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本と映画の随想録

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本・映画の思索、個人的な視点
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#エッセイ

メタモルフォーゼの記憶

ランドセルを背負った4、5人の男の子が、歩道いっぱいに広がりながら歩いてきた。誰ひとりとして前方の私には気がついていない。 大きく迂回して彼らを避けたすれ違いざま、1人が「蝶をさなぎから羽化させたことがある」というエピソードを自慢げに話していたのが聞こえた。 蝶のさなぎの中は液体で満たされている。さなぎになるとからだがほとんど溶けてしまって、あおむしの原形はなくなってしまうらしい。 さなぎの中で一度液体になった幼いからだは、時間をかけて成虫へと変態する。 さなぎの仕組みに

古事記の神様たち

 出雲大社に行くことになったので、古事記と万葉集を読んでみた。出雲と聞いて思い浮かんだのが須佐之男命(スサノオノミコト)と柿本人麻呂だったからだ。  古事記は、神代から推古天皇の時代までを記した、現存する日本最古の歴史書である。序文と上・中・下の3巻で構成されており、特に神代の神話が描かれた上巻は、天照大御神や因幡の白うさぎなど聞いたことのある名や伝説がそこかしこに登場する。  日本の神様たちは多様で、良くも悪くも人間らしい。優しい神様もいるけれど、怒り、恨み、時に狡猾で

蝶の夢を見なかった潜水服は

父が以前の父でなくなってから、もう3ヶ月が経とうとしている。 季節がひとつ巡ってしまった。わたしの父は今年咲いた桜を知らない。 寒かった冬もいよいよ終わりかけていた2月、実家で熱を出して寝込んでいた父と会話がかみ合わなくなったと、母が救急車を呼んだらしい。搬送当日までは、名前を答えたり自分で病院食を食べたりしていたそうだ。重度のヘルペス脳炎と診断が下されたのは、すでに父の意識と言葉が失われたあとだった。 目を開けることもしない、身体も動かない、声をかけると時折唸るだけの父