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【アート×デザイン思考と都市文化】⑶渋谷系

渋谷系とは?
ドイツではテクノという独自のアンダーグラウンドな音楽で共感する人々がDIYで巨大な野外パレード「ラブ・パレード」を創り上げていた同時期に、日本の音楽シーンははどうだったでしょう?80年代にかけて歌謡曲や演歌が中心の日本の音楽シーンに徐々に西洋の音楽が急速に浸透してきました。80年代以降ミュージックビデオが日本のTVでも放映される様になったことで、音楽だけでなくビジュアルや世界観も伝わり始め、同時にヒップホップなどファッションやカルチャーも上陸しました。いわゆるディスコではなく、音楽ツウ好みのナイトクラブもこの時期日本に上陸し始めます。90年代に入ると渋谷では「渋谷系」と呼ばれる音楽のジャンルが人気を博します。

ちなみに、Wikipediaで音楽ジャンルを調べると地名がジャンルになっているのは412ジャンル中6箇所しかありません。

・シカゴ・ソウル
・ゴアトランス
・フィラデルフィア(フィリー)・ソウル
・リバプールサウンド
・デトロイト・テクノ
・ニューオーリンズ・ジャズ
出所:『ウィキペディア(Wikipedia)』音楽のジャンル一覧

地名と音楽ジャンルという意味では稀有な例といえるでしょう。フレンチ・ポップスや60s、ジャズ、ソウルの影響を受けたピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラブ、フリッパーズ・ギターといったバンドが中心となり渋谷系はファッションも含めたポップカルチャーとなっていきました。

レコード屋が密集する渋谷の宇田川町界隈でレコード店の店員(バイヤー)による熱いレコードレビューでコアな音楽ファンがアンダーグラウンドな西洋音楽を吸収したことも背景としては大きいと思われます。このことでリスナーの趣向性も多様化し、様々なジャンルの音楽を独自にキュレーションした歌謡曲では括れないバンドスタイルが確立してきたといえます。

元々は単なる音楽好きによるムーブメントであったものが、80年代以降のセゾングループのCDショップWAVEやタワレコなどの海外資本のレコードショップ、さらにはパルコなどのファッション産業にも吸収されはじめるとコアなファンやバンドは徐々に離れていく結果となりました。

個人的な渋谷系の印象は「おしゃれで、スカした音楽好きの人たち」でした。渋谷系ムーブメントの少し前、80年代の混沌としたアンダーグラウンドから最初のインディーズが生まれた当時の暗黒大陸じゃがたら、EP-4、ゼルダ、スターリンといったポストパンクの世代から始まった音楽の多様性がより洗練され商業化されていく過程であった様に思います。西洋音楽の流入から自分たちなりに模倣し、キュレーションしていく中で歌謡曲とは別の文脈の音楽が商業的に成り立ち始めた中でバブル景気がインディペンデントなマーケットに資本と投下し始めた最初のムーブメントではなかったかと思います。いずれにしても、今まで聴いたことない様な音楽とファッション、ディスコからクラブへ、輸入レコード店の店員が新しい音楽を紹介し吸収し、表現しカルチャーを作り始めた時代であったことは間違いないでしょう。

日本の音楽の自主性とは?
当時、渋谷系の中心にありながら圧倒的に渋谷系を拒んだ元ラブ・タンバリンズのボーカリストとして活躍したEllieさんに当時の話をうかがいました。

ーなぜ渋谷系と呼ばれたくなかったんですか?
「私は違うって言ってなびかなかった、そんなことでデカくなっても意味がない。音楽が好きだからやってるんでお金でやってるわけではない。なんででかいことやらなきゃいけないの?」

ーバブル期にあった日本の音楽産業に飲み込まれていったんですね。
「最初は音楽好きの部活みたいなものだった。インディペンデントでやることに意味があったのに最終的に商業的なメジャー音楽産業に飲まれていった。大きな波に飲まれ自主性が失われていった」

ー渋谷系が一過性の物であったというのもそういう理由ですね。
「主体性がないとシーンとしては弱いよね。人がいれば、シーンができる。耕そうとしないのでそこに文化は生まれない。利用されるだけの音楽になる」

帰国子女でもあるEllieさんにとっては音楽自体がアイデンティティーであった。だからこそ表層的で自主性が失われていく様な音楽シーンには共感できなかったのかもしれません。

一方で、主体性がない消費者を相手にした企業にとってはバブル期の渋谷経済を生み出す良いネタだったという事も言えます。日本の音楽はこういったバブル期を基本にした音楽産業の発展と戦後の西洋化の流れでフォーク、ロック、ソウル、ジャズといった西洋の音楽をいかに取り入れるか(キュレーションするか)を追い求めた40年ではなかっただろうか?渋谷系があったおかげで新しい西洋音楽との出会いがメジャー化し、さまざまなジャンルとともに渋谷が音楽の街になっていったのは間違いないでしょう。一方で、80年代のバンドブームも含め、日本の歌謡曲とは一線を画すJ-popやインディーズと呼ばれる音楽文化は欧米音楽の日本語解釈という意味において、現在、世界に進出できるほどの主体性や独自性もなく、渋谷系から始まった日本のポップカルチャーもある意味その限界に来ている様にも感じます。1つの理由は音楽産業の衰えで、単純にCDの販売が急激に落ち込んだこと、音楽の広告などへの使用料が削減されたことにより音楽制作費や広告宣伝費も削減されたこと。もう1つは西洋を追いかけてきた日本の音楽もコモデティー化し、差別化要素が無くなってきたこともあるでしょう。音楽自体の衰退ではなく、その背景には音楽産業に依存した事により主体性と独自性を持つことができなかった故の現在の様な気もします。逆に言えば、音楽産業に依存しない今だからこそ様々な音楽をキュレーションした独自の音楽を創造するチャンスなのかもしれないと思います。



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