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『STAR WARS: 遂げられた指令』 第1部 2章 禁書

二 禁書

 ダイアディーマ・ネルソンとは、テジュンがカリダの帝国アカデミーに入学した当初からの付き合いだ。同じくスターファイターのパイロットを目指す者同士で、自然と親しくなった。ダイアはアカデミーで常にトップの成績を収めていた。彼女は誰よりも早く上級コースに進み、教官からも学生からも高い評価を得ていた。
 引き締まった長身に精悍な顔立ちのダイアは、まさに理想的な帝国軍人の容貌であり、アカデミーの広報ポスターのモデルに選ばれたこともあった。もっとも、現在の彼女──そしてテジュン──がその顔を晒すのは、反政府テロリストの重要指名手配情報においてだが。

 テジュンはずっとダイアと良好な関係を保ち、他の仲間たちも交えて町へ繰り出したり、一緒にスポーツやゲームに興じたりすることもあった。彼らは将来有望な帝国アカデミーの生徒として順調な数年間を過ごしていた。

 ダイアディーマの表情に以前にはなかった陰りが認められるようになったのは、アカデミーも卒業間近となった頃だった。そのかすかな変化に気づいたのは、テジュンをはじめとして彼女と特に親しくしていた者たちだけだ。その頃のダイアはことあるごとに思索にふけっているように見え、精力的で堂々とした態度は変わらなかったものの、口数は少なくなった。
 テジュンがその理由を知ったのはある日の午後、飛行訓練を終え食堂で休憩していた時だった。

「座っていい?」テジュンがベンチで軽食を取りながらホロネット・ニュースをチェックしていると、ダイアが声をかけてきた。
「ああ、もちろん。」テジュンがテーブルの上にスペースをつくると、ダイアは自分のトレイを置いて向かいに腰掛けた。きっちりと拭きあげられた窓から差し込む午後の陽光が、浅黒い彼女の肌を金色に縁どっている。

「テジュン、今日はずいぶん調子が良かったね。ここ最近ますます腕を上げてる。」彼女は微笑んだ。
「お世辞を言っても何も出ないぜ。まあ君に褒めてもらえるのは嬉しいけど、今から上のクラスには行けない。上達がちょっと遅かったよな。」テジュンは大げさに自嘲的な笑顔をつくった。「それより、そっちはどうだ。新型のインターセプターの訓練を受けただろ? あれはすごいって話だけど。」
「そうだね。火力も段違いだし。ただ、急加速にスタビライザーが追いつかないから機体のコントロールが大変で、慣れるまで冷や汗をかきそう。」
「君がそう言うんならかなりの・・・・じゃじゃ馬だな。でもここのところ新型機がいくつも作られてるから、反乱者どもが好き勝手していられるのも時間の問題だろうな。次の実戦訓練では君のインターセプターに先陣を切ってもらいたいね。」テジュンはそう言ってダイアをけしかけたが、その時彼女の顔にさっと陰がよぎったのを見逃さなかった。

「なあ、ダイア……」テジュンは少し迷ったが、ストレートに切り出した。「君は最近、何か思い詰めてるみたいだ。もし悩みがあるなら話してくれよ。俺は君を大切な友達だと思ってるんだ。人間関係? それか、優等生特有のプレッシャーか? あるいは、まさか教官に何か嫌なことでも……」
「ああ……テジュン、違う……違うよ。」ダイアは頭を振ると、にわかに苦しげに額に手を当て、しばらく黙り込んだ。
「気を悪くしたなら謝るよ。もちろんプライベートなことまで詮索するつもりはないんだ。」ダイアが急にうつむいたので彼は慌てて弁解した。

 だが、やがて顔を上げたダイアディーマの双眸には予想に反して決然とした光が宿っていた。
「テジュン」ダイアは彼の目をしっかりと見据えながら口を開き、自らの発する一語一語を確かめるようにして訪ねた。「私を本当に友達と思ってくれてる? 私が狂ったとか、その……堕落したと思わないで、真剣に話を聞いてくれる?」
「ああ、もちろんだ。」テジュンは彼女の思わぬ反応に不意を突かれていたが、困惑を顔に出さぬようつとめて・・・・平静を装った。

