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仮面舞踏会と悪魔が来りて笛を吹く:正史自選金田一耕助ベスト10をめぐって
数十年ぶりに、横溝正史『真説 金田一耕助』収録の「私のベスト10」という章を読み、二度、膝を叩いた。
◎金田一耕助、西へ行く
正史は、欧米でよくおこなわれていたベスト10遊びを本邦に持ち込んだのは江戸川乱歩ではないかとしたうえで、田中潤司の選になる金田一耕助ものベスト5というものをあげている。
1)獄門島 2)本陣殺人事件 3)犬神家の一族 4)悪魔の手毬唄 5)八つ墓村
正史はこれをおおむね妥当ではないかとしたうえで、では、そのあとはなんだろうとつづけ、「『悪魔が来りて笛を吹く』あたりに落ち着くのではないかと思う」とし、こう評している。
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「私はこの小説のなかの「金田一耕助西へ行く」から「淡路島山」という章あたりが好きである。 これは中島河太郎も指摘しているとおり、筋だけを追う読者にはまどろこしいかもしれないけれど、あわてず騒がず、悠々と筆を進めているところが、われながらあっぱれである」
驚いた。いや、『悪魔が来りて笛を吹く』という選択そのものは妥当であり、驚くにはあたらない。驚いたのは「『金田一耕助西へ行く』から『淡路島山』という章あたりが好きである」という表明である。
まさに! わたしも、あの金田一耕助のめずらしい「出張調査」の描写、須磨、明石、淡路島での活動を描いた部分は、正史の全作品の中でもっとも好む場面で、何度も読み返している。今回も、またそこだけ読み直したが、やはり素晴らしい。
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アイディアがなければ小説は書けないが、かといって、そこに核心があるわけではなく、骨組、プロットだけでは小説にはならない。人物や情景などの綿密な描写や、結末へのアプローチをどのようにつけるかという迂回路の作り方、そこが問題なのだ。
骸骨には美しいも醜いもない。豊かな肉付け、美しい膚と髪、そして表情の変化が加わって、はじめて美女が生まれる。Beauty is only skin deep、美人も皮一枚、と否定的な表現をするが、逆に云えば、美は骨にはない、ということだ。美が存するのはプロットではないのだ。
物語というのはふつう、結論だけを書けば、せいぜい三行もあればすんでしまうものだ。たとえば、諸氏がなかば揶揄するように云うとおり、戦後の小津安二郎映画は「婚期を逸しそうになった娘を気遣い、父親や家族、親類、知己がなんとか縁づかせる」と要約できてしまう。小津映画を見るのは「筋だけを読む」行為ではないのだ。結論にはたいした意味はない。そこに至るまでの紆余曲折の描き方にこそ、小津映画の本質がある。
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謎解きミステリーと云い、たとえば乱歩はこれを「作者と読者のフェアなゲーム」と呼び、犯人を隠し、犯人を当てることが目的のように云うが、それだけのことならば、「これこれこういう状況下で殺人が起きた、証拠はこれこれしかじか、証言はこう、さあ、犯人は誰?」という箇条書きですんでしまう。
そうではなく、そこにさまざまな人物がおり、彼らが綾なす人間関係があり、その入り組んだ綾の中に、重大な犯罪が起きる背景があり、それを解きほぐして謎を解明する過程を描くのがミステリー小説であり、われわれはその解明のプロセスを楽しむ。
須磨、明石、淡路での背景調査シークェンスは、『悪魔が来りて笛を吹く』の中で、もっとも興趣に富んだ迂回路であり、近道も取らないかわりに、遠回りしすぎることもなく、徐々に、それでいながらテンポよく、過去の出来事を解明していく。金田一耕助とともに、そのプロセスを経験することが、素晴らしい小説経験になるのだ。
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◎七番目の座
正史はつづけて書く。
「さて、そのつぎになにかあげよといわれたら、やはり、『仮面舞踏会』と、いうことになるのではないか」
これもやはり膝を叩いた。
