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古典ミステリー初読再読終読:サマーセット・モーム『アシェンデン或いは英国諜報員』その2

(承前)

「古典ミステリー初読再読終読:サマーセット・モーム『アシェンデン或いは英国諜報員』」でふれたX国駐在英国大使の告白を聞きながら、アシェンデンはしきりに時間を気にしている。

夜遅くに「人と会う約束がある」のだとしたら、ふつうなら情事だと思うが、アシェンデンはエイジェントだ、何か別の理由だろう。

しかし、大使の独り語りが終わり、外出から戻った夫人に挨拶すると、アシェンデンはそそくさと公邸を辞し、その章は終わってしまう。あれ? 説明しないのかよ、と肩すかしを食った気分だった。

◎命の丁半博打

つぎの章「コインの裏表」(The Flip of a Coin)は、破壊活動に携わる現地工作員のリーダーとの会合で、アシェンデンは「コントロール」として、多くの人間が犠牲になる可能性が高い爆破計画の実行の決断を迫られる。

待ち合わせの時間に遅れたのでアシェンデンはあせっていた、とあって、章はかわったけど、まだ前章の夜のつづきだと気づき、大使の長話を聞きながら、アシェンデンが焦れていた理由はこれだったのか、と納得する。

そして、ガリシアの人間たちがたくさん死ぬことになる、というくだりで、X国はスペインとみなして読んだ自分の正しさがわかり、よしよし、となる(ガリシアはスペイン西端の地方)。

アシェンデンは、自分の一言におおぜいの命がかかっていることに懊悩し、どうにも決断できず、ついに、コイン・トスで決めようといいだす。親指で弾くとコインは宙に舞い上がり、テーブルに落ちる、そこに手をかぶせる。表か裏か? 結果は……書かれていない!

典型的なリドル・ストーリー、結末は読者の想像にゆだねる、謎が謎のままで解けずに終わるタイプで(大昔、フランク・ストクトン「女か虎か?」を読みましたなあ)、たしかに、この選択は人間のよくするところではないよな、と納得した。それはないぜ、解決してよ、とは思わなかった。


ストクトン「女か虎か?」は高校時代に古書店で集めたEQMMで読んだ記憶があるのだが、雑誌類は十数年前にすべて手放してしまったので確認できず。どうやらこの号に掲載されたらしい。当時から有名な短篇だったが、ああ、そうですか、という代物で、味も何もない。一発芸。


コインの裏表で生死を決定された人間たちからすれば、これほど残酷なことはない。しかし、突き詰めて考えれば、あらゆる人間の運命は、どこか見えないところで投げられたコインの裏表、振られたサイコロの目で決まっているようなものだな、と思えてくる。

いや、しかしなあ……。戦争ではこういうコイン・トスが数限りなくおこなわれるわけで、広島、長崎への原爆投下を承認したハリー・トゥルーマンやら、東京をはじめとする日本の各都市への焼夷弾爆撃を計画したカーティス・ルメイなんていうののことを考えると、やはり人間の心など持っていては、政治家や軍人はできないに違いないと溜息が出る。

◎くじ引き無惨

シャーリー・ジャクソン「くじ」、菊池寛「入れ札」なんていう、籤の物語も思いだした(山田風太郎『室町少年倶楽部』のあみだくじによる将軍選択も、ここに入れていいかもしれない!)。どちらも結果は書かれているが、なんにせよ、籤の結果は残酷なものだ。


「異色作家短篇集第17巻 シャーリー・ジャクソン『くじ』」
このシリーズは、その後、函なしの四六版になったり、さらに別の形で再版されたらしいが、いまはどうなっているか知らない。まあ、いわゆる本格派とは異なるオッドボール・ライターを紹介するという役割は果たしたのだから、もうお役御免か。


英国大使の若き日の恋愛沙汰、彼の深い悔恨の念を聞いても、アシェンデンがべつに感銘を受けるでもなく、そそくさと辞去したのも、当然だ、無辜の人間の命を奪うか否かの決断を下す時が迫っていたのだから、と前章を読みながら引っかかっていたことも、これは恋愛沙汰どころじゃないと、きれいに納得がいった。

さすがはリアルな諜報小説の元祖。のちになると、スパイはあまり悩まなくなるように思う。いや、ジョン・ル・カレは、『寒い国から帰って来たスパイ』、『ドイツの小さな町』、『ロシア・ハウス』などに見られるように、しばしば苦悩するスパイを描いてきた。その意味で、ル・カレは英国諜報小説の正統な継承者だったのかもしれない。いや、モームを始祖とするなら、の話だが。


ジョン・ル・カレ A Small Town in Germany 
何度も投げだしそうになったが、終盤になって、ふいに主人公の行動の意味がわかり、ビックリした。でも、再読する気にはならない。面白くなるまでに時間がかかりすぎる!


◎営業スパイ

第9章「グスタフ」という、バーゼル在住エイジェントのあまりにも完璧な報告書に疑問を抱いたアシェンデンが調査し、罠にかけて、彼がありもしないことを並べた報告書を偽造していることを暴露するというエピソードも面白い。グレアム・グリーンはこれを読んで『ハヴァナ駐在員』Our Man in Havanaを発想したんじゃないか、と思った。


グレアム・グリーン「ハヴァナ駐在員」
自己言及的というか、メタ諜報小説というか、そういう風に感じたが、すでにモームが情報部をたぶらかす詐欺スパイを描いていたわけで、諜報の世界ではめずらしいことではない、のだろう。


このグスタフという男は、報告書の偽造は認めるものの、悪いことをしたとは考えておらず、偽情報だと見抜けず、金を払ったほうが悪い、といわんばかりに居直り、アシェンデンに「それで、どうします?」とふてぶてしく聞く。

アシェンデンは「どうもしないさ。ただ、もう金は払わないよ」とこたえ、目下、もうひとり調査している現地エイジェントがいる、彼について情報をつかんだら知らせてくれたまえ、いい報告書だったら金は払う、とだけ云って去る。

いやはや、後年の諜報娯楽小説を大量に読んだ人間としては、これには虚を衝かれた。一世紀の昔ともなると、諜報活動も牧歌的なのね、ふつう、こういう利敵行為をしたスパイは抹殺でしょ、と笑ってしまった。まるでビジネス。契約に違背した納入業者に取引打切りを通告したみたいな「処分」だった。


Our Man in Havana 「ハヴァナ駐在員」のキャロル・リードによる映画化。英国情報部の「コントロール」、ホラ吹きハヴァナ駐在員、ふつうのスパイを、ノエル・カワード、アレク・ギネス、バール・アイヴズの三人が演じた。味のある人ばかりのしびれる配役で、こういうのが何よりも大好物。とくに俳優としてのノエル・カワードは大好きで、なんでも手当たりしだいに見たくなる。

次章に登場する、アシェンデンが目下調査中とインチキ駐在員に語った男の話もなかなか面白い。途中まで書いたのだが、複雑な味わいのあるエピソードで、数段落で簡単には片づけられず、この項はさらに持ち越す。


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