』『作品』の言葉から感じる信念や理想、心底から野球を楽しんでいる御幸との11球のバッテリー経験は『故郷の仲間達』を想うからこそ隠されていた沢村の『もっと上へ行きたい』という『本能・欲求・願望・信条・価値観といった行動原理(Te)』をこれでもかと引き出させ『御幸一也(Fi)と正式にバッテリーを組んで投げる(Se)』ことを夢見させると同時に、その先にある『将来の展望(Ni)』を沢村の眼前に突き付けた。

沢村の『自我Se-Fi』および『超イドNi-Te』と、御幸の『自我Ni-Te』および『超イドSe-Fi』が複雑に絡み合って『少年の人生を変えた』…正に『運命の出会い』だった。

御幸は、沢村の『創造Fiのスイッチ』を初めて押した『沢村のFiにとって特別な相手』であると同時に、それまでの沢村の人生の中には存在し得なかった『欠落した価値観』である『超イドNi-Te』にも、たった一度の短い交流の中で刺激を通し、その穴を完璧に埋めて見せた唯一の存在だ。

それは今や沢村にとって欠かすことの出来ない理念・哲学・信念・観念となって、彼の『中核』の部分にまで深く沁み込み融合している。

『仲間』に対してはどこまでも(チームメートや各投手に対する御幸よりもよほど)平等に接する沢村が、御幸に対してのみ『深く思い入れ特別視する』のも当然だと言える。

だが基本的に『創造Fi』タイプには『自身の感情や人間関係』とは固定されたものではなく『流動的なもの』だという認識がある。

例えばEII(自我Fi-Ne)の奥村が、自分たちを『裏切った』シニア時代の監督をどうしても許せなかったように『主導Fi』タイプは、一度築いた『親密な関係性』を『確固としたもの(変わらないもの)』として捉えている。

対して、SEE(自我Se-Fi)沢村の『創造Fi』タイプは、もし場の状況や自身の心境に『変化』が訪れれば、即座にその『回路を閉じて』しまう気分屋な一面があるのだ。仮に『創造Fi』の沢村が…

『(親密な・信用する)相手から拒絶される』
『相手との仲に亀裂が生じる』
『相手を信じられなくなる』
『相手にもはや関心を持てなくなる』

…といった『本当にどうしようもない状況(や心情)』に陥った場合には、沢村は酷く苦悩するだろうが、やがては『自分自身の一番の価値』のため『築いてきた相手との関係性』のすべてに(想い出さえ捨て去って)終止符を打とうとするだろう。

だが一方で(先の『気分屋』の記述とは矛盾して感じられるかもしれないし『創造Fi』タイプというよりもこれは『SEE(自我Se-Fi)』としての特性なのだが)『ビクトリア(征服者)』という愛情属性を内包しているSEE自身は『その対象へ抱く想いや愛情』は『確固とした(変わらない)ものである』という確信も持ち合わせている。

相手との関係性を理想のものに『変化』させられるかは『自分自身の手腕にかかっている』と考えるSEEは、親密になりたい(近付きたい)相手へ積極的に働きかけ、何としてでも手に入れようと出来得る限りの努力をする。また『手に入れてから』も、二人の関係性に沢山の『変化』を取り入れようと奮闘する。

よって、こうした自分自身の振舞いを『受け入れてもらえない』と悟った場合に限り、SEEはその相手との関係性に終止符を打とうとするのである。

『主導Se』に対応するこの『ビクトリア』と『創造Fi』に対応する『家族愛や、寛大さ、親切心』を示し『信頼』を最重要視する愛情タイプ『ストルゲ』によって『今この時に繋がれた一期一会の奇跡』を理解しているからこそ『今目の前にいる相手』を最大限大切にするし、けしてその『縁や絆』を自分から台無しにしようともしない。全ては相手との『信頼関係』(相手の行いや選択)次第であるとも言える。

SEEをパートナーとして持つ人は、その本質的な積極性および優しさ寛容さに甘えて『真心』を無下にし続ければ、ある日突然に『切り捨てられる』未来が待っていることを心得るべきである。

