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AC004便

今、成田国際空港の第1ターミナル42ゲート付近のベンチでこれを書いている。
待っているのは16:55発バンクーバー行きAC004便。すでに2時間以上の遅延。バンクーバーに到着したらカナダの国内線に乗り換えて、ユーコン準州にあるホワイトホースという小さな町に向かう予定だ。

これから縁もゆかりもない異国の地に降り立ち、一から暮らしを積みあげてゆくことになる。最初の5日間のベッド以外は、住まいも仕事も全く決まっていない。
今すぐ走り出したいような期待と興奮がみぞおちのあたりで渦巻いてるのを感じる。

30Lのバックパックに全てを詰め込み、数ヶ月にわたって異国をふらふらするようなことはこれまでも何度かあった.....けれど、1年も日本を離れるのはこれが初めて。

見送りに来てくれた友達に手を振ったのはもう2時間前のこと。今頃みんな家に着いたかな。

ここ数ヶ月は「しばらく会えなくなるだろうから」「一度行ったら帰って来なそうだし」とか言いながら、多くの友人が時間を作って集まってくれた。照れくささと嬉しさ、そして言葉では言い尽くせない有り難さを感じながら、1日1日を抱きしめるように過ごしてきた。
空港にも10人ほどが来てくれて、今は1人でいることが少しさみしい。

3年弱お世話になった会社は「本当に1年で帰って来るの?」なんて言いつつ、大して仕事ができるわけでもない凡な私に、戻ってくる場所を残して送り出してくれた。とても感謝している。
社長からは「本当に困ったときに使えるように、カバンや上着に縫い付けておくんだよ」と、少し厚みのある綺麗な封筒をこっそりいただいた。中には数十ドルが包まれていた。
私もこういうことができる大人になりたいと思った。

いざ日本を離れんとて、唯一心配なのは母のことだ。この1年半、貯金を口実に実家に戻っていた。
母は明るく、ふらっと無計画に旅してしまうほど人並外れた行動力を持ち、経済的にも精神的にも自立している。
しかし伴侶である父は2年前に死んでいる。母に兄弟姉妹はなく、祖父母もずいぶん前にこの世を去った。
これから母が暮らしてゆく実家には、20余年家族4人で過ごした記憶がそこかしこに刻み込まれている。ひとりで暮らすにはあまりに広く、思い出がありすぎる家だろう。
どうか健康だけは気を付けてほしい。

母と離れて暮らす弟は、残念ながらあまり頼りにならない人間だ。面白くて優しい奴だけど、繊細ゆえに強くはない。
親戚の集まりやお父さんの葬式といった場で、彼が主体的に動いたことはこれまで一度もない。いざというとき母を託すにはあまりに心許ない、名ばかりの長男である。
もしものことを考えると頭が痛いけれど、どうにか頑張ってやってほしい。

残してゆく家族のことは心配だけど、ここ数年はずっとユーコンでの暮らしを夢想してきた。
悠久の時に息づく大自然。町を囲むように広がる山々とユーコン川。しばしば現れる頭上のオーロラ。イヌイットの文化と歴史。-40℃の厳しい冬、そして豊かな短い夏。これから出会うであろう人々。
大学生の頃は留学できなかったから、人生のどこかで異国に身を置くこともまたバケットリストのひとつだった。

周りの人には「1年じゃ絶対帰って来ないでしょう」とさんざん言われてきたけれど、今回取得したのはワーキングホリデービザなので、帰国までのタイムリミットは泣いても笑ってもたったの1年。

ただでさえ時間がないのに、向こうに着いたらやらなきゃいけないことがたくさん待ち受けている。
家を探して、銀行口座を開き、生活していくための仕事を探す。
ここ数年の円安で目減りした貯蓄が尽きる前に、生活基盤に関わるすべてを解決しなくてはいけない。

もっと英語を勉強しておけばよかったな。お金も頑張ればもう少し貯められたかも。
でも私の気持ちも、人生のタイミングも、今この時に熟してしまったから仕方ない。準備はいつだってチャンスの到来に間に合わない。足りない分は、自分でどうにかするしかない。
私は人より病弱だけど、体力にはかなり自信があるし、まぁどうにかなるんじゃなかろうか。
もし数ヶ月で帰国することになったら、おそらく早期の帰国そのものが自分の人生にとって必要な経験になるのだろう。人生は常にベストな事しか起こらないようにできている。
本当に何もかもうまくいかなかったときは、帰国前にフランスへ寄り道して、人生2回目のCamino de Compostelaを歩くつもりだ。

でも自分で選んで決めたことだから、なんとか最後まで頑張りたい。
私の頭の中に広げたユーコンの白地図に、学び得た経験や出会った景色のひとつひとつをしっかり書き込んでいきたいと思っている。

優先搭乗のアナウンスが始まった。
飛行機では、何も考えずにとりあえず寝よう。



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