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任天堂の歴史

普段何気なくゲームをしていますが。はじめてテレビゲームを作った任天堂の歴史は、スゴイと僕は思います。

ここからは、任天堂の歴史です。

山内房治郎社長時代(1889年 - 1929年)
この当時はまだ会社の形態ではないが、便宜上「社長」と表記する。
1889年 - 山内房治郎が京都府京都市下京区で任天堂骨牌(山内房治郎商店)を創業し、花札の製造を始める[9]。
1902年 - 日本で初めてとなるトランプの製造を開始[9]。
山内積良社長時代(1929年 - 1949年)
1929年 - 山内積良が任天堂骨牌(山内房治郎商店)2代店主に就任。
1947年11月 - 京都市東山区今熊野東瓦町に株式会社丸福を設立[9][10]。
山内溥社長時代(1949年 - 2002年)
1949年9月 - 代表取締役社長に山内溥が就任[9]。丸福かるた販売株式会社に社名変更[10]。
1950年3月 - 任天堂かるた株式会社に商号変更[10]。合名会社山内任天堂(現:株式会社山内)よりかるた製造業務を継承[10]。
1951年7月 - 任天堂骨牌株式会社に商号変更[9]。
1952年10月 - 京都府京都市東山区福稲上高松町に工場(現:京都リサーチセンター)を設置[10]。
1953年 - 日本初となるプラスチックトランプの製造に成功[9]。
1959年9月 - 工場のある京都市東山区福稲上高松町に本社を移転[9][10]。
1962年1月 - 大阪証券取引所市場第二部、京都証券取引所に株式上場[10](現在は市場統合)。
1963年10月 - 任天堂株式会社に商号変更[9][10]。
1971年 - 簡易複写機「NCMコピラス」を発売。10万台以上を出荷するヒット商品になる[11]。
1973年 - 業務用レジャーシステム「レーザークレー射撃システム」を開発[9]。
1975年 - ビデオテープ式業務用メダルゲーム機「EVRレース」を開発[12]。
1977年 - 三菱電機と共同で開発した家庭用ビデオゲーム機「カラーテレビゲーム15」と「カラーテレビゲーム6」を発売。
1978年 - 業務用ビデオゲーム機の販売を開始。
1980年
4月 - アメリカニューヨーク州に現地法人Nintendo of America Inc.を設立[9][10]。
4月28日 - 携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売。その後、8年間で約70機種を展開して4800万台以上を販売する[13]。
1981年7月9日 - アーケードゲーム版『ドンキーコング』の稼動を開始。この中で、後に任天堂を代表するキャラクターとなる「マリオ」が初めて登場する[14][15]。
1982年
2月 - アメリカワシントン州に新たにNintendo of America Inc.を設立し既存のニューヨーク州法人を吸収合併[9][10]。
業績が前年の約3倍に拡大し、8月連結決算の売上高は661億4100万円、営業利益は227億200万円の黒字になる[16]。
1983年
7月 - 東京証券取引所市場第一部に株式上場[10]。
7月15日 - ゲームカートリッジ交換式の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。
1985年
9月13日 - ファミリーコンピュータ用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』を発売。後に世界で最も売り上げたゲームソフトとしてギネス世界記録に認定される。
ファミリーコンピュータの日本国外仕様の筐体「Nintendo Entertainment System」をアメリカで発売[17]。
1986年 - 欧州で「Nintendo Entertainment System」を発売。
1989年4月21日 - 携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。
1990年
2月 - ドイツに現地法人Nintendo of Europe GmbHを設立[9][10]。
11月21日 - 据置型ゲーム機「スーパーファミコン」を発売[9]。
1993年2月 - フランスに現地法人Nintendo France S.A.R.L.を設立[10]。
1995年7月21日 - 3Dゲーム機「バーチャルボーイ」を発売。
1996年
6月21日 - 公式サイトを開設。
6月23日 - 据置型ゲーム機「NINTENDO64」を発売[9]。
任天堂製品の流通問屋親睦団体「初心会」が日本国内の流通環境の変化に伴い解散[18]。
2000年11月 - 京都府京都市南区に本社を移転[9][10]。
2001年
3月21日 - 携帯型ゲーム機「ゲームボーイアドバンス」を発売。
9月14日 - 据置型ゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」を発売[9]。
岩田聡社長時代(2002年 - 2015年)
2002年6月 - 代表取締役社長に岩田聡が就任。
2004年
8月 - 前社長の山内溥が個人で出資していたシアトルマリナーズの持分全てがNintendo of America Inc.(NOA)へ移転され、NOAが球団の筆頭オーナーとなる[19]。
11月21日 - タッチパネルを搭載した2画面の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売。世界で1億5千万台余りを売り上げ、歴代で最も普及したゲーム機となった[20][21]。
2006年
7月 - 大韓民国に現地法人韓国任天堂株式会社を設立[10]。
11月19日 - 北米で、リモコン型コントローラーを採用した据置型ゲーム機「Wii」を発売(日本では12月2日に発売)。同日発売のWii専用ソフト『Wii Sports』は本体同梱版を含めると世界で最も売れたゲームソフトとなった[22][23]。
2009年 - 3月期決算で売上高1兆8386億2200万円、営業利益5552億6300万円の過去最高益を記録[24]。
2011年2月26日 - 裸眼3D液晶ディスプレイを搭載した携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」を発売[25]。
2012年
2月 - 「ニンテンドー3DS」が日本における販売台数が500万台を突破。ゲームプラットフォームとしては史上最速の記録となった[26]。
「ニンテンドー3DS」本体の価格値下げによる逆ザヤ状態や円高などの影響により、3月期の決算で377億円の営業赤字を計上[27]。
11月18日 - 米国で家庭用ゲーム機「Wii U」を発売(日本では12月8日に発売)[28]。
1月 - QOL事業への参入を発表[29]。
7月から12月までの半年間で「ニンテンドー3DS」用ソフトのダブルミリオン達成ソフトが5本生まれる。これは日本のゲーム市場において初めての記録となる[21]。
2015年
3月17日 - 株式会社ディー・エヌ・エーと業務・資本提携してスマートデバイス向けのゲームソフトを開発することを発表[30]。同時に新型ゲーム機「NX」(コードネーム、後のNintendo Switch)を開発中であることも発表[31]。
3月期決算で4期ぶりに営業黒字回復[32]。
7月11日 - 代表取締役社長の岩田聡が胆管腫瘍のため死去[33]。

