【社会思想や哲学としてのアート思考】

アート思考をビジネスの領域で語ることがトレンドとなっていますが、アート思考のアートを内発的表現、思考を内面への問いと踏まえ、テクノロジーの進歩によって浮き彫りにされはじめた人間の本質(心や精神)という視点で考えてみると、それは経済のみならず、哲学、社会学、人類学ともつながる社会思想と言うことができます。
 アートとテクノロジーは人類が始まってからずっと人間の本質や本能みたいなものを問い続け、拡張し続けていて、根っこは同じだと思っています。人の内側を探求するのが哲学、そしてそれを表現するのがアート、そして、欲求を外側に拡張していくのがテクノロジーと踏まえる事ができると思います。

人類は道具を使うことから内面にあるイメージを絵にしたり土器にしたりして表現してきました。これがアートの始まりです。同時に、道具を使い外側に身体拡張をしていきます。はじめは動物の骨や石を武器にして、次第に足を車輪に拡張させ、今では脳の一部がAIに置き換えられるところまで拡張させました。上記の動画はスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(1968)という作品の冒頭になります。ここでモノリス(黒い石板)に触った2足歩行を始めたヒトザルが道具を発見するシーンを描き、その道具の発見から時を経て宇宙船のシーンに移行します。このシーンは「もしあの猿が道具を発見しなかったら、宇宙船は飛んでいない」という話でもあります。

しかし、急速なテクノロジーの進化はシンギュラリティ(*1)という局面を迎えるに至ったのです。もともとはヴァーチャルと思われていたインターネットの上に、いつの間にか、コミュニティー(SNS)、知識(検索エンジンやWikipedia)、お店、そして通貨まで社会の多くが移行しいきました。ネットワークに常時接続する人々からGAFAが個人のつぶやきや趣向性、移動記録、購入履歴など様々な情報を吸い上げ国家以上の人類に関するデータベースを持つに至りました。たった30年ほどでリアルの多くがヴァーチャルに移行して行ったのです。ちょっと前までインターネット通販はヴァーチャルショップという位置付けでしたが、リアル店舗がどんどんインターネットに吸収され、ついにはお金までもが電子通貨としてネット上で取引され、この先日本も完全なキャッシュレスになる日も近いでしょう。実際、韓国や中国の様にキャッシュレスがスタンダードの国も当たり前になっています。このように、ここ数年で急速にヴァーチャルであったネットとリアルの立場が逆転することになったのです。気がつけば、私たちの生活の1日のうちの大半をネットワークの上に置く生活になっているのです。
一方で、私たちは盲目的にテクノロジーに囲まれ取り込まれ、情報を搾取されてている現実を意識して生活する必要があるのです。シンギュラリティ以前に、この日常自体が既にテクノロージーによって支配されているか、もしくは便利で安全なテクノロジーの恩恵として共存しているのかを意識する必要があるでしょう。ここまで話すと映画「マトリックス」を思い出します。今生きていると思った世界は実はAIが作り出した仮想世界で、現実の世界で民衆はカプセルの中で一生眠り続け生体エネルギーを必要とするAIの動力源となっているという話です。その中で主人公のネオは覚醒し、AIが作った仮想世界を壊して現実を手に入れようとするという話です。私たちがつい数年前まで仮想といっていた世界に日常の多くの時間を常時接続し、現実の世界は衰弱し、政治は信用を失い虚構となっています。今、この状況下で、その現実を打ち破るネオのようなヒーローを求めるでしょうか?政治を批判したりしているのは実は仮想の自分で本当の自分は仮想の世界を変えるわけでもなく実は傍観者になっていたりしてないでしょうか?
 一方のネットワークでは、あなたの欲しいものはすぐ手に入り、小学生がなりたい職業が2位のYoutuber (学研ホールディングス調べ)や、仮想キャラクターのVtuberの登録者は1万3千人を超え、高校生の日常の話題に上る率は実際のタレントとほぼ変わりがなくなっています。今までのような既存メディアの生身のアイドルよりネット上の個人や個人が特定できないヴァーチャルキャラクターが若者に普通に浸透しているのです。この現実は、おそらく山口百恵で育った世代には既に理解ができない事でしょう。

かといって今更全てを捨ててネットワークの外で暮らすことができるわけでもなく、ネットワークを否定して生きること自体がナンセンスと言えます。とすれば、この乖離した人間とテクノロジーを支配される支配するといった関係ではなく、うまい形で共存していく関係性をつくる必要があるのです。その為に、人間の内面や本質を表現してきたアートと、人間の内面を思考してきた哲学から、もう一度人間を問い直す必要があると考えています。
人間の本質から倫理的で民主的なネットワーク社会を持続可能な形で構築することを意識する必要かあります。恐るべき事に社会がネットワーク上にあると言うのに、その社会の倫理や秩序を司っているのは民間であり、既に政府すら介入できない領域となっています。
そう言う意味でも根元に立ち返る意味でもアート+思考は表現する事と哲学的(問う)する事の両面から人の再認識を行う事であると感じています。

今のトレンドとなっているビジネスにアートをどう取り込むか?とは別のベクトルで、私達は何に依存して、何を信頼して生きているのかをアート思考の視点から考える事で自立したコミュニティとコモン*2を形成してポスト資本主義の社会に移行する時期ではないでしょうか。

*1 シンギュラリティ
人工知能(AI)自身の「自己フィードバックで改良、高度化した技術や知能」が、「人類に代わって文明の進歩の主役」になる時点の事である。(Wikipedia)

*2コモン
全員で共有する社会的富(政治哲学者 マイケル ハート)

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