…というのが本来のSEEなのだが、沢村にとっての『御幸一也』だけは、例外なのではないかと個人的には考える。何故なら沢村にとっての一番の価値(自己実現・自我Se-Fiおよび超イドNi-Te)にとって『御幸一也』は前述の通り、必要不可欠な存在だからだ。

『故郷の仲間との野球』が全てだった沢村の価値観を一瞬で塗り替え『沢村にとっての新しい野球』を形作ったのは『御幸一也の存在』そのものだ。沢村にとってはもはや『一個人』の枠を超え、コア部分にまで浸食している。

御幸は沢村にとっての『野球そのもの』であると言っても過言ではないはずだ。ある意味では非常に『双対関係』の間柄らしく『相手と一体化』してしまっている。

あくまで個人的な見解ではあるが沢村は恐らく、御幸のことだけは何があっても『切り捨てられない』のではないだろうか。前述した通りに、半身を自らの手で引き裂くようなものだからだ。

御幸の存在失くして、沢村の一番の願望が成就する未来はあり得ない。そして『御幸一也』の代わりには誰もなれない。沢村が御幸を諦めるときは、自分の内部に深く浸食している野球ごと捨て去らなければならないことになる。

なお御幸のILIは、SEE沢村のそういった性質に対して、最も親和性の高い(相性の良い)性格タイプだ。『モデルA』の観点から見た『双対関係』という関係性(相性)という意味でもそうだが『愛情属性の一致』という点で見ても好相性である。

沢村の『勝利と征服欲』である『ビクトリア』には、御幸の『自己犠牲的な献身愛』である『アガペー』が。沢村の『家族愛』である『ストルゲ』には、御幸の『実利主義』…つまり『物質的成功と豊かさ』を重視する『プラグマ』が、それぞれの『欲求』を満たし合うからだ。

なお、ここでは深く言及しないが、よく相関関係を謳われているサイコソフィアも一致(沢村EFVL+御幸LVFE=完全なアガペー)しており、ソシオニクスや心理学の概念の一部であるDCNHサブタイプ(沢村SEEクリエイティブ+御幸ILIハーモナイザー)やアクセント(沢村Feアクセント+御幸Niアクセント)さえも最適という驚異の好相性っぷりである。

以下は『SEEとILIの双対関係』に関する記述の(一部の)要約である。異性間の恋愛関係を前提にした文献が多いので、下記もそういったテイストが濃くなってしまったが、広義には同性同士や友人関係等々にも広く当て嵌る傾向であることは間違いない。

***

ILIはSEEの積極的な行動で示される好意を受け入れ、また相手のもたらす多種多様な変化を面白がる。

SEEは『簡単に手に入る相手』には興味関心を示せない。『抵抗されると燃える』生粋の『ハンター気質』で、絶えず制圧し続けないとならない相手を求めている(有体に言えば『愛されるより愛したい』タイプである)。

一方のILIはまさに『難攻不落』で基本は対人間の感情問題に淡泊だ。しかし『一度深く結びついた相手にだけ』は情が篤く、まるで相手の『忠実なる騎士』のように実用的にも精神的にも献身的に尽くす。そうしてSEEの望む振舞いを見せ優越感を抱かせ喜ばせる。

だがSEEに従うと見せかけ実際は『手綱を握っている(SEEの動向を管理している)』のはILIでけして言いなりにはならない。誰にも触れさせない気高さを見せつけることでハンターの本能が煽られたSEEがますます自分を追いかけたくなることをILIは知っている(追わせるため素っ気なくすることも)。

事実としてSEEはILIの気まぐれな振舞いに惹き付けられる。より深く相手を自分のものにするため必死に追いかけ、持ち前の温かさと粘り強さと明るさとで、その強固な心の壁を溶かそうとする。そんなSEEの眩しさに(感情面での)自信の無さや猜疑心を解されるILIは、SEEの関心がなおも『自分にある』ことを確信して歓喜し精神の充足を得る。