『仮面舞踏会』は上掲、田中潤司選の金田一ものベスト5に入っていないことが示すように、あまり高く評価されていないようだが、読み返すたびに味わいが深まり、十年ぐらい前から、正史全作品のトップだと考えるようになった。
西田政治は正史に「おまえの作品のなかでも上位にランクされるベきもの」と云ったそうで、わたしに近い考えの人もいるんだなあと心強く感じた。
いや、結論が似ているように見えるからと云って、同じように思考しているとはかぎらない。西田政治がどこをどう評価してベストのひとつ、とみなしたかは書かれていないので、謎解きミステリー・プロパーの人の観点から『仮面舞踏会』のどこがすぐれているのか、と考えつつ、またしても読んでみた。
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◎トリック、ケレンの欠落、犯人の不作為
当初は軽視されていた『犬神家の一族』が、のちに、「犯人の不作為」という点から評価を上げていった。『仮面舞踏会』もそのヴァリエイションとみなせる。トリックや趣向、見立てなどの、犯人の仕掛けを大黒柱とする、いにしえの「本格探偵小説」とはまったく趣を異にするのだ。
動機も単純ではない。二重底になっていて、犯罪が多重構造をなしている点もすぐれている。犯罪が萌芽することになったおおもとの原因に辿り着いてみると、なんという非道、なんという悲劇、と嘆息が出るミステリーというのは、それほど多くない。きわめてユニークな犯罪構造になっているのだ。
自分の好みはひとまず棚上げにし、ミステリー・プロパーの観点から、謎解き小説としての魅力、ということをできるだけ客観的に考えたら、そのような結論になった。
機械的なものであれ、心理的なものであれ、「トリック」と呼べるようなものはいっさい使われていないにも拘わらず、最後には探偵によって謎が論理的に解き明かされる――。
これは謎解きミステリーとしてはきわめて特異な長篇であり、ミステリー・プロパーの西田政治が、これを横溝正史の代表作のひとつとした理由は、これだったのだろうと想像する。
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『仮面舞踏会』の声名がそれほど高くないのは、70年代の爆発的な横溝/金田一ブームの原動力となった、あの派手な「ケレン」、沼に死体がさかさまに突っ立てられたり、美少女が口に漏斗を突っ込まれて死んでいたり、生首が菊人形に紛れ込んでいたり、少女の遺骸が梵鐘の中に押し込まれていたり、といった派手な演出や仕掛けがなく、流血もごく控えめだからだろう。
◎ロケーションと取材
わたしが『仮面舞踏会』を正史のベスト1にする理由は、以上のようなミステリーとしての特異性にいくぶん重なりつつも、かなり異なっている。
もう一度、田中潤司選の金田一ものベスト5をあげる。
1)獄門島 2)本陣殺人事件 3)犬神家の一族 4)悪魔の手毬唄 5)八つ墓村
わたしは「本陣」はベスト10にすら入れないが(正史自身が「習作」と云っている通り、いわゆる「本格派」への移行のテストにすぎないし、長篇というより中篇に分類すべき)、あとはベスト5に値する長篇だと思う。こうした諸作の共通点は何か? すべて地方が舞台になっていることだ。
瀬戸内海の小島であったり(獄門島)、岡山の山奥の村であったり(手毬唄、八つ墓、本陣)、信州の湖畔の町であったり(犬神家)などで、関東や関西などの都会を舞台にしたものはない。
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「金田一もの」という制約を外せば、『蝶々殺人事件』が、主として大阪を舞台にした「都会の物語」の秀作となるだろうが、わたし自身は『蝶々』もベスト10に入れるほど好きではないし、作中、大阪や東京の風物がスケッチされているわけではない。
横溝正史は、閉所恐怖症だったのか、戦後は鉄道が大の苦手になってしまい、いつでも停められる自動車での移動ならば、かろうじて大丈夫だったのだという。
金田一ものの東京を舞台にした作品のロケーション設定と描写にコクがないのは、そのせいだと思う。たぶん、戦後は取材しておらず、記憶と二次資料に頼って舞台を描いたのだと推測している。まったく、その時代の東京らしさの感じられない、おざなりな描写ばかりだ。
