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「属人化」と「標準化」について考える

キンコミでこんな投稿がありました。

2022年12月6日~7日に開催されたサイボウズさんの総合イベント「Cybozu Circus 2022 大阪」「\集まれ!悩めるキントーンユーザー/ 関西キントーーク クリスマススペシャル」セッションでの質問のフォローアップです。

この中でひとつこんな質問がありました。

③複雑なアプリが属人化していて引き継ぎできない

これの回答にはいろいろ思うことがありまして、収まらなくなったのでnoteに出張してきました。

「属人化」と「標準化」は難しい問題です。特にシステム開発やコンピューター関係はこれが顕著です。

※標準化や属人化について、特にモノづくりの現場では過去色々な研究や実績がありますのでちゃんとしたお話はそちらにお任せとして、以下は単なる私の感想ですので、そんな気持ちで興味ある方はよんでください。

ひとつマンガを描いてみました。

悪いのはだあれ?

果たして悪いのはだれでしょう?
・必要なリソースを与えない上司
・必要なリソースを説明できない部下
・一人でなんとかしようとする部下(属人化?)
・問題を把握できていない上司
etc…

どれか一つとは限らないし、それらすべてかもしれません。もちろん実際にはマンガみたいに単純ではない理由がいろいろあるのではないかと思います。

「属人化」と「標準化」について考える

「属人化」に対する言葉といえば「標準化」。じゃあ標準化したらいいじゃないかとなるのですがこれも難しい。マンガのように必要なリソースがなければ標準化といわれてもなーといいたくもなります。

標準化についてよく考えてみると、私はそもそも標準の基準があいまいなところがひとつの問題だと思っています。

例えば表計算だとマクロは難しいから属人的だけど関数ならOKだったり、同じ関数でもSUMは標準的だけどそれ以外は難しいから属人的だったり(あくまで例です)まあわからなくもないですが、なにが属人的な技術でなにが標準的な技術かはあいまいで考え方次第なところがあって、突き詰めるとそれを決めてる人が使える技術が標準的で、使えない技術は属人的と扱われていたりする場合もあります。

個人的には、自分が分からない技術は分かるようになるまで学べばよいと思うのですが、時間やその他の理由で皆がそうしてくれるわけでもなく逆にひとりで突っ走って属人化率が高くなるということもあります。^^;

本当の標準化は、全員ができるようにレベルを下げることではなく、全員ができるようにスキルを上げることだと思うんですが。。。

ではそもそも、「属人化」の意味とはなんでしょう。

属人化の意味とは、特定の業務の管理方法やタスクのやり方や進め方が一人の担当者にしか分からず、もしその人がいなくなった場合に業務の管理が難しくなったり業務の遂行に支障が生じるような状況のことを指す。

んー。いずれにせよこれは問題といえば問題。

で、私が今トライしてることをひとつ。
要するにココ

一人の担当者にしか分からず

大事なことなのでもう一回

一人の担当者にしか分からず

ちょっと、言葉尻を取るようで恐縮ですが、「二人ならいい」のでは。
極論すると、二人が分かれば「属人化」してない。^^;

正直、実際ほとんどの方が忙しく余裕人員をおいてもらえるような職場環境は稀でしょうし、そういう意味では「標準化」には理想論的な響きもあります。私も結局ひとりでやっちゃってその場を凌いできたことは(今もですが)たくさんありました。

でもやっぱりそれではダメだとおもうので、「標準化」なんて聞こえのよい言葉ではなくても、せめて二人でやろう。二人でできたらそれはもう「標準化」だ!(※あくまで個人の意見です)

冒頭のマンガも、もし二人だったら別の展開だったかもしれませんね。というわけで、今は自分の仕事を細分化してでもまずは二人でを心掛けているところです。

技術を伝えるのは時間はかかるけど教えていると新しい気づきもあって、いや教えるというより一緒に考えてるという感じかな。けっこういいよ。

というわけで、いきおいでわわわーっと書いてまとまらなかったnoteを終わります。


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