★左膝前十字靭帯断裂後からサッカー復帰

前回のnoteでは中1の冬、左膝前十字靭帯断裂をしたというところまで書きました。それからどうなったのかなどをまとめてみることにしました! 

中学1年の冬、遠征中の試合で大けがをしました。両足オスグッド(膝の成長痛)もあり、すこしかばってしまったことと、自分の体の硬さが原因でした。

大阪に帰ってきて1つ目の病院では「左膝前十字靭帯」という診断を受けました。もう中学の間にサッカーに復帰するのは厳しいという診断でした。もちろん受け入れることはできず、当時の八尾大正FCの監督がいろいろな方に連絡してくださって2つ目の病院へ行くことができました。本当感謝しかありません。

2つ目の病院では半年後に手術(成長線が残っていたため半年後)をするからそれまで筋トレなどをして筋力の維持をすることになりました。入院中ここが1番の地獄な日々でした。どんだけ筋トレを頑張っても結局手術の影響でまた筋肉が落ちる。何のために頑張ってるのか。そう思う日もありましたが、背中を押し続けてくれた人(親、八尾大正FCのコーチ達、八尾大正の同級生たち、中学校の友達など)がお見舞いに来てくれて励ましの声をかけてもらったことが1番の原動力になっていたことは間違いありませんでした。

2年の夏、手術は無事成功しました。

手術後も地獄のようなトレーニングの日々が続きました。しかし手術が終わると、頑張ればサッカーに復帰できるという先が見えていたので毎日の筋トレ、膝の可動域を広げるめちゃくちゃ痛いトレーニング。きつくても乗り越えることができました。

そして3年の春復帰することができました。当時からずっと使っていた南木之本防災公園グラウンドで。泣きそうでした。試合ができる喜び。復帰明けでもともと下手なのにさらに下手になっている。何もできない感じはすごく新鮮でした。

中3の最後はアドバンスリーグ。最終節勝てばみんなとまだ試合ができる。この状況で引き分けました。これが自分達の学年の現実でした。これで中学3年間の公式戦が終わりました。。。

やはり、中学3年間を通して、1番感謝をしなければいけないのは親。そして八尾大正FC監督のKコーチやスタッフの方々です。今はそのチームに帰り、指導者としてこのチームを大きくさせようという気持ちです。サッカーを通して人として当たり前のことを当たり前にできるように、その当たり前の基準を高くできるように、もちろんサッカーの戦術的な所(相手の配置はどうで、どこに立てばどう相手は出てくるのか。どうすればゴール前で1vs1の状況を作れるか。そのためにどうボールを動かしながらkeep attackingをし続けれるか。など)も大事ですが自分はサッカー以外の所を言い続けます。必ず将来に繋がるので。そこだけはブレずにやっていきます。ということを考えるようになったのも監督のKコーチのおかげでしかないです。感謝しても感謝しきれません。人としても、サッカーの戦術的な所、サッカーの知識も含め、超えられる人になることが今の大きな目標です。

現実は甘くないですが、今の新3年2ndのリーグも、2ndチーム過去最高順位を目指して頑張ります! 応援お願いします📣

長くなりましたがこれで中学サッカー生活は終わりです。読んでいただきありがとうございました😊  次のnoteは高校サッカーを通じて思ったことを書きます! それではまた!




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