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プロ野球選手総背番号制 番号別イメージ変遷史 2008年“開幕時点”版 背番号「0」3/3

こんにちは!スポーツデータアナリストのにーにーです。引続き、黒島大鉄さんの著書「プロ野球選手総背番号制」の内容第3弾(背番号0)ご紹介したいと思います。

結局新派の訪れなかったことで、長嶋(一時佐々木)→松浦→川相と渡った旗顔のスタイルがそのまま「0」の既定イメージとして固まっていく。最後の旗顔・川相が古株になるとそれと連動して「0」も、持ち場がすでに決まっているベテラン~中堅勢のたまり場と化した。'95年吉田篤までは毎年コンスタントだった若手(25才以下)からの触手も、その後'98年ショーゴー、古城まで2年空き、次に'03年志田まで4年空き、次に'06年仲澤、森山まで2年空くという状況。だが'07年、一挙6名もの新メンバー参入。若手は大崎だけで、20代後半の選手がほとんど(佐藤は30~'08年31才。また志田、庄田とも'08年29才、木村、小関は30才超)だが、それでもイメージには余白が生まれ、閉塞感はとりあえず緩和。

また、藤王がダメならショーゴー、めげずに高橋光、と挑戦的な選手変遷を打ち出してきたドラゴンズが、またもや"投手・金剛"というニューカマーを送り込み「責めの姿勢、健在」を示してくれたもの明るい材料。今回は佐藤、萩野と左右の即戦力中継ぎ投手も伴っており、新人・荻野は1年目から58試合登板と奮闘。わずか4登板と完全に後塵を拝して金剛も2軍ではセーブ王(防御率0.68)と地力あり。同じく1登板に終わった佐藤も、かつてプチブレイク時にくしくも"ミスター・ゼロ"と呼ばれた頃の再現果たし、3者揃い踏
みがなれば投手番へと転ずる可能性もある。思い起こせば'88年松浦は16先発の一方救援でも20登板(8SP)し、川畑~松浦('93年)~吉田篤~長冨と継がれたリリーフ投手像は定着していた時期もある。長きの沈黙を破り凪に投じられた一石が、「0」の新たな息吹となるか。

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