(以下、ご要望いただいたので詳細解説を加筆。

SEEとILIで恋愛スタイルの典型的な記述に該当しやすいのはSe-SEEとNi-ILIのペアだろう。詳細な比較でも分かる通り、Se-SEEは侵略者らしく支配欲が旺盛で嗜虐心が増し、NiーILIも犠牲者らしく不安定で被虐心が強くなるため、関係は支配と被支配の様相を帯びる。

一方Fi-SEEは『相手の気持ち』を慮るFiが優勢でSe-SEEより『相手の意に沿いたい』丸い性格になる。Te-ILIもNi-ILIより『主導力を発揮しリードしたい』Teの性質が濃く出る。前者より安定し性質はむしろ反転するため、表向きも『ILI優位』になる場合も多い。

こうしたサブタイプの違いは非常に大きなものだ)

SEEとILIの双対関係は、煽り合い翻弄し合うことで互いの想いとその強固な結びつきを確かめ合い、互いを押し上げ引き上げながら、けして飽きることなく続いていく。

***

【SEEのイドブロック(無視Si+証明Fe)のまとめ】

『無視Si』と『証明Fe』。この二つの要素は沢村にとっては『取るに足らない』こと。特に重要とも面白いとも思えない要素だが、『危機管理』の観点で見れば非常に重要で、主に自分や周囲の人々を『危険』から守るために使われる。

例)
『体調や気分を整えるために(Si)、感情表現する(Fe)』
『満足するために(Si)、仲間達と交流する(Fe)』
『快適な暮らしのために(Si)、人々と協力する(Fe)』
『リラックスするために(Si)、みんな仲良く和やかな空間を作る(Fe)』
『美学を追求するために(Si)、社交性を磨く(Fe)』

…といったことを、沢村は難なくやってのけるが、特にしたいとは思わないし、実際に必要に迫られない限りはその力を行使しない。大事なのはあくまで『自我ブロックのSe-Fi』であって、それを阻害しかねない『イドブロックSi-Fe』は沢村にとって、心情的には『鬱陶しい』機能なのである。

ただし『証明機能』に関しては、『創造機能Fi』をサポートしたり、自身の『脆弱機能Ti』、双対関係の相手の『脆弱機能Fe』をダメージから守るために日常的に使われる場合がある(無視機能も同じではあるが、証明機能よりも使用される機会は圧倒的に少ない)。

【沢村と倉持の関係と、象徴するエピソード】

先に少しだけ触れた『沢村と倉持の関係性』について、証明機能の項で紹介した『思春期ごろまでの証明機能から創造機能へのスイッチ現象』も絡め、対比として非常に面白いエピソードがあるので紹介する。

まず相性前提。SEE沢村とESE倉持の相性は『準同一関係』である。『得意不得意』や『各要素の持つ力の強弱』は同一だが『重視する価値観だけが正反対』な『似て非なる』関係だ。『よく似て見えるが実は性格が全く違う兄弟』をイメージすると分かりやすいかもしれない。沢村と倉持もファンからはよく『仲の良い兄弟』のように例えられる。

この二人の相性を象徴するエピソードといえば、何と言っても『それぞれの中学時代(青道へ進学する経緯)』である。

片や、故郷の仲間達と廃校になる母校の名を刻むために甲子園を目指していたのに『御幸と運命の出会い(Fi重視)』を果たしたことで『人生を変える決断』をし、離れることになった仲間達から「イチローや松井より栄ちゃんが俺たちのヒーローだった」と惜しまれ泣き笑いで見送られて故郷を発った沢村。

片や『松井稼頭央』に憧れ、仲間との関係も非常に大事にしていたのに、当の仲間からは裏で陰口を叩かれているくらいで、大して想われていなかった、むしろ体よく利用され裏切られていたことが発覚し決別した(そして双対関係である亮介をはじめとする『野球バカばかりの青道メンバー(Fe重視)』に救われた)倉持。

