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小松未歩らしさが詰まった曲、「Last Letter」

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。
今回12月20日(水)22:30~23:30に開催予定の  #LastLetterナイト に向けて小松未歩「Last Letter」(2003年)について書きます。


寒空の12月にふさわしいこの曲は、この曲は、小松未歩らしさが詰まっています。

小松未歩らしい1つめのカギは、「恋と夢なら夢を取る」ということ。
1番サビの「あなたの生き方邪魔したくなくて消えるようにここから居なくなれば」というのは、私があなたの重荷になってしまって、私といるとあなたが自由に夢を追うことができなくなってしまうことが分かっていたため、自ら別れを切り出したことを意味するのでしょう。

歌い出しの「その次の角で待っていて 必ず迎えに行くとあなたにわざとおどけて笑った 私を許さなくていい」は、比喩的な表現で、あなたを騙すような形で強引に別れてしまったことを歌っているものと思います。

あなたから届いた手紙を読んで「やっぱり相応しいのは私じゃないと分かった」というのだから、手紙は、あなたが「相応しい」誰かを見つけたことを告げるものだったのでしょう。
だからこそ、あなたが私との関係を戻すことはなく、感謝の気持ちを告げる、最後の短い手紙を書いたのだと思います。「宛て名だけが書かれた」ものであるのは、返事を求めているわけではないことと、間違って自宅に返送されてしまって「あなた」の恋人が開けてしまうことがないように、住所を書いていなかったことを指しているのでしょう。

小松未歩らしい2つめのカギは、「答えはもう出しているけれど、その答えに向かうための気持ちを吐き出し消化するために歌っている」ということ。

小松未歩の世界観で「相応しい」相手というのは、ともに夢を追いかけていける関係のこと。私と一緒には実現しえなかった夢を、あなたは新しい誰かと叶えてしまっている。

あなたは私には「相応しい」相手ではなかった。答えははっきりとわかっています。
分かっているけれど、やりきれない思い。思い出のベンチに腰掛け、この恋が本当に終わってしまったんだという感傷に浸りながら、私は気持ちを整理しようとするのでした。

これまでにnoteに書いた曲の中では、「不機嫌になる私」や「東京日和」などとすごく似ています。恋よりも夢の方が大事、だけれど、後ろ髪惹かれる想いを消化するために歌う。小松未歩にはそんな曲がとても多いように感じます。

他の方はいったいどういう解釈をするのでしょうか。
私も12月20日が楽しみです。