 狂った? 堕落した?
 テジュンはすぐに彼女の"交友関係"に思い至った。ダイアはその優れた容姿と高貴な肉食獣のような佇まいから、アカデミーの内外を問わず女たちに人気があり、その期間の長短を問わず様々な"交友関係"の噂があった。そして、彼女の"交友"がここのところ特に苛烈さと奔放さを増していることは、公然の秘密だった。
 とはいえ、日々の厳しい軍事教練からくるプレッシャーと、死と隣り合わせの状況に置かれる者特有の興奮状態にさらされる彼らにとって、そのような多少の逸脱は致し方のないこととされている側面もあった。それが変わらずアカデミー随一の成績を収める将来のエースに関することであったから、教官たちの対応も遠回しにたしなめる程度に終わっていたのだ。

 極めてプライベートな問題であるから、その話を切り出されるならばテジュンとしてはどう受け止めていいものか。彼は逡巡した。しかしダイアディーマの口をついて出たのはまったく予想外の奇妙な言葉だった。
「帝国のもたらす秩序について、どう思ってる?」
 問いかけたダイアの目には緊張が揺れていた。
「それは……まだ十分に達成されたとは言えないと思う。」テジュンは意外な会話の展開に戸惑いつつも、自分の考えをひねり出そうとした。「いや、それどころか忌まわしいことに反乱者どもは増長しつづけている。帝国を裏切った元老院議員たちの恐ろしいスピーチなんかが好例じゃないか。やつらがこれ以上力をつける前に、迅速な裁きが必要だ。テロの根絶に向けて、アカデミーを出た俺たちがこれから果たすべき役割は大きいんじゃないか。」
 うん、まずまずだろう。教官に聞いてもらってもいいようなスピーチだ、とテジュンは思った。だがダイアは、甲虫を狩ろうとするコワキアン・モンキー・リザードのような抜け目のない表情をしていた。
 「そうだね。あなたの帝国への献身はよくわかった。」
 彼女の挙動にはどんどん落ち着きがなくなり、まるで夜の繁華街で突然パトロールの取り調べを受けたスパイスの売人のような手つきで、バッグから粗い織りの布袋を取り出した。
「テジュン、私はあなたを信じてるからこれを見せる。あなたには正常な判断力があると思うから。そして、友達だと思ってるから。これを見てどう感じるかは、あなた次第。でも、ちゃんと目を通してほしい。ここでは危険だから、必ず宿舎に戻ってからね。じゃあ、また。」
 ダイアはまくしたてると、逃げるようにして食堂を出た。今日の彼女はまるで別人のようだった。

 テジュンは不可思議な幻を見たような感覚のまま、その日の午後を過ごした。渡された布袋はバッグの奥に詰め、ダイアの指示通り宿舎に戻ってから中を開けた。
 中身は、粗末な用紙にプリントされた手製の冊子だった。タイトルは『銀河帝国への余命宣告』、著者は「ドクター・ディモクラティア」とある。
 テジュンの額から冷や汗が噴き出した。この文書が、帝国の秩序と人々の良心を破壊することを企図したものとして禁書に指定されているのを知っていたからだ。当然ホロネット上ではすでに閲覧することが出来ないものだ。
 彼は途方に暮れ、粗末な冊子をしばらく手の中で弄んでから、一目につかない場所に仕舞いこんだ。ページを開いて、中を読もうとはしなかった。何やら恐ろしかったからだ。

 ダイアディーマに冊子を渡されてから数日が経過しても、テジュンの生活はいつも通りで変わらなかった。と言うより、彼は意識的にいつも通りの生活を送った。彼女が禁書を見るよう勧めてきたことはただただ不可解であり真意を測りかねたため、あえてそれに反応しようとは思わなかったのだ。
 ダイアは反乱分子の思想に感化されたのか?
 単に、ルールを破ることでスリルに対する欲求と好奇心を満たそうとしているのか?
 あるいはこの文書自体が罠であり、アカデミー内の反乱分子をあぶり出すための帝国保安局ISBの捜査の一環なのだろうか?
 それらの問いの先に霧のかかったようにおぼろげに見えるのは、何か底知れぬ苦痛を生む真実であるような気がした。テジュンはそれを忘れようと努めた。

 その後もダイアとは何度か顔を合わせたが、彼女が冊子について尋ねてくることはなく、軽い挨拶以上の会話をすることもなかった。彼女は相変わらず順調に新型ファイターの訓練をこなしているようだ。
 そうして二標準週間が過ぎたが、テジュンが心の底で心配していたように教官や帝国の捜査官などに冊子について尋ねられることもなく、その出来事の記憶はただおぼろげな白昼夢であったかのように徐々に薄れていった。

