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僕らの写真

スマホの普及、SNSの発達・・・
色々と要因はあるものの、写真のポジションが変わってきている。
元々、絵心のない事から興味を持った写真。
風景を撮る=記録が役割だった。
その後、思い出に対象は広がるも、記録という役割は変わらなかった。
当時はまだガラケーで、今のようなSNSらしいSNSもなく、チャットでアスキーアートやフラッシュがせいぜい。
そんな中、ニコンのクールピクスを買った。
数年前に念願のミラーレス一眼を入手した。
綺麗に撮れれば・・・から通い出した教室。
いつの間にやら表現を探る方向へ向かったのは、ポエムやシナリオを趣味として書いていたせいかもしれない。

まぁそんな思い出はさておき、前述の通り写真論や写真の歴史には無頓着でいる。これはこれで問題なのだろうが、これはこれで良いのかも・・・と思う。
知識は大事だし、武器だとは理解しているが。

守ることもアートだが、壊すのもアート。
良いものを進め、アピールするのは大事だ。
他方、それが強制になってはいけない。
予備知識のない人間に、アートというフィルターに個人差のある世界を伝える場合、バックボーンが違うことを念頭に置かないと、単なる否定になる。

プリントしない写真は・・・、ではなく、
プリントした写真の素晴らしさは・・・、と。
かなり違いませんか?
写真集も音楽アルバムも、定額制や単体でダウンロードできる時代になってしまった。
従来を振り返りつつ、新しいカタチを生み出していくことがアートな気がする。

ということで、まだ読んでいる途中ですが、
『じゃない写真』を読みつつ、時代の流れに思いを馳せる

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784872627107

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