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rumania montevideoの「still for your love」は、22年で2度意味を変え、私の人生をも動かした!

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。

ふとしたことで小松未歩をはじめとしたbeingアーティストたちの曲への愛が一気に湧き出し、この溢れ出す気持ちを言葉にしなければ!という思いで記事を書いています。

私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。

今回は、rumania montevideo(ルーマニアモンテビデオ)の「still for your love」(1999年)を紹介いたします。なんとこの曲、私の成長とともに2度意味を変えることになります。

22年前(10代の頃)の解釈:別れた恋人(夫)とその彼女の幸せを願う歌

名探偵コナンのテーマソングでとても印象に残っていたこの曲、シングルCDあるいはコナンのベストアルバムを買ってフルコーラスを聞くと、おどろおどろしい歌詞の連続にびっくりした方が多かったのではないかと思います。

痛みを表現したかのような棘を刺し毒を吐くような歌い方がとても印象的で、いったいこの曲の歌い手はどのような物語を描いているのか、22年前、まだ中学生だった私は英和辞典を手に必死で解釈しようと試みます。

22年前の私の解釈は、別れた恋人(夫)とその彼女の幸せを願う歌。この曲の歌い手は、幼い頃に両親の離婚を経験してしまいます。「お願い遠くへ行かないでとなぜママは涙を流すの」は両親が別れる際に母親が見せた姿で、「ずっとずっとそばにいるよ 小さな心で思ってたけど」というのは私は母親のそばにずっといるよ、という意味。

でも、自分もまた母親と同じように恋人(あるいは夫)との別れを経験して、幼い頃の記憶とオーバーラップしてしまいます。恋人(または夫)が「あの人」に会い「心ゆらされ」てしまう。「そして全てはからまわり 未来がちぎれるのを見た」。

けれど、歌い手はその悲しみを乗り越えて再び歩き出そうとします。恋人とは「もう二度と会えないとわかってても 色を変えてもつながってるから」空を見上げては、恋人とその新しい彼女(または妻)の幸せを祈ろうとするのです。

別れてもなおこんなに物分かりのいい人っているかなあ、なんて疑問に思いつつも、一応は意味の通る解釈を作り上げ満足していたのが中学生時代の私でした。

10年ほど前(20代の頃)の解釈:束縛の強い母親から恋人のもとに飛び立とうとする歌

それから10年ほどが経ち20代になった頃のこと。恋人ができるようになった私は時折り母親に恋人を紹介しようとするのですが、なかなか首を縦に振ってくれません。明確に言葉にはしないものの、まだ、結婚するかもしれない相手がいることを認めたくないようなのです。他にも色々なできごとがあり、だんだん母親の束縛を疎ましく感じるようになる頃、私はこの曲が違った意味に聴こえてきました。この曲は、束縛の強い母親から恋人のもとに飛び立とうとする歌なのではないか、と。

1番の歌い出しは幸せな歌い手の幼少期のお話です。「何かが起こりそうな夜は祈りを捧げて目を閉じなよ」「こんな月の溶ける夜に」あなたは「愛され生まれてきたの」と何度も母親から言われてきたのでしょう。

母親は歌い手の娘のことを溺愛していて、ずっと自分のもとに置いておきたいと願っています。母親は娘が成長するにつれ娘が離れていってしまうようで「お願い遠くへ行かないで」と何度も涙を流して言った。幼い頃から何度もその話を当たり前のように受け入れていた歌い手は「ずっとずっとそばにいるよと小さな心で思ってた」。

けれど、そんな自分も恋をして、その人を通してより広い世界を知ってしまった。それから先、母親との関係は空回りするばかり。「未来がちぎれるのを見た」というのは、ついに母親か恋人、どちらかを選択しなければならない状況にまで追い込まれてしまったことを表現したのだと思います。「未来がちぎれる」って本当にすごい表現です。

そして歌い手は母親ではなく恋人のもとを選びます。長らく安住してきた母親との世界から決別するのはとても勇気がいることだと思います。そこで、勇気を奮い立たせて、「さあ裸足になって 大地けって 虹をこえて 空をつかんで」と力強く歌い上げているのでしょう。

とすると、サビで胸の十字架を握り幸せを祈っている相手は、たぶん母親ということになります。けれど、ここまで勇気を振り絞って母親の元を飛び立とうとして「もう二度と会えない」と思うくらいだというのに、それでも歌い手は母親の幸せを祈るのだろうか、という疑問が残るのでした。

現在(30代の頃)の解釈:いつか母親の幸せを祈れるまでに自分が成長したいと願う歌

それからさらに10年。私はなんとか母親に結婚を認めてもらえたのですが、それでもなお、私がつくる「新しい家族」よりも母親は自分たちのいた「旧来の家族」を大事にしているようでした。心のミゾはどんどん広がっていき、さすがに許せなくなってしまった私はあるときから母親との音信を絶つようになりました。

それが数年間続き、あることから再び音信が再開するようになっても、母親の考えはまったく変わらないようでした。母親に理解してもらうことが無理だと悟ることは悲しいことでしたが、一方で私自身が親になる中でこれまで(必ずしも自分の望む形でなくとも)母親からの愛を受けてきたことも実感するようになり、なんとかして母親との関係をもう一度作ってみたいという気持ちも出てきていたところでした。

そんな頃、この曲の新しい解釈を書いているブログを見つけました。それが、こちらのブログです。

つれづれなるままに。「名探偵コナンの名曲“still for your love”の歌詞の意味を自分なりに解釈してみた」(2020年5月3日投稿)
https://ameblo.jp/7beautiful4dirty-1rich/entry-12594193922.html

この方は最後のサビについて、母親の幸せ=自分の幸せを祈っている、「お母さんの幸せではなく、自分は幸せになれると自分に言い聞かせている」という新しい解釈を示してくれました。

つまり、「母親に希望や光や勇気が訪れるように私が神に祈っているのではなく、私が母親を恨むのではなく、母親の幸せを願えるまでに成長したい、自分ならそうなれると信じている(i wish =それが私の願い)ということ」。私はこの解釈を知った瞬間、20年間考え抜いてきたことがすべて線で繋がったような衝撃を受けました。

母親の束縛を知り、離れようとする歌い手は、憎しみの気持ちを持ちながらも同時に母親を愛したい気持ちも残っている。そんな中で、いつかこの引き裂かれた感情を乗り越えて、母親の幸せも祈れる自分になってみせる、私は幸せになるんだ!という強い意志がこの曲に表れていたのでしょう。

そのブログの方も、母親と長く確執があり、何度も母親から逃げようと思っていた。けれど、あるときから「自分さえ変われれば母親が変わらなくても世界は変わり母親との関係も変わる可能性が」あると知り、「学生の頃思っていた結末は違う形で母親との関係を続けることができ」たとのこと。

そのことを知った私はこの方とこの曲から希望をもらい、もう一度、母親との関係をやり直してみようと決意することができたのでした。

1つの曲が、ずっとファンの心に残り続け、22年の時を経て離れたところにいるファン同士を繋げ、人生をも動かしていくーー。この曲が描いた壮大なドラマに感服するばかりです。

おわりに

歌詞の解釈に正解はありません。私の(紹介した)解釈もその一つに過ぎず、どういう解釈をするかは自由ですが、私の場合は、時間を経て経験を経て同じ曲が違ったものとして聴こえてくるその変化がとても面白いのです。また音楽ともに過ごした時間に私自身が変化していったことも。
ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。