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小松未歩にとっては「歌」が「さいごの砦」

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。思春期の頃から20年間愛してきた曲たちが、時が経つにつれ私の中でどのように変化していったのか、解釈の変化をお楽しみいただけると嬉しいです。
今回は、小松未歩「さいごの砦」(2002年)について語ります。

19年前の解釈:君と釣り合えるだけの僕になれるように


高校生の頃の私は、この曲を、憧れの世界に行ってしまったはずの君と再会してからの物語だと解釈しました。

「一度失いかけた関係」「急に顔を見せて」とあるところから、君と僕とは一度別れた恋人同士であることが連想されます。

二人はなぜ別れたのでしょうか。ヒントは、「自信がみなぎるその笑顔 道行く誰もが振り返る」にあるものと思います。君は「道行く誰もが振り返る」ほど魅力的な人。その自信は実力に裏打ちされた確かなものなのでしょう。ミュージシャンか、俳優か、それとも脚本家なのか。いずれにしても、君は夢を確かな形にした人なのだと思います。

小松未歩の描く歌の恋愛観には、相手の夢にとって自分が重荷になるようなら自分から身を引いて別れてしまう、というものがあります。この曲以前にリリースされたなかでの代表例としては「青い空に出逢えた」でしょうか。

相手の夢のためには自分はいない方がいいと思って身を引いた。でも、その別れはやっぱり辛いもので、そのあと「しゃがみこんで泣いてた」んですね。けれど、それから何年も経ち、ふと気づくと風のうわさで君の活躍が聞こえてきた。君の夢が叶ったことに喜んでいたら、なんと自分の元に「急に顔を見せて 元気?だなんて」。君との突然の再会に気分が舞い上がる一方、あの頃と比べてあまりに君との差が開いてしまった現実とも向き合っていかなければならなくなりました。

「君と向き合うことに自信が持てない」。そりゃあそうですよね。君が言うには、僕と別れた後、付き合っていた人はいないという。でも、そんなはずがあるわけがない。こんなに魅力的な君なのに。役者仲間やタレント仲間。いろんな交流が広がっていた君は、きっとその中で誰か付き合っていた人もいるはず。

君はそんな人たちと付き合うこともできるはずなのに、本当に僕でいいの?「すべてを知りたくなるけど」、もう「嘘でいい」と思ってしまいます。また君を失って「しゃがみ込んで泣いてたあの夏の日」に戻りたくはないから。

こんなに差があって付き合っていていいのか。君のために身を引いたはずじゃなかったのか。そう思っていても君に口づけされると溶けてしまう(愛する気持ちにルールはない 価値観さえ変える甘いキス)。そんな僕に、君は「もう二度と離さないから」とまで言ってくれるのです。君についていきたい。君に釣り合えるような人になりたい。

そこで、僕ももう一度歩き出します。君と語り合っていた夢にもう一度トライしたい。君の書いた脚本の映画に出るのか、あるいは、君の書いた歌を歌うのか。そのために僕は「幼く未熟な心に鞭を打ち」ます。「きらめく大都会の隅っこでいつか」僕と君の舞台が「拍手の渦にまかれてる姿があるように」。

やっぱり、僕はこれをやっているときが僕らしい。それが歌なのか演劇なのかはわかりませんが、昔から好きで、君と語り合い、ずっと大事にしていたこと。これだけは頑張って続けていこう。それが僕がみてた「さいごの砦」なのだと。

…ということで、「さいごの砦」とは、自分の人格のコアとなる夢というか好きなことというか、ライフワークというか、そんな感じのものだと思っていました。

現在の解釈:やっぱり歌が小松未歩の「さいごの砦」


この曲のストーリーの本線はいまでも変わらないのですが、このストーリーがどうやって作られたに思いをめぐらすと、元ネタはやっぱり小松未歩自身が持っていた感情なのではないかと思っています。

時期的には長戸プロデューサーの手が離れ始め、セルフプロデュースになってからしばらく経った5thアルバムの頃。

小松未歩自身、インタビューにて、この曲は「“自分の居場所探し”みたいな感じです。人生を歩むことにおいて「どこに向かうんだろう?」とか、目標をある地点に定めるとしたら「どうやればそこにたどり着くんだろう?」とか思いながらみんな生きていくと思うんですけど、それをひとつの恋愛に置いて作ってみようと思って」作られた曲であると答えています。

また、「今までの私なら、別れた恋人が目の前に現れて、揺れたりする人の気持ちなんて全然わからなかった。それに一回壊れてしまったらもうアプローチする方法はないとも思っていたし。でも、こんな詞を書くようになったということは、ちゃんと消化しきれてる感情だからこそ歌えるんだと思いますし、確実に新しい自分がこの作品には出ている気がします。」とも答えています。

これは、まさに、小松未歩自身が長戸プロデューサーの手から一度離れて、でも時々気にかけてくれてはいて。そのなかで、もう一度、大きくプロデュースしてもらえるだけのものを作れるよう、「リセットした気持ち」で自分の居場所探しをしようとする意気込みを、恋愛の曲に乗せて歌ったのではないか、と今の私は思っています。

「僕が心許したこの世でたった一人の人」というのは、自分の持てるもの全てをぶつけて、それを歌に昇華するまで向き合ってくれた長戸プロデューサーのことを言っているような気が、すごくしています。

インタビューで、「自分をなだめたり,すかしたり,迷いながら生きていく姿が世界中の到る所にあって,一度ダメになっても二度,三度,チャレンジできるし。それでもダメなら最初からリスタートを選ぶこともできる。その中で愛も夢も精一杯つかもうとしながら”さいごの砦”を守り、目指し,育んでいければって思ったんです。」と語っていた小松未歩。小松未歩にとっての「さいごの砦」は、自分の人格のコアとなり、夢となり、そしてもう一度長戸プロデューサーとの邂逅を目指す手段ともなる「歌」だったのだと思います。

おわりに:4月22日をお楽しみに


楽曲の解釈に正解はなく、多くの人が心を動かされ、いろんな解釈で一つの曲を楽しめることを私はとても素敵に思います。その中の一つとして、私の解釈も楽しんでいっていただけると嬉しいです。

創作を通じてつながるnoteの表現空間が素敵だなと思いつつ、他にもなにか私のエッセイで思いを共有できる人がいたら、ひとりでもふたりでもコメントを残していただけるとうれしいです。

そして、この曲の解釈について、note仲間のえいちびぃさん、花の砂時計さんとともに1時間語るラジオ企画をtwitterのスペース機能を使って開催します。

https://twitter.com/i/spaces/1kvKpAkQQkmGE?s=20

放送は、4月22日(金)22:22~23:22。ご都合がつかない方も後から1か月ほどは録音を聴くことができますのでご安心ください。もしちょうど都合がつく方は、ぜひリアルタイムで「#さいごの砦ナイト」をつぶやきながらご参加ください。

花の砂時計さんのnoteは既に公開されていますので、ぜひこちらもご覧くださいな。

それでは、また。お会いできる方は、22日に、よろしくお願いします。