 一標準月後。テジュンは午前のシミュレーター訓練の後にしつこい頭痛に見舞われ、午後の宇宙物理学の講義を病欠した。彼は医務室で薬を受け取り宿舎に戻った。その日は朝から粘土のような重苦しい雲が空を流れていたが、冷たい風がついに雨粒を運んできた。強くなる雨に打たれながら小さな自室に戻ったテジュンは、濡れて重くなった制服を体から引きはがすと、簡素なベッドに倒れこんだ。
 体を横たえていても、眠れる気配もない。ひどい頭の痛みをまぎらわすものはないかとテジュンは部屋の中を見回した。黒いテーブルと、椅子。調子の悪い空調機、窓。小さなクローゼット、歪んだシェルフ、開封した糧食のパッケージ。バッグ。そして、あの冊子だ。
 テジュンは冊子のことを思い出した。冊子のことは考えないようにしていたが、内容が気にならないわけではない。俗っぽい好奇心を満たしつつ、ダイアの真意を確かめる手がかりを得る。そして頭の痛みを少しでも忘れるために、すこし目を通してみるのも悪くないと彼は思った。

 『銀河帝国への余命宣告』はそのタイトルにふさわしく、患者として描写される銀河帝国と、医師との問答の形をとっていた。医師は患者の様子や症状を鋭く観察し、銀河帝国の罹患する数々の病を並び立ててみせる。帝国の全身を構成する器官や細胞は取り返しのつかないまでに汚染されており、もはや手の施しようがないというのだ。医師は厳かに余命を宣告し、来るべき帝国の終焉を告げる。
 これらの問答は政策、経済、軍事、法制、租税、倫理など様々な分野に切り込んでいるが、子供たちでさえも理解できるほど非常に平易で簡潔な文体で書かれていた。この著作は、柔らかな態度で少々の"意見を述べる"にとどまる評論家のホロネット記事や、下品な罵詈雑言を叫ぶだけの知性の無い政治批判などとは一線を画していた。
 秩序の名のもとに葬り去られ、忘れられたもの。不公正に直面した時、自らの心の平静さを守るため人々が考えまいとしていたもの。人々が思考の向こう側に放り捨てたそれらのものが次々とよみがえってくる。ドクター・ディモクラティアは、帝国兵の象徴的なアーマーのごとく真っ白く清潔に塗り固められた壁を掘り崩し、そこに生きたまま押し込められた脈打つ怨念をひとつひとつ取り出しているのだ。

「これに触れるべきではなかったな。」読み進めるごとにテジュンはその思いを強くした。そして「脳の腐敗」という強烈な表現を用いて皇帝パルパティーンを糾弾する文章に差しかかると、彼は思わず目を閉じた。それは単に表現にショックを受けたからでも、純粋な愛国心が傷つけられたからでもなかった。文書は、彼が自らの心に封じ込めていたものをも掘り起こしたのだ。意識的にも、無意識にも、ずっと考えまいとしていたことだ。
 テジュンは皇帝を信じていた。パルパティーンは、人々に選ばれた元老院議長として、腐敗と内乱によって崩れ去る寸前の銀河共和国をその双肩に背負い、あらゆる辛苦と犠牲とをくぐり抜けて銀河市民を平和へ導こうとした。そして自らも死に瀕し、その身に痛々しい傷を負いながらも立派に仕事を果たした彼はまさに稀代の英雄だ。パルパティーンは銀河帝国という新たな組織によって、銀河の秩序をさらに高い段階に押し上げようと奮闘しつづけている。帝国の横暴や腐敗をあげつらい皇帝を批判する者たちもいるが、かつて身を捧げて共和国を救ったように、今もなお彼が無私の願いから銀河市民のために身を粉にしていることは疑う余地がないではないか。
 いや、それは本当だろうか?
 帝国の掲げる理想と秩序が輝かしく一歩前進するごとに、踏みにじられ、押しつぶされ、呑み込まれ忘れ去られてゆく人々の影が自分の周りでちらついているように思えた。彼は世界の複雑さをふたたび思い出した。頭痛がさらにひどくなった。
 テジュンは冊子を閉じ、放り投げると、ベッドに倒れこんだ。宿舎の窓をたたきつづける冷たい雨の音が、終焉への秒読みに思えた。

 テジュンは、その後ダイアに会ったときも冊子について話題にすることはなかった。ダイアも尋ねなかったが、彼女は意味ありげな微笑でテジュンの顔を覗き込んだ。彼女はテジュンの目に何を見たのか。悲しみか、怒りか。それらはある意味で彼の中に新たに生まれた感情だった。

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金くれ