人間とアート

2002年にボーカルギターが急逝したバンドがある

「初恋の嵐」というスリーピースバンド

ボーカルギターが急逝後バンドは活動休止し
その後ミュージシャン仲間の支えで
ライブでの復活やアルバム再発売などをする

中でもスピッツが
「初恋に捧ぐ」という曲をカバーし
曲の素晴らしさが再認識された

この曲のサビ部分で


初恋に捧ぐ
全てを台無しにするような
大切なものを
心に放り込んでくれないか

という歌詞は
"大人たちの物足りなさ"を
見事に表した歌詞だと思う


実はこの感覚が
アート作品を売る事
非常に強く結びついている事を

『芸術企業論』村上隆 著

を再読して気付いた

この書籍の中で

壊れた世界で命を燃やさなければならないお金持ちの「物足りなさ」が芸術に向かいますから、金銭ですべてを解決してきたはずの富裕者の見えない欲望を確認するように…

という部分がある

この文章は
"世界基準のアートルール"
の根底の部分を露わにしてくれた
極めて貴重な文章で

アートで食べていきたいと思う作家が
向くべき正しい方向を示してくれている

初恋に捧ぐ
全てを台無しにするような
大切なものを
心に放り込んでくれないか

壊れた世界で命を燃やさなければならないお金持ちの「物足りなさ」

と同じ意味で

"大切なもの"

が例えばアートということ


世界のお金持ちの心を掻き乱すような
強烈なメッセージを放り込む

これがアートで生きる術で
アートの王道だということ


これを知ったうえで
その道を行くのか
違う道かを選ぶのが
アートを愛する者の誠意ではないか

そう思います


さて

人間が一生を過ごす中で
"穴"が重要な役割を果たしている

そう思ったのは
新社会人になって
会社でもがきにもがいていた頃でしょうか


人間の体には数多の穴があり
歳を重ねるごとにその穴が塞がる

穴の中でも大きな穴が五つあって
目、耳、鼻、口、皮膚、
これが歳を重ねると

目が見えなくなり
耳が聞こえなくなり
嗅覚が鈍くなり
食べることができなくなり
新陳代謝が悪くなる

五つの穴が塞がっていく

穴が塞がってしまうと死んじゃうから
代わりに"心"に穴が空いていく

心にぽっかり穴が空いたような
「物足りなさ」の正体は
これだと思ったんです


人間はお金持ちになり
あらゆるものを手に入れたとしても
身体の衰えには勝てない

身体が機能しなくなっていくと
物足りなさを感じると

それを補うのがアートの役割で
アートが必需品である理由で


実はこの穴が塞がっていく過程は
自然な流れとは別に
2つの不自然な流れで経験する事ができる

1つ目は"異常な経験"
例えばいじめ、虐待、貧困、病、死別、
などの現実拒絶につながるような経験

これは自分の意図しない形で
穴という穴を塞いで現実から
逃げ惑う事になる故
"拒絶"という形で穴が塞がっていく

2つ目は"修行"

これは自らを厳しい状況に追い込み
五感を研ぎ澄ましそして塞ぐ


そしてこの2つの経験によって得られる結果は
共通している


それは"悟り"


この""といつ文字は全てを教えてくれていて

心 五 口

というパーツで"悟"が出来ていて
つまり

つの(穴)


目が見えなくなり
耳が聞こえなくなり
嗅覚が鈍くなり
食べることができなくなり
新陳代謝が悪くなる

五つの穴が塞がっていく

穴が塞がってしまうと死んじゃうから
代わりに"心"に穴が空いていく


この境地が"悟り"だと
新社会人のもがきもが太郎は
気づきました


つまり有名な芸術家に
精神疾患や障害を持っている人が多いのは
"悟り"の域に達しているか
もしくはそれに気付いて意図的に
自分をそのように追い込む
(ゴッホの耳切りやウォーホールのサイコパス感は恐らく意図的な演出と解釈)

お金持ちが抱く「物足りなさ」を知るには
それを通り越した「悟」が必要になるのは
当然の事だと


芸術企業論の中で
オリジナリティが出し尽くされた時代は
何かと何かの組み合わせで
オリジナルを作っていくしかないと

そして自らが全てを知っているように
演出する事が必要だと

それがウォーホールやデュシャンや
ピカソやゴッホがやっていた事だと


日本人はこれらのアーティストを
ちゃんと理解している人が少なく
初期印象派以前のヨーロッパ芸術を
好む人が多い

つまり
"オリジナリティが出し尽くされた時代"で
「いやまだオリジナリティはあるはず!」
と割り切れていないのが
日本がアート後進国と言われる所以で

個人の感覚から出る程度のオリジナリティには
もうみんな飽きちゃってて
アートで食べていくには大勢の感覚や知識
つまり膨大な情報が必要だということ

そしてそれを得る方法は
インターネットが登場した事で簡単になり
アートを作る人も
アートを買う人も
世界共通の情報網の世界で
生きてているということ

これに向き合わない限り
アートで食べていく人生
になる確率は非常に低いという事


芸術企業論が初版は2006年と
15年も前の事ですが
未だに日本は世界の現実を受け入れない
ガラパゴスアート国であり
それを知りながらこの現状を
楽しもうという雰囲気があり


ここ最近のClubHouseでは
村上隆がこの日本の現状を
怒り、叫び、憂いていて

アートの世界で生きていくと決めた僕は
改めて王道へのチャレンジを
決めてこのnoteを書いています



物足りなさ研究

さぁこの課題にどこから手をつけるか

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