それに対して、岡山の山村は戦争中の疎開先、信州の湖畔は戦前、労咳で倒れた時の療養地、瀬戸内海の小島は直接の取材はしなかったようだが、疎開先で世話になった知人から、詳細に人情風俗を聞きとったということが『金田一耕助のモノローグ』に書かれている。『獄門島』の描写は濃密かつソリッドで、その「取材」がおおいに益したことがわかる。
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◎「世界」をつくる、「世界」を生きる
長篇小説とは「ある『世界』を造形し、読者をそこに招いて、その『世界』を生きる経験を提供すること」と定義している。短篇ではプロットと形式が重要だが、長篇では、世界と人物の造形が何よりも重要だ。
横溝正史のすぐれた長篇は、当然ながら、いずれも「世界の構築」に成功している。それは、世界、すなわちこの場合は事件の土台となる場所をよく知っている土地に設定したからだ。
取材をせずに書いたと思われる、戦後の東京(あるいは『死神の矢』や『スペードの女王』の鎌倉から片瀬)を舞台にした長篇は、ディテールが貧弱で、リアリティーがなく、薄味で、印象散漫である。
『悪魔が来りて笛を吹く』の須磨での調査のくだりで、旅館の女中が、金田一耕助に、近ごろの「闇」取引を説明する。淡路島で卵を仕入れて大阪にもっていくだけで三倍になる、漁師は収獲を河岸まで運ばず、沖で売ってしまう、みな後ろ暗いことをしているので、警察の調べに対しては口が堅い、といったことを述べる。
こうした小さなディテールがリアリティーを生む。正史の戦後諸篇の東京や鎌倉あたりの描写には、こういう要素がなく、「世界構築」が上手くいっていないのだ(しいて云うと、『病院坂の首縊りの家』は、東京の描写にリアリティーはないものの、事件の背景と複雑な構造のおかげで、面白い長篇になっている。例外としておく)。
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◎土地鑑
『仮面舞踏会』を読むのは7回目か8回目で、時間的スパンの長い、複雑な「犯罪構造」はすでに十分に頭に入っていてもなお、退屈するどころか、今回の再読はいままででもっとも興趣があり、読み終わるのがもったいないとさえ思った。
それはなぜなのか。何よりもまず、こちらの年齢のおかげで、正史の技術的円熟がより明瞭に理解、感得できるようになったからだ。
正史自身が『悪魔が来りて笛を吹く』の須磨、明石、淡路のシークェンスについて自讃した「あわてず騒がず、悠々と筆を進めている」という言葉が、『仮面舞踏会』にもそのまま当てはまる。颱風に襲われた軽井沢の、夏の二日あまりの出来事を描き出す、老大家ならではの悠然たる筆致がじつに心地よい。
この余裕は、舞台になった軽井沢が、長年の正史の静養の地であり、改めて取材するまでもないほど土地柄を熟知していたことから生まれているのだと想像する。
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思うに、作家は、よく知っている土地を描く時はリラックスし、トラヴェル・ミステリーや観光案内のような、過度の直接描写をしない。情景描写は必要なものにかぎられ、簡素な表現だけで読者のイマジネーションを十分に喚起することができる。作者自身が「そこにいる」気分で書いているから、それがストレートに伝わってくるのだ。
『悪魔が来りて笛を吹く』の須磨、明石、淡路島のシークェンスのグッド・グルーヴ、心地よさも同じことではないか? 横溝正史はもともと神戸の人間だ。須磨や明石のことは熟知していたに違いない。そこからあの綽々たる余裕、自在な筆運びが生まれたのだろう。
記憶にある限りでは、あのへんの風物を描いた正史作品はほかにない。はじめて須磨の風物を描くことに、正史はおおいなる喜びを感じたのではないだろうか。だから、とくに、この場面を気に入っているくだりとして、『悪魔が来りて笛を吹く』をベストに算入したのだと考えている。
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◎夏の軽井沢、浅間山
いつごろからなのか知らないが、戦後、横溝正史は軽井沢に別荘を持ち、毎夏、東京の暑を避けた。作家なのだから、いったん軽井沢に行けば、もう東京との往復などせず、ずっと彼の地に居座っていたわけで、極端な出不精の正史も、数年で土地になじんだにちがいない。
