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【技能実習生の将来について】(真面目な話)2023年6月ハノイ③ 番外編


初めに

ホアン君と再会をしたので、ここでは私のように技能実習生制度に従事する者としての将来の私の展望・夢を書いてみる。

まず初めに。技能実習生制度に関しての私のnoteは制度そのものを論じるものではないことを大前提に書いている。
どういうことかというと、この制度抜きには人材確保が成り立たなくなっている地方の中小企業の従業員の視点で書いているということだ。

つまり「技能実習生制度は低賃金の長時間労働で奴隷のように外国人を使っている。けしからん制度だ」、「現代の人身売買だ、女衒だ」と批判する人や制度廃止の議論を求める人には、期待外れな内容となってしまうだろう。

外国人技能実習制度の本音と建前

技能実習生制度とは名ばかりの【建前】、実習生本人たちも出稼ぎである【本音】、そして企業側も技能の伝達ではなく安定した労働力確保である【本音】。この【本音】の部分はもう否定できない事実と私も考えている。

実習生に対して違法な長時間労働がクローズアップされ問題となることが多い。しかしそれはそもそもの法令を守っていないことであり、そのような会社は外国人日本人問わず同様ではないだろうか。
実習生だから問題になるのであって、日本人に対してであれば未だ解決されない過労死問題であろう。

私の勤務先の基本的スタンス

私の勤務する会社の考えとしては「技能実習生には仕事を頑張ってもらい、しっかりと稼いで欲しい。そして会社は実習生が日本での生活を楽しむためのサポートを全力で行う」
この考えがあるからこそ、お互いがwinwinとは大袈裟でもそれに近い良好な関係を築くことができると私は思っている。

長時間労働を考えても、法令順守の上で労働基準法スレスレで残業が続くと実習生たちは喜ぶ。残業が多いことは給料が多いことにつながるからだ。
残業が多く、当然ながら給料も多い時は1万円札を扇状に奇麗に並べ写真を撮り、SNSに投稿をするくらいだ。

(これは実際の写真、2018年当時のベトナム人技能実習生のfacebookより)

私の勤務先の実習生は国籍を問わず最新のiPhoneとMacBookを買うことが最高のステイタスであるため、給料日後は全額出金をしてアップルストアーに直行なのだ。

ここで書かれているのは、そんな会社の話であることを前提に読んで欲しい。

ホアン君との再会

今回のハノイ旅行ではホアン君との再会があった。彼は私が初めてハノイを訪れた時の担当通訳であり、今では技能実習生の送り出し機関のオーナー社長となっている。彼とは技能実習生制度の本音と建前の矛盾点を受け止めつつも、さらにその先の展望について熱く語り合うことができた。

その先にある幸せ

特に熱の入った意見交換として、技能実習期間を終え母国に帰国をした【その先にある幸せ】を、我々はリードしてあげることができるかどうか?可能であればどのように?といった内容だった。

実習生本人も本音は出稼ぎでであることは承知の上でのこと。ただそれだけではなく、日本の会社で仕事を覚えたことも事実だ。その仕事内容・技能・技術で帰国後に起業することができないか?といったことを私たちは探している。

つまり・・・

技能実習生が日本で得た技能で店を開いても、ベトナムでよく見かける道端の店では意味がない。路面店のオーナー店長(社長)となるか、都市型商業施設(ハノイならAEONかBicC)の中に店を開くにはどうすればいいか?そもそも、起業家精神を持つ実習生の見極めと指導が私たちにできるのか?

パン屋の実習生の事例

※)この事例は報道で知ったもの、残念ながら私個人の経験値ではない

パン屋(パン食製造作業)に従事した実習生の事例。

バイン・ミーはハノイでのローカルフードの代表格であり、そのパン食製造業に従事した実習生が、帰国後にパン屋を開店させた事例を私は報道で知った。その重要なところは、パン屋に就職をしたのではなく、起業としてオーナー社長としてのパン屋だったことだ。

私が驚いたことは、その店はバイン・ミー専門店ではなく、日本でよく見かける総菜パンの店だったこと。それが同業他社とは差異化となり成功をして、ホーチミンのAEONに出店することにもなったことだ。

更に私が感心したのは、日本での実習先の社長が嬉々として、スキルアップ(この時はカレーパンの上手な揚げ方)や新メニューを教えるため、何度もベトナムへ行っているということだった。もちろん元実習生も懐かしさもあり、大喜びで仕事を覚えていたことだ。

この事例はホアン君も知らなかったようで、「本当に理想だ、夢のようだ」と話をしていた。

ベトナムで起業の話

私の勤務先は食品製造業、その取扱う食品は実のところ日本以上にベトナムの食卓に根付いているものだ。私とホアン君と共通の知人から、ハノイでその食品工場を作りたいと相談を受けた。

工場長には元実習生(私が採用し既に帰国済)に就いてもらいたい。だから出稼ぎではなくもう一度、今度は本当に技能の取得として再就職ができないか?との内容も含まれていた。これは特定技能のビザを取得することでクリアできる。
しかし工場長候補の元実習生以外の人選や工場立地の話は全く進んでおらず、残念ながら実行性はほとんど感じられなかった。

私の夢

私はこれまででも通算で20人の実習生を受け入れ、日本での生活指導をしてきた。それは日本の学校のクラスの生徒数より少ない数だ。だからこそ一人一人の故郷や性格まで把握できている。
その元実習生が起業家として活躍するかと問われると、残念ながら私には全く想像ができない。企業に雇われて仕事を与えられるからこそ、力を発揮する子ばかりであった。

工場新設の話はありながらも、この記事を書いている段階ではすべてが夢物語の段階だ。
しかし、いつかやってくるかもしれないその日のために私は準備をしておきたい。私も具体的に何ができるのか、何がどうなるのかすら分かっていないから常にベトナム側と連絡を取り合うことも有益であろう。
私が間違いなく言えるのは、実習期間中はもちろんのこと、帰国をした実習生が更に幸せになる手伝いをしたいと強く思っている。

ホアン君の夢

そしてホアン君も今や社長だ。ベトナムの若い子がホアン君の会社を通して日本へ行き幸せになれば、良い会社との評判も流れ仕事も軌道に乗る。
一過性の甘い言葉に惑わされやすいベトナム人に、厳しくも幸せになれる道を指導できる会社にしたい、とのことだった。

おまけ

日本で働くことで自身の夢・目標をかなえた実習生が私の勤務先にいた。彼女は当初の3年間と延長制度を利用して通算5年、さらに帰国便がコロナ禍で停止となったためさらに延長をして合計5年6か月、私たちと一緒に働いた。
そもそも当初3年間の実習期間を終え一時帰国をした時には、私がハノイまで会いに行った子だ。それほど会社にも人々にも溶け込んでいた子だ

彼女は帰国時に、母親のために三階建ての家を建てることができた、会社には本当に感謝をしていると言っていた。その完成間近の家の写真が送られてきたのだ。

(言いたくはないが私の家より広くて大きい)
(夢をかなえた子だ)

このメッセージと写真を見たのは帰宅後であり、その夜私はメッセージのやり取りをしながら本当に美味しくお酒が飲めた。翌日は彼女が一緒に働いたパート従業員にも見せて回って盛り上がった。

このような良い知らせが最初に届くのは私。日本で生活をしている時は真っ先に面倒事にも巻き込まれるが、このように良い知らせも最初に届く。これも実習生業務に従事する醍醐味でもあろう。

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