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ばあちゃんの一瞬は2時間  NO38

以前、学校に移転した当時、乗り込んできたあのおばあちゃんたちですが、あれから1週間に2度3度と学校に来られるようになっていました。

中でも、長太郎ばあちゃんは、よく来られます。なぜ長太郎ばあちゃんと呼ぶのかというと、こられたときにお名前を聞いたのですが、氏名ではなく屋号で話されたので、さっぱりわからなかったのです。

屋号は、いつの時代のものなのかはわかりませんが、「ゴンべのさくじ」とか「おけやのみよこ」「しょうだいゆうのけん」「さくたろうのしんや」などなど…どれが名前なのかわからないものばかりです。だから、そのおばあちゃんの息子さんの名前で長太郎ばあちゃんと呼んでいます。長太郎さんが70歳前後ですのでおばあちゃんは90歳以上です。

なぜか、長太郎ばあちゃんは、村八分も恐れず、昼間堂々とやってきます。

「センセー!センセー!!一瞬、センセーの顔見に来たわ!!」「センエーと私は友達やから、また来たわ!」と職員室の窓から大声で叫ぶし、窓からは背が小さくてみえないため、行かないわけにはいきません。そこからは、約2時間、長いときは午前中話して帰られます。でも、ばあちゃんには一瞬です。

戦争中のこと、ここは、桑畑で、お蚕をみんな飼っていて、桑の葉を子どもが取りに行くのが仕事で、でも桑の畑に行くと酸っぱい桑の実をいっぱいとって食べて、口の中や周りが紫色になって、また桑の実を黙って食べたな!ってお母さんにいつも怒られた。

学校のかえりには山に入って、おいしいアケビを枝で落として食べた!今日は、山でアケビとってきてあげたで、食べや!

靴はなくて、囲炉裏の傍で、じいちゃんが、藁草履を編んでくれた。その横で、おばあちゃんが、もう使わんようになった手ぬぐいや、モンペを切り裂いて、しゃっくり?(甚平のような、チョッキのようなもの)を編んでいた。・・・・

大阪に奉公に行って、年に一度だけ帰ってこれるお正月はうれしくてうれしくて、一張羅を着込んで汽車に乗って帰るんやけど、駅についたころには、汽車のすすで、真っ黒になってしもうて!でも、うれしかったな・・・

嫁に行ったら、結婚式の日に初めて旦那さんの顔を見て、そんなもんやと思うて結婚したけど、次の日、まだ暗いうちに起こされて、畑仕事やった・・・

おばあちゃんが話されることは、どれもこれも大昔のことばかりで・・見たこともない、聞いたこともないものばかりです。でも、面白い!・・興味深い・・でもそういう昔話をされるおばあちゃんの顔は、いつもすてきに輝いていました。だから、私は、おばあちゃんの話を聞くのは大好きです。

そのうち、「お願いですから、理事チョー仕事してください!」と言われる始末。しまいには、みんなもよくわかっているので、「1時間たったので、交代しまーす!」とおばあちゃんの話をみんなで順番に聞くことになったほどです。「まあ、カウンセリングの生きた勉強と訓練や!と思って、聞かせてもらい!」と、私もうまくおばあちゃんの話を職員の研修に利用させてもらいました。

田舎暮らしの大変なところや楽しい所をおばあちゃん先生に教えてもらったり、田舎ならではの保存食の作り方や、シソジュースの作り方も子どもたちと一緒に習いました。

そうやって、おばちゃんたちのおかげで、豊かな田舎生活を今も満喫しています。おばあちゃんはもう、亡くなりましたが・・・

おばちゃんの1瞬、甘く見てはいけません!中味の詰まった濃い濃いものです。老人の話と侮るなかれ!私たちの足りないものを気付かしてくれる大切な時間となりました。今はもう、よい思い出です。

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