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ジオサーマル・パンク

 有効視界たった1mの蒸気の中を僕は走る。足元に伸びる配管を踏み外せば待っているのは地獄の釜だ。顔を覆い隠すテヌグイが肌にべっとりと貼り付き、曇り止めを厚く塗ったゴーグルの上を大粒の水滴がいくつも流れ落ちる。息を切らして配管を走り切り、壁面まで辿り着いた僕は、背後を振り向き耳を澄ます。――キリキリキリと鎖の巻き上げられる音、排水口がザバァと湯の塊を吐き出し、ドボドボと下に消えていく音、鋼鉄の湯もみブレードがジャブジャブと湯を掻き乱す音――。追っ手の気配はもはやなかった。
 僕は口元のテヌグイをずり下げて深く息を吐き、この巨大な竪穴のはるか上を見上げる。もうもうと立ちこめる湯気の中で無数の茹で篭や蒸籠が上下し、白く霞んで見通せないはるか上。ジオの恵みの熱と湯に乏しい、人々が苔のように生きる場所、“第七気筒”の最上部まで、僕は帰りつかなければならない。

 僕はフロシキの上から背負い籠の中身を改める。待ってろ弟たちよ、僕は何としてでもコイツを届けてみせる。
 “百湯”クラスの湯治槽から汲み上げた薬湯一瓶を、そして何より――最下層に住む白髪と皺だらけの富豪共の大好物、1つ食べれば7年長生きできるという伝説の秘薬、“黒卵(ブラック・エッグ)”を。

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