『仮面舞踏会』は、プロローグは霧の浅間山だが、最初の章は、軽井沢にはめずらしい猛烈な颱風の来襲の描写からはじまる。赤松や落葉松の大木が折れ、白樺が根扱ぎに倒れるさまは、作者の実見によるのではなかろうか。簡潔な描写だが、リアリティーがある。
依頼を受け、金田一耕助が国道に出て迎えの車を待つ場面からして、颱風一過の夏空の軽井沢の風景が彷彿として素晴らしい。そして、車窓から見る颱風の惨禍、死体発見現場のアトリエが溢水に囲われた島になっているありさま、という冒頭は、「その世界で生きる」という長篇小説の醍醐味に満ちている。
◎本格派と変格派
骨格と肉付け、などと書いていて、あらら、1930年代半ば、甲賀三郎と木々高太郎のあいだで起きた本格・変格ミステリー(非芸術対芸術、非文学対文学)論争みたいじゃないか、と苦笑した。
あれもつまるところ、トリックと論理に重きを置くか、小説としての表現を重んじるか、という、「重心の置き方」という、「程度」「割合」の話で、「論争」というほどのものではなく、たんなる好みの違いにすぎなかったのではないだろうか。
甲賀三郎がいう「他の小説が、多く読者の感情に訴えるに反し、探偵小説は全然理知に訴える」という探偵小説特殊論、探偵小説=謎解きパズル論は、あの時代には探偵小説は特殊なものと見られていた背景からして、相応の意味を持ったかもしれないが、論理と感情という雑駁な二分法からしてすでに行き過ぎた単純化なのは明白であり、(乱歩の支持にも拘わらず)云ったそばからもう破綻していた。
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現代にも「新本格派」といわれるようなものもあるようだが、大きく見れば、もう何十年も前から、新しく書かれたミステリーについて、「トリックの創意」などということを云々することはなくなった。ミステリー小説の魅力の根源は、広い意味での「謎」にあるのであって、アクロバティックな殺人の仕掛けではないことは、もう論議の余地はない。甲賀説を支持した乱歩自身、自作によってそれを証明してしまった。
◎路線変更と休筆
松本清張らの出現による、いわゆる「社会派推理小説」のブームによって、横溝正史のケレン、仕掛けに満ちた「探偵小説」は、大時代な古めかしいものとみなされるようになった、という外的な要因があり、さらに、正史自身が胸部疾患を抱えたまま、しだいに齢を重ねたという内的な要因もあって、60年代半ばで、いったん筆を断つ。
しかし、中絶した『仮面舞踏会』の直前の長篇『白と黒』(1960~61年にかけて連載)で、正史は、ケレンを抑えた、より現実的かつ現代的な謎解きへと舵を切っている。社会派の台頭、すなわち一般の好尚の変化へ対応しようと試み、ある程度は成功していた。
だから、『仮面舞踏会』が中絶し、以後十数年にわたって新作から遠ざかったのは、社会派に押されて執筆意欲を失った、というより、年齢と体調の問題のほうが大きく作用したのだと想像する。
『仮面舞踏会』は、大ブームによるカムバック一作目ではあるが、構想されたのは60年代のことで、リアリスティックな方向へと転換した『白と黒』の延長線上にある。
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東都書房の新書版ミステリー・シリーズで、カヴァーをとると下は青いビニール装だった。これが『白と黒』の元版だと思う。わたしが読んだのはこの版だった。このシリーズではほかに日影丈吉や佐野洋を古書店で買った記憶があるのだが、ものは何だったか。日影丈吉は『応家の人々』か。
70年代の大ブームは、社会派ミステリーの蔓延への反動、横溝流のケレンたっぷりな血みどろ絵草子への回帰が背景にあると見て、正史は、つぎの『病院坂の首縊りの家』、さらには『悪霊島』では、リアリスティック路線は捨て、昔ながらのケレンに回帰してしまう。
結果的に、『仮面舞踏会』は『白と黒』とともに、正史作品系列にあっては鬼子と化してしまい、ほとんど無視されることになってしまった――。
今回の再読で思考が及んだのはここまで。『仮面舞踏会』は、前年の『白と黒』による路線転換の延長線上に出現した、正史としては「新しいタイプのミステリー」だった、ということだ。数年後に再読したら、もう少し深いところまで思考が到達するだろうと、願望を込めて考えている。
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