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今なら夢とあなたを天秤にかけなくて済むかもー小松未歩「東京日和」

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。

きょうは子どもたちとお出かけした休日。よく晴れた空に「東京タワー」と「お台場の海」そして、「羽田(から出発する飛行機)」が見えました(写真は5歳の息子が見る東京タワーです)。これらの光景からは、やっぱり、私は小松未歩の「東京日和」を思い出してしまいます。今回は、小松未歩「東京日和」(2005年)について語ります。

私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。

16年前の解釈:夢を選ぶために別れたあなたとの最後のドライブ

この曲はすごく解釈しやすい曲です。歌い出しから「恋の終わりに東京タワーを見た 夢とあなたを天秤にかけた答え」とあり、歌い手はあなたとの恋よりも自分の夢を選び、恋人と別れることとなりました。「東京日和」は別れたあなたとの最後のドライブの模様を思い返して歌っている曲です。

東京を離れるのは歌い手の側とその恋人の側とふた通りの解釈がありえます。「東京日和」とは、恋人が東京を離れることを想定すると「東京の光景の中であなたと過ごしたことを思い出す日」、歌い手側が東京を離れることを想定すると、「あなたと過ごした東京を思い出す日」となります。

どちらでも意味は通りますが、小松未歩は関西(神戸)の人ですので、歌い手側が東京を離れるものと解釈している人が多く、わたしもその解釈を取りました。

最後のドライブは旅立つ歌い手を送っていくため、首都高を通って「東京タワー」を眺め、「お台場の海」を見送って、「大井」までの渋滞を抜けていきます。羽田空港までいかずに敢えて少し手前の「天空橋」駅で車を下ろしてもらって、そこであなたとサヨナラしてしまうのは、空港までついてきてもらったら離れがたくなってしまうからでしょうか。

この曲は、正確には「別れるあなたとの最後のドライブの模様を歌った曲」ではなく、「別れたあなたとの最後のドライブの模様を思い返して歌った曲」です。その理由は「目を閉じてもたどれるよいまは」という歌詞にあります。

「目を閉じてもたどれる」のは何度も同じルートをドライブしたことがあるか、もしくは何度もこのルートを思い返したことがあるのかのどちらかですが、敢えて「天空橋」で降りる特殊なこのルートがルーティンだったとは考えにくく、これはどうみても後者でしょう。

夢を追うためあなたとはサヨナラしたけれど、あなたのことは今でも大好きで、あなたと過ごした東京での日々はとても素敵なものだった。だからこうして、最後のドライブの模様を何度も思い返している。あなたと過ごした東京を思い返す日のことを「東京日和」と呼ぶのです。

現在の解釈: 今なら夢とあなたを天秤にかけなくて済むかも

この曲の解釈は16年前と今とであまり変わっていませんが、当時と今とで大きく変わったことが一つあります。それは急速なインターネット技術の進展です。

iPhoneが登場するのは2007年のこと。携帯電話やインターネットは当時もありましたが、せいぜいできるのはパソコンを使ってSkypeで無料通話ができるくらい。ネットでメールや写真を送り合うことはできましたが、ビデオ通話はパソコンを使ってもまだ難しかった時代です。

この曲ができた2005年、距離は恋愛の大きな制約になりました。電話はできても離れていてはとても身体感覚が繋がらない。だからこそ「夢とあなたを天秤にかけ」る必要がありました。

けれど、今ならどうでしょうか。wifi環境になくても月に1万円しない価格で月に何十ギガバイトものデータを送受信でき、離れた恋人ともいつでも顔を見て話せます。自宅にいるときはビデオ通話をつけっぱなしにして「リモート同棲」をしているカップルもいます。もちろん一緒にいるのとまったくイコールではありませんが、離れていてもそばにいるかのような感覚で過ごすことができます。

2005年当時は遠距離になってしまうために別れるということをストレートに受け入れられたわけですが、今だったら、夢を追いかけて東京を離れて地元(関西)に戻るとしても、それでサヨナラとはせずに、もう少し「夢もあなたも」追いかけてみたいと思ってしまいます。

もちろん、それでもやっぱり距離が障害になって、最終的には別れることになってしまうのかもしれません。けれど、距離が離れてしまうからといってそこですっぱりときれいにサヨナラしてしまうのは、2005年当時(まで)の時代をちょっと感じるところです。ビデオ通話がいつでも当たり前にできるいまの若い世代にとっては、遠距離恋愛が昔とはずいぶん違うものになっている気がします。

おわりに

歌詞の解釈に正解はないのですが、20年聴き込んでくると、時代が変化することにより同じ曲がまた違って聴こえてきます。あなたはどのようにこの曲を聴いていましたでしょうか。ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。