君島達己社長時代(2015年 - 2018年)

2015年9月15日 - 代表取締役社長に君島達己が就任。組織再編により、統合開発本部とシステム開発本部を統合して技術開発本部を、情報開発本部と企画開発本部を統合して企画制作本部を設立し、ビジネス開発本部を新設[7][34][35]。
2016年
6月29日 - 組織再編により監査等委員会設置会社に移行し、執行役員制度を導入。外国人役員としてレジナルド・フィサメィが執行役員に就任[36][37]。
7月6日 - 海外で株式会社ポケモン(開発・配信・運営は米Niantic)からゲームアプリ『Pokémon GO』をリリース。その爆発的な人気により、以降約半月にわたり任天堂の株価が高騰する[38]。同22日に株式会社ポケモンが任天堂の持分法適用関連会社であることを発表して以降は株価が落ち着く[39]。
8月22日 - Nintendo of America Inc.が保有するシアトルマリナーズ運営会社の持分の一部を売却[40]。
8月25日 - 2017年4月3日付でジェスネット株式会社を子会社化すること、及びジェスネット株式会社が株式会社アジオカよりビデオゲーム卸売事業を譲受することを取締役会において決議[41]。
10月20日 - 新型家庭用ゲーム機「Nintendo Switch」の情報を公開[42]。
11月29日 - ユニバーサル・パークス&リゾーツが運営する「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」「ユニバーサル・オーランド・リゾート」「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」の3箇所で任天堂のテーマパークを展開することを正式発表[43][注 1]。
12月15日 - iOS向けゲームアプリ『SUPER MARIO RUN』を150の国と地域のApp Storeで配信開始。開始4日間のダウンロード数が4000万を超え、App Storeにおける最速記録となった[44]。
2017年
3月3日 - 新型家庭用ゲーム機「Nintendo Switch」が日本、アメリカ、ヨーロッパなどで発売[45]。
4月3日 - ジェスネット株式会社を子会社化し、任天堂販売株式会社に商号変更[41][46]。
2018年
2月1日 - ユニバーサル・スタジオとの共同出資により、ユニバーサル傘下のイルミネーション・エンターテインメントと共同でスーパーマリオのアニメーション映画の製作を開始したことを発表[47][48]。
3月期決算で7年ぶりに売上高1兆円超を計上[49][50]。
4月27日 - サイバーエージェント傘下のCygamesの発行済み株式数の約5%を取得し、スマートデバイス向けゲーム事業での業務提携を行うことを発表[51]。
6月28日 - 代表取締役社長の君島達己が退任し相談役に就任。
古川俊太郎社長時代(2018年 - 現在)
2018年6月28日 - 代表取締役社長に古川俊太郎が就任[52][53]。
2019年4月16日 - Nintendo of America Inc.(NOA)社長および任天堂本社執行役員を務めたレジナルド・フィサメィが退任し、ダグ・バウザー(英語版)がNOA社長に就任[54]。

すいません。すべて Wikipedia からの引用です。
これでおわります。文章ばっかりでしたね。(笑)

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