(アニメでの元ヤンキー仲間はその対応を後悔し、倉持が東京へ発つ際に応援の横断幕で見送ろうとしていた。ただし反対側の出入り口に立っていた倉持はそれを見ることなく、結局はすれ違ったままで和解出来なかった)

問題(沢村の主導Se・創造Siが未発達だった倉持の証明Seによる衝動的な行動)を起こして進路に困り、高島にスカウトされ…と、スタート地点は非常によく似通っているのに、着地点が真逆なのである。まるで『似て非なる二つのタイプ』を象徴するかの、対照的なエピソードだ。

細かい要素を見ても、

『双対関係の御幸と出会った事で証明Feから創造Fiへスイッチして人生の変わった沢村』

『証明Se(仲間のために身を挺して直接的・衝動的に行動する)から創造Si(直接的な介入の前に細かい観察眼や慎重さを発揮して適切な手助けを見極める・最適な居場所を求める)へスイッチした末に、双対関係の相手を含む新たな仲間達と出会って救われた倉持』

…と、経緯は正反対ながらも共に『少年期の終わり・双対関係の相手との出会い・自己実現への道の始まり』が描かれていて感慨深い。

そんな『準同一関係』の二人は、得意分野が完全に一致しているので共通の趣味や特技を持ちやすく、それを通じて仲良くなりやすい。

だが深い心情部分を共有しようとしたり、一つの目的に向かって二人一緒に何かを成そうと考えると、深層の価値観の違いが足を引っ張って上手く進められなくなる。

共同活動では完全に役割分担して、相手のやり方に口を出さないことが肝要である。活動領域に線引きをすることで、大成功を収められる組み合わせだ。

その他、軽めの遊び友達としても楽しいので『同室の先輩後輩』としては良い相性なのではないだろうか。なお結城兄弟も、SLIとLSIの『準同一関係』である。

【『Fe-SEE』沢村への『Te-ILI』御幸と落合の違い】

最後になったが、いずれも沢村と『双対関係』である、御幸と落合の違いについて触れておきたい。

沢村はコーチである落合とも御幸との相性と同様に双対関係だが、実は沢村と落合の方がより『双対関係』らしい変遷を辿っている。どういうことかというと『双対関係は出会いから互いが親しくなるまで』が最大の難関とされているからだ。

『双対関係』の特徴を簡単に羅列すると…

『双対関係』の相手とは表向きには正反対のタイプで興味の対象や所属が被らないことが多い。
→なのでそもそも『出会えない』ことも多い。
→運よく出会えても『合うはずがない』と思い込んで、大半は互いに近づこうともしないことも多い。
→『双対関係』の二人は、初対面では相手を『魅力的だと思えない』場合も多い(初対面で被る『ペルソナ/規範機能』の顔が互いにあまり好みではないから)
→コミュニケーション自体には難がないため衝撃もなく、浅い付き合いだと『良さ』に気付けない場合も…

…そうして『互いにスルー』し合った結果『始まる前に終わってしまう』ことが圧倒的多数の関係性だ。だが互いを深く知り合える機会が一度でもあれば、すぐに相手の真の魅力に気付いて急接近する。

改めて考えてみても『御幸と沢村の出会い』は『双対関係』としては非常に幸運で理想的だった。『野球』を通じて出会い、即席のバッテリー経験で初っ端から互いの『自我』を剥き出しにし『超イド』を埋め合うように交流出来たからだ。

(川上に対する東の発言を聞いた沢村の『仲間想い』な創造Fi(+証明Fe)が怒りで発奮。規範機能のNeを押しのけて前に出た主導機能Seで挑発したところに、御幸の超イドSe-Fiが「面白い」と反応した形)

