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プロ野球選手総背番号制 番号別イメージ変遷史 2008年“開幕時点”版 背番号「0」2/3

こんにちは!スポーツデータアナリストのにーにーです。前回に続き、以前コラボすることになった黒島大鉄さんの著書「プロ野球選手総背番号制」の内容第2弾ご紹介したいと思います。

「0」の” ノーブランド”性に惹かれた新生達が、成長過程で”伝統”を身に付けたのは当然のなりゆきといえる。ただ一斉に同調したことで「0」=暫定レギュラー期間の番号、というイメージが定着してしまった。’90年11勝~’91年9勝と一時持ち直していた松浦が、その後も健在なら旗色も変わったろうが、脱ラッシュ開始の’92年以降(「0」では) 計9勝。結果、流れに背を向けたもう1人の川相が新畑手となり、「0」はシブい印象へと逆戻りしていく。

ところで、背番号はしばしば期待値、プライドに喩えられる。だとすれば背番号「0」を着けることは、いわば” プライドゼロ”宣言なのだ。これは「0」番選手のプロとしての出自、つまりドラフトでの被指名順位によく現れている。長嶋⇒ドラフト外、佐々木⇒6位、松浦⇒ドラフト外、中野⇒2位、初芝⇒4位、種田⇒6位、浜名⇒3位、神野⇒7位、万栄⇒6位、吉田篤⇒1位、諸積⇒5位、ショーゴー⇒2位、古城⇒5位、代田⇒6位、川中⇒2位、志田⇒8巡目、金剛⇒9巡目、森山⇒大学生・社会人対象の4巡目、大崎⇒大・社6巡目、萩野⇒大・社4巡目(生え抜きで4年目までに着、の選手対象。〇かこみは1年目着。ちなみに7年目着の川相は4位、5年目着の石井はドラフト外)。と、圧倒的に下位被指名での入団者が多い。中には藤王、野中、吉田剛、吉田篤といったエリートもいるが、いずれも入団時の青写真とは大きくかけ離れての来着。元主要戦力の島田、石毛、長冨、小関のベテラン含め、皆一軍で持ち場を得るには半端な固定観念になど構っていられない状況にあったのだ。だがレギュラーを手に、さらなる飛躍を遂げんとする者にはそれが必要となり、「0」を返上する。そう解釈すれば” 犠牲バント”に自らの価値を見出した川相が長く「0」を手放さなかったのもうなずける。後年「6」へと変えたのは、” プライドを持たない”プライドが芽生えた、と読み解けば筋が通る(やや強引だが)。川相後のレギュラー、諸積、木村にしても毎年ライバルがあてがわれる”長期暫定レギュラー”とでもいうべきポジション。持ち場死守のため、プライドを育むヒマなど持てなかったのだろう。

ただそんな中で異彩を放っているのがショーゴーだ。ドラフト2位ルーキー着にして、初芝以来となる中軸候補打者。ブレイクしていれば、華のあるプレイヤーでもあっただけに、その後の背番号「0」イメージは大きく描き換えられていたと思われる。そしてもう1人の「たら、れば」が高橋光。着前年まで6年間で28安打、から「0」に変わった’04年のシーズン前、四番の筆頭候補に挙げられた。実現すれば”脇役番”から大イメージチェンジとなったはずだが、フタを開ければ”代打の切り札”。シブい印象をより強める結果となった。

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