双対の最難関『深く関わり互いに関心を持つ』をなんと『初対面でクリア』している。

余談だが二人…特に御幸側は心理的距離(いわゆるパーソナルスペース)すら最初から密接距離である。対人面で壁を築くILIとしても他キャラ間と比べても異例の近さだ。

『双対関係』の『最初』の難しさは、沢村と落合の関係の方にこそ表れている。普通の出会いの場合、双対関係の二人は互いにあまり魅力を感じられない。例によって初対面や慣れない環境で発揮される『規範機能のペルソナが作る顔』が好みではないからだ。

事実として御幸とまったくの同じタイプである『Te-ILI』の落合は当初、サブタイプまで一致した双対関係『Fi-SEE』沢村に興味を持たない。イップスの件もあって余計に良さを感じ取れなかったかもしれない(なお秋時点で落合が御幸を『意外とウマが合いそう』と評価したのは彼らが『全くの同タイプ』であることを、どこかで感じ取ったからだろう)。

落合は『自我ブロックNi-Te』らしい合理性に特化した非情さで『降谷を絶対的エースへと押し上げる』と同時に『まともにインコースに投げられない沢村を切り捨て』ようとした。

だが新参者の落合とは違い、御幸には既に沢村と共有した時間と経験があった。御幸の『動員機能Fi(御幸自身の感情と沢村との関係、沢村個人への認識)』が強く作用し『沢村を切り捨てる』ことなど考えもしなかった。

『沢村との関係性』を示す『動員Fi』の差。それだけが『将来のため降谷と心中』しようとした落合と御幸との決定的な違いだろう。

そんな落合も時間を重ねるほどに沢村の胆力や実力を認めていくことになる。『チェンジアップ習得時』など、当初は「使えれば儲け物」くらいに考えていたが、思いがけず大きなポテンシャルを見せつけられ動揺。落合の意識に急速な変化が起き始めたのもそれからだった。『直に関わると良さを実感する双対関係』らしい変遷。

落合が重心移動を指導したら沢村もすぐにコツを掴む。チェンジアップどころかムービング自体が大きく進化。少しのアドバイスが絶大に効くのも(勿論、落合自身の指導者としての実力もあるが)『双対関係』の相性故だろう。

落合から教わり、御幸に受けてもらいと『二人の双対関係』に手助けされ、沢村の吸収も深く早くなったのかもしれない。『双対関係』の公私問わない発展性が良く表れている。

また『双対関係』にはもう一つ特筆すべき点がある。

『相手がどれほど自分にとって掛け替えのない存在であるかを、そばにいるうちには十分に気付けない』…つまり『相手をうしなったときに、本当のありがたみを実感する』という特徴である。

現在の御幸を見ていても、チームにとってだけではなく、チームメートやバッテリーといった公の関係としてだけでもなく『御幸一也個人にとっての沢村栄純が一体どういった存在なのか』その大きさや重要性『沢村の存在に自らの精神がどれほど救われてきたのか』を、十分には理解(認識)出来ていない印象を受ける。

(そんな二人の関係性を『幼馴染の恋心』に例えられた寺嶋先生の感性…まさに敬服の至りです。当該ツイートを教えてくださったフォロワーさんにも感謝申し上げます。おかげで理解が深まりました)

これは『近すぎるから気付けない』ということだろう。『空気のようにいつも当たり前に側にいると思っている』から、その相手がいなくなった時(満ちていた空気がなくなったとき)に自分に及ぶ影響を想像出来ない。手が届かなくなったときのことなど考えもしない。自分が相手からどれだけの『ギフト』を受け取っていたのか。後から気付いても既に遅く、失った時間は取り戻せない。

『親しい双対関係』の相手を『うしなう』経験は『半身をもがれるような』苛烈なものになるとされる。

繰り返すが、御幸と沢村は『縁の深い双対相手』という奇跡と出会えた『イレギュラーと呼べるほど非常に幸運な双対関係』なのである。今の縮み切らない心身の距離感はあまりにも勿体ない。

御幸最後の夏である現段階でも、まるで少女漫画か何かのようにすれ違ったままでいる御幸沢村バッテリーだが、二人(特に御幸)が後悔するような結末にならぬよう、ここから急速に関係が深まっていくことを期待したい次第である。